1997年5月4日 さくら寮とのお別れ(ラフ族の村 番外編)

1997年5月4日 さくら寮とのお別れ(ラフ族の村 番外編)

今日の午後は再びさくら寮へと向かった。ラフ族の村の女の子達がさくら寮へ遊びに来ているのだ。

ラフ族の村に滞在した最終日の午前中、彼女らを乗せたトラックはチェンマイにあるさくら寮へ向かってしまった。そのため俺たちは彼女たちにお別れの挨拶ができないままとなっていたのだ。

美輪さんはでかけてしまっていたが、女の子達は明日にラフ族の村へ帰るということで、まださくら寮にいた。彼女たちとは卓球をしたりしたのだが、しばらくさくら寮で俺たちはのんびりしたあと、彼女らに別れを告げ宿へと戻ってきた。何とも味気ないというかちょっと素っ気ないような別れ方だった。


数日前、ラフ族の村を去るときは、村の子供たちが総出で見送ってくれた。俺たちが村で過ごした3日間は本当に楽しかった。そして、その思いは決して自分たちの思いだけでなく、どうやら村の子供たちも同じように思ってくれたようだった。


だから村を去るとき、俺たちを乗せたトラックを、子どもたちはどこまでもどこまでも、走って追いかけて、いつまでも手を振ってくれていた。俺たちもめいいっぱいに手を振り、子供たちをみんな涙ぐんだ眼で見ていた。

そんな別れ方をしたばかりだったのだが、彼女たちとは、言葉が通じないためなんとなく中途半端な別れ方をしてしまった。


そんな中でもこの日には印象的な瞬間があった。みんなでの卓球が終わり、みんなでイスに座って休んでいたときのことだった。彼女たちは首にペンダントをしていた。彼女らはまで12歳くらい。ペンダントといっても“おもちゃ”のようなペンダントだった。
そしてなんと、彼女らがしているペンダントを外して、僕らの首にかけてくれたのだった。

タイでは大切に思った友達などには“ささやかなプレゼント”をしてくれる。それは小学生くらいの子供でも同じで、今までにもタイではお菓子やらなんやらのプレゼントをもらってきた。

でも、なんと上奈路さんは僕たちにかけてくれたペンダントを、いったんは首にかけてくれたものを外し、彼女らに返してしまったのだ。

上奈路さんは単にペンダントを首にかけてくれただけと思っていたようだった。彼女らも、ペンダントを返されてちょっと戸惑った表情をしていた。

上奈路さんが返したのに俺だけもらうわけにはいかない。彼女らはプレゼントとして首にかけてくれたような気がしたのだが、俺も返さざるを得なかった。

もしプレゼントとしてくれたのなら、大事に日本へ持ち帰りたかった。とても素敵な旅の思い出になると思われたので、残念でならなかった。


そしてもし、彼女らが俺達にペンダントくれたとするのならば、それを返してしまうという行為がどういう意味に捉えられているのか。言葉が通じないので直接聞くわけにもいかなかった。

でも、彼女らの気持ちはとても嬉しかった。彼女らだけでなく、村の子どもたちにも何らかのお礼をしたかった。


折り紙でも買ってあげようかと思ったのだが、案の定チェンマイの文房具屋に折り紙はなかった。
どのような方法を取ったらいいのかわからず、とりあえずもう一度明日、美輪さん訪れよう。そしていろんなことを確認したいと思う。


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