『余韻』(短編小説)


   海の見える草っぱらで、肩を並べるように座っていた。

   岡さんとは今日知り合ったばかりだ。民宿の食堂でたまたま席が隣りになって仲良くなった。



「ここ気持ちいいですね」
「でしょ?」
「海が目の前にあって開放的で」
「ここに人を連れてきたのは、島田さんが初めてかな」
「えっ、そうなんですか」
「しかし、東京から1泊2日ってかなりハードですね」
「そうだね。ま、慣れたけど」
「本当はもっとゆっくりしたいですよね」
「それがそうでもないんだなあ」
「どうしてですか」
「人生の息つぎみたいなもんだから」

   私のイメージ通りだった。食堂で見かけた時から、その風貌や雰囲気からして、いかにもそういう詩的なことを言いそうなタイプだと思っていた。

「息つぎ・・・ですか」
「うん」
「ってことは、普段は息を止めてるってことになりますね」
「ふふっ、そうだね。いつもは酸素が薄い場所にいるから」
「東京って人だらけですからね」
「そう、どこに行っても人だらけで、息が詰まりそう」

   私は敢えて踏み込まない。東京でどんな仕事をしているのか。普段どんな息苦しい日々を送っているのか。きっと、こんなのどかな離島にまできて、そういった日常のリアルなことを聞かれたくないだろうと思ったから。

「私、横浜ですけど、まあ、似たようなもんだと思います」
「横浜もそうだよね」
「でも・・・東京でも人が少ない場所ってありますよね。奥多摩の方とか」
「あ、奥多摩の方はたまに行くよ。でも俺にとってはね、できるだけ日常から離れた場所の方がいいんだよね」
「そうなんですね」
「まあ、国内で、1泊2日で、人が少ないという条件なら、この島が一番遠いかもね」
「確かに離島の中では知名度も低いし、観光客が少ないですしね」
「そう。だから何回もきてる。ここには、うまいゴーヤチャンプルと泡盛がある。それだけで十分」

   ゆるやかな潮風が岡さんの前髪を揺らす。そのあまりにもナチュラルな横顔に一瞬見とれる。ただ、その爽やかな表情のどこかに陰が潜んでいるような気がした。

「いつも一人でくるんですか」
「うん。一人じゃないとこないよ。島田さんは一人旅ってはじめてなの?」

   実は今回、私にとって初めての一人旅であった。本当は親友のカナとマイとの女子旅の予定だったのだけど、二人に諸々の事情があってドタキャンになってしまい、仕方なく一人で飛行機に乗ったのだった。

「はい、実ははじめてなんですよ」
「どう?はじめての一人旅」
「出発前は寂しくて嫌だなあなんて思っていたんですけど、いざ旅に出てみると、これはこれで全然アリというか。仲良し友達と一緒に行くいつもの女子旅の感じとはぜんぜん違いますね」
「おめでとう、一人旅デビュー」
「あ、ありがとうございます・・・」
「いいでしょ?一人旅」
「はい」
「一人旅って、人を選ぶからね」
「そうなんですか」

   岡さんが言った通り、私は一人旅の魅力に取りつかれつつあった。誰にも気をつかわないでいいし、明日の予定は気分で決められるし、何より自由なのだ。

「あの、話を戻す感じになっちゃうんですけど」
「ん、なに?」
「さっきの息つぎの話、もうちょっと聞かせてくれませんか」
「ああ、その話ね」
「息つぎってどういうことなんだろうって」

   お互いの身の上話はしなくていい。でも、生き方とか価値観とかそういったことは交換したかった。

「一人の時間をつくるってことかな。ほら、人間ってさ、基本は一人でしょ。 寝る時だって誰かと一緒に夢は見れないし、死ぬ時だって一人じゃない?」
「・・そうですね」
「付き合っている人がいるとする。その人と二人でいる時より、自分一人でいる時の方がその人のことを深く考えていたりするよね」
「ああ」
「友人の誕生日パーティーに参加するとする。みんなでその友人をお祝いしている時より、前日とかに誕生日プレゼントを一人で探している時の方が、その友人のことを深く考えているよね」
「はい」
「逆に、友人たちに誕生日パーティーをしてもらうとする。みんなにお祝いしてもらっている時より、みんなと別れて一人になった時に、嬉しさとか幸福感とかが一気にこみあげてくるよね」
「確かに・・・」
「つまり、そういうことなんだよね」
「なるほど」
「そう考えると、一人の時間ってすごく大切だと思わない?」
「・・・はい」
「人を愛する気持ちも、自分の考え方や生き方も、一人の時間が育んでくれるってことだと思う」
「そうなんですね」
「だからさ、いつも誰かと一緒にいないとイヤだという人は、すごくもったいないと思うんだよね」
「・・・」
「本当は、自分が一人じゃないってことを実感するのは、一人の時なのにね」
「・・・」
「せっかく一人になれるんなら、一人の自分に、最高のロケーションを用意してあげたいじゃない?」
「あの・・」
「ん?」
「私、今日、岡さんの大切な一人の時間を奪っちゃったのかなって」
「あっ、気にしないで。昨日もここで、日が暮れるまでじっと一人で海を眺めていたから」
「・・・それならよかったです」
「俺、そろそろ行かないと。今から荷造りして、夕方の飛行機に乗るからさ」
「あの・・・岡さん」
「はい」
「すごく素敵な話をありがとうございました」
「こちらこそ。島田さん、まだ、ここにいる?」
「はい。私なりに一人でいろいろ考えてみます」
「いいね。じゃあ、また日本のどこかで!」

   岡さんは、私の心に、余韻のような何かを残して去っていった。



   私は、物語との別れを惜しみながら、そっと本を閉じた。

   まるで本当に隣に座っているかのように、主人公の岡航一は私に語りかけてきた。不思議な読後感だった。民宿の食堂で偶然出会ったこの本を、私はきっと忘れないだろう。

   コバルトブルーの海の向こうの方に、一羽の鳥が気持ちよさそうに空に浮かんでいるのが見えた。

(了)


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