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現在、アラフォー無職ニート実家暮らし、絶賛親に反抗期中!子ども部屋おばさん。の私。これまでの1年。


自分の現状を表すとタイトル通りなのだけど、改めて見るとすごいパンチだ…。笑


noteに記事を書くのは約1年ぶり。
この1年何をしていたかと言うと、9月までは実家のぶどう農家を手伝っていた。


10月からは、リゾバで念願の四国(四国は香川にひとり旅に何回か行き大好きになった)に飛び立って、初めての高知へ。
本当は香川の小豆島で働きたかったのだけど、数ある求人の中でもかなり条件がいいー!(寮は客室、朝食ブッフェ毎日食べ放題、毎日温泉入り放題)という求人を高知で見つけたため、ある大手ホテルの厨房の調理補助として働くことにした。


(ここからは高知でのリゾバ生活&私の人生の中で最高の青春の日々の話。笑)

最初は高知では1~2ヶ月くらい働いて、その後小豆島か他の四国の県で働こうかなぁというつもりだった。

しかし、条件がいいのはもちろん、そこのホテルの調理場の人達が料理長をはじめ、本当に良い人達ばかり&派遣の40歳のまちこさん(リゾバ生活5年以上でかなり人生謳歌している優しくてかっこいい女性)ともかなり仲良くしてもらい、結局8ヶ月くらいそこの高知のホテルで働いていた。笑

忙しい時はかなり残業もあったけど、暇な時には料理長が「今のうちに連休もらっとけー!」と言ってくれて、連休の度に高知のあちこち、愛媛や徳島まで足を伸ばしてかな~り四国を堪能できた。
(けど、まだまだ行きたい場所はいっぱい!)

5日間~1週間連休をもらっての徳島や愛媛のひとりローカル旅もかなり良かったなぁ。
それはまた別の機会に書き留めたい。



職場の人達にもかなり仲良くしてもらい、おっちゃん達には釣りに連れてってもらったり、若い男の子達とボーリングしてカラオケして深夜にマックとか行っちゃう、学生かよ!っていう遊び方をしたり。

鍋焼きラーメン食べ歩きツアーをしたり、仲良くなった派遣の人と山登りや渓谷巡りしたり。

飲み行った後カラオケでベロベロになりながら皆で踊り狂って記憶を失ったり…(飲み会では3回くらい記憶を失ったし、アラフォーにしてまさかのオールしてそのまま仕事するという日も。笑)

飲んだ後終電を逃して男の子と職場のホテルまで3時間半かけて歩いて帰った日もあった。笑
かなり眠くてヘロヘロになったけど、天気は良くて風は気持ちよくて星はキレイで途中海辺に寄ったりもしてそれはそれでいい想い出。



単純に、とてもステキな人達に出逢えたし、めちゃくちゃ無邪気に青春を謳歌した高知県での8ヶ月。
この歳になってこんなにはっちゃけて人生楽しめるとは夢にも思っていなかった。笑

本当に、面白くて優しくて良い人達に出逢えたお陰だ。

本当に本当に職場と人に恵まれていた。



それから、なんと…!!
11個下の男の子を好きになってしまうという経験もした。笑

その子は終電逃して深夜に3時間半2人で歩いた男の子で、ずっと人として面白くて大好きだったのだけど、高知を去る1ヶ月前くらいに恋愛としても好きになっている事に気付いてしまった。

その時はかなり混乱したし、最後の1ヶ月は猛烈に仕事が忙しい&その男の子との青春の甘酸っぱい日々もあり、何だか目まぐるしくもとても濃い1ヶ月だった。笑



ホテルを去る最終日は一人一人にお手紙とお菓子を渡して挨拶廻りをしながら号泣してしまった。
絶対泣きたくなかったのに、わざわざ仕事の手を止めてたくさん話してくれる皆の優しさにありがたい気持ちと色んな感情が溢れて涙が止まらなかった。

そして、駅までは私が好きになった男の子が送ってくれることになり、(絶対仕事忙しい時だったのに、俺は余裕やで~と言って送ってくれた。泣)

