1997年5月17日『ワンビエンにて』
1997年5月17日 『ワンビエンにて』
ワンビエンでの2日目ということになるが、昼間は結構つらかった。 昨日のバスでまた体調が悪くなっていた。朝はいくらか昨日より良くなっていたのでパイナップル(500k)を食べた。そこそこ調子も海を仕掛けてきたのだが、昼間の暑い中に出かける気にはなれない。
午前中はベッドの中で本を読んでいた。お昼ぐらいに少し散歩に出かけた。宿から少し歩くと川がある。ワンビエンにある川はメコン河のような雄大な川とは違い、浅瀬をきれいな水がサラサラゆったりと流れている。
美しくキラキラと輝いている川沿いに歩いていると、女の子が何人かで洗濯をしていた。その内の一人は土手の所にちょこんと座っていた。
俺は歩く道をはばまれ、どのルートを通って先へ行こうかと迷っていると、その座ってる女の子が立って「ここから行け」と合図をしている。それを見ていた他の女の子たちがなにやら“ヒューヒュー”と囃し立てている。
女の子達の目には、異国人に対する悪意のようなものは全く感じられず、むしろ好意的な目で見られているようだ。「コープンチャーイ」。俺も少し照れながら、“こんにちは~”と女の子達の脇を少し早歩きで通って行った。
しばらく歩くと水浴び場に出た。そこはちょっとしたレストランがあった。そこでミリンダオレンジ(300k)を注文し、景色を見ながら飲んでいると、店の少年(17~18歳)が、「どこから来たのか、東京か?」と聞いてきた。やはり彼には外見で俺が日本人だと分かるらしい。
今日はコンタクトレンズをし眼鏡を外していたため、それほどラオス人と変わらないような気がするのだが。 実際に重本さんはよくタイ人と間違えられていたし。
宿に帰り何か食べなくてはと思い“ヌードルスープ”というのを注文すると、何とインスタントラーメンが出てきた。体調が悪い時にこれは食えない。半分以上残してしまった。かなり気持ち悪くなってきたので薬を飲んでしばらく寝た。薬が効いたのだろうか、しばらくするとだいぶ楽になってきた。
3時半頃誰かがドアをノックしているので出てみると重本さんだった。今日、僕と1日違いでワンビエンに到着したのだ。バスでワンビエンに来る途中の山道に、銃殺された死体が転がっていたという。
もともとルアンパバンからワンビエンのバスルートは危険な山道と言われていた。ラオスのガイドブックにはそのルートにはしばしば“山賊”が出没し、バスが襲われると書いてあった。このルートを通る場合はあくまで“自己責任で”と記してある。
“死体”について詳しいことを聞くと、どうもその死体は“反政府ゲリラ”のもので前日に政府側との銃撃戦がその山道で行われたらしい。そして政府側はその死体の一部を見せしめとして放置しておいたというのだ。
前日と言えば俺がバスでその場所を通った日だ。俺も一歩間違えば銃撃戦に巻き込まれたかもしれないのだ。あらためてこの旅の危険性を思いしらされた出来事だった。
そんな重本さんと再会を果たし、夕方から二人で散歩に出かけることにした。それまで部屋で本を読んでいた。夕方に再び川へ向かった。着くと川では少女たちが今度は水浴びをしていた。服を着ながらの水浴びなのだが、何故か俺らはその脇を緊張しながら通り過ぎた。
「サバイディー」(こんにちは)。彼女らの方から声をかけてきてくれた。彼女に達にとって水浴びの場面は、それはそれほど恥ずかしいシーンではなかったようだ。俺たちも少し焦って損した気分だった。
再び先ほどの川沿いのレストランに行き、川に映える夕暮れを見るために日没まで二人で待っていた。この日は雲が多かったため残念ながら美しい夕焼けを見ることができなかったが、それでも美しい夕暮れ時を十分堪能できた。この街にはしばらくの間、滞在してみたいなとその時そう思った。
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