海の見える無人駅のイスに2人。
座って電車を待つ時間もありがたい気持ちと寂しさとその男の子ともお別れなのか、という気持ちで涙が止まらず。
男の子は「泣きすぎやで~。けど、皆に本当に愛されてたなぁ。」とケラケラ笑ってくれた。

たぶん、男の子は私が好きになっていたことに気付いていたし、私もそれっぽい事を仄めかしたことはあった。
男の子も、私の事を好きになってくれているような言動も時々あった。勘違いかもだけど。笑


電車が来るまで時間が迫ってきている。


最後に直接自分の気持ちを男の子に伝えようか迷った。


けれど、男の子は沖縄出身で来年には沖縄に帰って自分の居酒屋を出すと決めている人。
恋愛の話になると度々、「○○(私)はいつもそばにいてくれる人じゃないとダメやでたぶん」
と、私の気持ちを分かってか分からずしてか、離れ離れになっちゃうから好き同士になってもな…と遠回しに優しく諭されている気がしていた。



迷っている間に電車は到着。


「最後の最後まで本当にありがとね。」と握手。




気持ちを伝えられなかった分の気持ちが溢れてか、自然と男の子にハグをしていた。
(そんなに積極的になれないタイプだったので自分でもビックリ)

男の子も笑いながらしっかりハグをしてくれた。


男の子に手を振りながら電車に乗り込み電車が発車。

大粒の涙が溢れて止まらなかった。


男の子も笑顔で手を振ってくれてはいたけど、少し涙ぐんでいるように見えた。(気がする。笑)

まるで青春ドラマの甘酸っぱいワンシーンのような時間だった。笑




こうして私の高知での生活は幕を閉じた。





今思い出してもかなり楽しく青春の良い時間を過ごせたと思う。

青春を謳歌しまくったなぁ。
本当に最高な日々だったなぁというしみじみした充足感がある感じ。


何より、無邪気な心。今を全力で楽しむ心。
を高知では得られた。
というか、心の奥底に眠っていた心を蘇らせてくれた感じ。


そして、何事も一生懸命な人はかっこいいこと。
好きな事を一生懸命やる人は尊敬できること。
ポジティブ思考でやりたい事に挑戦すること。
ユーモアは最高の気遣いと優しさであること。

たくさんの事を気付かせてもらった。 



そんなこんなで、何泊か香川で寄り道をして念願の寝台列車、サンライズ瀬戸に乗って高松から東京へ。


実家の栃木まで無事に帰ってきた。




栃木に帰ってからは、疲れが出たのか燃え尽き症候群のような感じだったのか、1週間くらいは部屋に引きこもり、荷解きもできなかった…。

親は疲れたんだろうとそっとしてくれていて、ご飯の時にだけ声を掛けてくれるという何とも優しい対応をしてくれていた。
しかし、そんな親に対してなぜか帰ってきてからずっとイライラしている自分がいた。

その後友達の結婚式があり、なんとかそれまでには荷解きも終えて無事結婚式も参加。
その後は友達とも遊ぶ約束をしたり部屋の外に出られるようになった。

が、親へのイライラは止まらない。
高知で過ごしていて、電話していた時にはこんな風な気持ちにならなかったのに。

心配して部屋に様子を見に来る親に「ノックくらいしてよ!!」と強く言ったりもした。

アラフォーなのに、中学生の思春期みたいな自分に自分でも驚いているのだけど、全くもってコントロールができない。

こんなに親は優しく見守ってくれてるのに、なんでこんな優しくできないんだ…と。
自分が親だったら、不安からガミガミ言ってしまいそうだ。



一旦しばらく東京に滞在して、東京で会いたい人達に会ったり、姉や兄と3人で飲んだりもした。
親と離れられてホッとしている自分もいたし、単純に会いたい人達と会えて嬉しかった。

リフレッシュもできたし、これで栃木帰っても親に少し優しくなれるかな、と思いきや、
全く変わらなかった。笑




そんなこんなで、私はまだ引きこもりがちだ。
40~60代の引きこもりが社会問題となっているらしく、そういう人達を『子ども部屋おじさん』と呼ぶらしい。

ならば私は子ども部屋おばさんじゃん。
しかも、今の私、、、


アラフォー無職ニート実家暮らし絶賛親に反抗期中の子ども部屋おばさんじゃん……!!



となった。

高知での楽しかった青春の日々と、今の自分の現状のギャップが凄すぎる…。
大笑いしながら過ごしていた高知での私と、親にイライラして何を聞かれても無表情な私。

これが同じ私なのか!?と。
かなり混乱している。



もっと高知にいたい気持ちもあったし、職場の人達からは永住しな~と言ってもらえたり、料理長にも辞める1ヶ月前以上から「寂しくなるな~」と言い続けてもらっていた。笑
本当に可愛がってもらったし好きになった男の子もいたし後ろ髪はかなり引かれていた。

それでも栃木に帰ってきたのは、地元の友達の結婚式があったこと、会いたい人達がたくさんいたこと、実家のぶどう仕事が忙しい時期なこと、八丈島や東北、九州、中国地方等、行ってみたい土地がたくさんありすぎるという理由もあった。

別に親にぶどうを手伝って欲しいから帰って来てと頼まれた訳ではない。


アメリカに住む友達と電話していて(この子とはかなり仲良く、高知にいる間もよく電話し合っていた)今の自分の現状を聞いてもらっているうちに、私の中でふと腑に落ちる瞬間があった。

高知で無邪気な心を取り戻した私は、子どもに戻っているのかも、と。

戻っているというのは無理があるけど、今までずっと押し込めていた子ども心がかなり出てきているのではないかと。


だから、子どもの頃に親に伝えられなかった悲しみや寂しさや怒りが今フツフツと出てきているのかも、と。

思春期はあったけど、私は言葉に出せないタイプでだんまりしているだけだったし、父とは時間が合わず、あまり会うことも話すこともなかったから反抗した覚えもなかった。


えっ!!!!

私、高知で青春したら、思春期の子どもに戻っちゃったの…?!?!

となった。笑


親にとってはいい迷惑だしごめんと思うけど、私にとっての今の反抗期は必要なことなのかも知れない。

ぶどうの仕事も手伝わずに実家にいさせてもらって家事もほぼしてもらってご飯も食べさせてもらって。

アラフォー無職ニートで実家暮らしの上に引きこもりで親に反抗期中って私やばくない?!
と数日間絶望していたのだけど、友達と電話して、自分の中で色々と腑に落ちた瞬間から、逆に面白すぎない?!となった。笑
実際に友達とも電話でかなり爆笑していた。

それならば、思春期の自分を抑え込まず、気が済むまで反抗期やらせてもらおう、と。


たぶんまた押さえ込んだら、押さえ込んだ分はまたいつか出てくる。
今しっかりその自分をそうかそうかと認めて、出し切ることが必要なような気がして。 


こんなこと言うと、社会的に見るとアラフォーなくせにかなり甘ったれなダメ人間に映るだろう。


けれど、私はもう社会的に見てとか、周りの目を気にするのは自分の中で卒業の段階に来ている。気がする。



なので、私は、
アラフォー無職ニート実家暮らし絶賛親に反抗期中!を謳歌しちゃおうと思う。笑



子どもの私が気が済むまで。
気が向いたらぶどうの仕事を手伝えばいいし、家事や料理も気が向いたらすればいい。


子どもの頃の私は子どもらしく過ごせなかった。
それを今取り戻したいんだと思う。

今まで、私は私の気持ちや感情を無視して生きてきた時間が長かったから、私から出てくるどんな自分も感情も気持ちも、もう絶対無視したり押し込めたりしない。
どんな自分も受け入れて包み込んであげたい。



なんだかんだ言って私は、お父さんのこともお母さんのことも大好きだ。

だから、申し訳ないけれど、もう少し反抗期の娘を謳歌させてください。





2人の娘でいさせてもらえることに感謝と愛を込めて、反抗期やらせて頂きます。




いつ終わるんかなぁ。笑


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