白魔術・ニュータイプ


マウンティング・フレネミー。

これは20年以上前に自分が書いたニュアンスの現在の状況だ。
これを発言した時ネット弁慶達は発狂した、余程心当たりがあるのだろう。
その背景はこうだ。
自分が追い込まれ逃げて来た東京の狂人たちが身勝手なデマを拡散した。
極端に知能の低い欲太りの異常者がこちらに都合よく責任転嫁したと。
欠席裁判で恣意的な切り取りとウソを日本中にばらまいた。

素知らぬフリの確信犯、普通、その後を予測できそうなもんだ。
勝ち誇って天狗になって増長し、きっとそれどころじゃないんだろう。
自分達がバカなのは依存対象下位のコイツのせい、トッピングして損した、
ブービーで損したという事だろう、ここまで他人に執着できる性根が凄い。
しかも数が多すぎて、どういう事か?と思うほどだ。

バカとバカとバカが共鳴し、元気玉を膨れ上がらせて犯罪に及んだ。
バレなきゃOKらしく、またそのおかげで色々知る事も出来た。
社会構造の裏側と、人の本質、悪魔からは逃げられないという事。
闇のネットワークと杜撰すぎる個人情報の扱い、そして企業の闇。

宮崎勤同様に、犯罪はバレなきゃ自分は善良な一般人でいられるのだ。
しかも嘘の上塗り、保身の情報操作をまだやってる、世論誘導してる。
どれだけ個人に足場を作りたいのかと。

しかし時間を掛けてニュアンス浸透し、価値観の反転が発生し始めた様だ。
自分同様の人種、つまりHSP、スターシードが発言力を高めていった。

愚者は外圧に弱い、中身の無いサディストは全てが同調圧力だ。
誰がどうかで判断する権威主義であり、場当たりの俳優に過ぎないと。
どんな有利なポジションであったとしてもただ演じているだけ。
綺麗事の義憤、誠実さも善意も、道徳観もフェイク、嘘まみれのホラ吹き。
彼等の目的は利己であって、有利不利で簡単に手の平を返す、無軸。
そう、彼等は圧力のかかり方次第でいつでもポジションを変えるだろう。
要は主体性が無い、要領の良さに全振りで、行動全てがファッションだ。
なので外部に正解を求め、ただその真似をする、何かのデータに依存する。
ファッションオタク代表・宮崎勤のウルトラセブンのVHSがシンボルだ。
これが戦後捏造された普通の価値観、安心を得る生存手段だろう。
何も考えないのは楽なのかもしれないが、結果自分が空虚になる。
少年A・酒鬼薔薇の言う「自分は透明な存在」という言葉、
これは虐待者のマインドに共通する、相対化しないと実感できない状態。
弱者との相対化、おそらくこれだと思われる。

だから悪人は他者に執着する、依存し、責任を押し付ける、犠牲を求める。
己のパーソナルスペースに主体のある人間を取り込むために密着する、
寄せてくる、魂を取り戻す為に誰かの魂を欲する、つまり食いたがるのだ。
他人が苦しむ姿、嫌がる姿のレスポンスを楽しむために生きるのだ。

荒木飛呂彦の言う「よく濡れ衣を着せられた」はこの原理だろうし、
進撃の巨人の食人行為、「無垢」の巨人というニュアンスもおそらくこれ。
現日本国総理の表情、あるいはゾンビ映画のニュアンスもこれだろう。
そう、「地獄の蓋が開いた」状態が現在だ。
魂が無い人間は他人を食らう、カニバリズムの根幹であり、強姦の原理だ。
マウンティングと性欲は直結する、犬猫がやるのと同様に当然ヒトもやる。
動物に近くなればなるほどに、マウンティングはやらざるを得ないと。
それが「無垢」、言い換えれば「空っぽ」というニュアンスだろう。

毒親、フレネミー、ネット弁慶、全てが相対的アイディンティティ、
弱者を求め、迫害し、搾取し、それで空虚な一時しのぎの幸福感を得ると。
実体の無いモノを得るために価値を消費する、他者の不幸を求める思想。
ソシャゲのガチャ課金なんて面白いくらい合致するシステムだ。
求めれば求める程に失ってゆき、徐々に歯止めが利かなくなってゆく。
満足しようとするほどに、満足できなくなってゆくと。
要求を繰り返し、際限なくボリュームを上げて行き、最悪の結末を得る。
生産性には限界があり、消費や搾取には自他が滅ぶまで限界が無いのだ。

それが下降する社会、内弁慶思想、搾取マインドの根底にある。
比較対象を下げる事でなんとなく得した気分になれるのだ。
それにワザと数字を与えれば、引き下げを競うゲームが成立すると。
これが「弱肉強食」「勝ち組マインド」だろう。
完全に滅びの論理で間違いない。

全ては上か下かのトップダウン、鵜呑みと拒絶のカルト信者に過ぎないと。
それがたまたま「一般論、一般常識という宗教」だというだけ、
オウム信者と何一つ、微塵も変わらない。
そしてこの邪教に皆染まっていた事になる。

これを変えるには社会の価値観、一般常識に変化を加えるほかないと。
掲示板にしろTwitterにしろ、ほぼ完全に黒魔術に寄っていた筈だ。
悪人に都合のいい効果の比重が多かった、またそれが常識だった。

他でも書いたが、旭川のイジメ被害者の少女、スターシード、聖者の卵。
味方もおらず、全てに責任を押し付けられ、命を落とした。
リスクの無い、反撃しない弱者に依存する原則が行使されたと。
彼女と同様の絵を自分も高校時代に描いた覚えがある。

そう、「自分の周囲に眼が大量にある絵」だ。

四六時中魂を物色する、他人の主体を欲する眼、あれが悪魔の正体だろう。
生霊、ストーカー、毒親、フレネミー、依存者達のおぞましい執着心。
八つ当たり、サディズム、責任転嫁、引き下げのターゲットにされた。
愚者の自己肯定の生贄であり人柱、聖者の苦しみが彼等の喜びとなると。
虚無を刷り込む教育制度には自分を納得をさせる生贄がいるハズだ。
相対的に実感する、悪魔の救いは聖者の苦痛であるのは間違いない。
もっと掘り下げるにしても、今言えるのはこれくらい。

この考察自体がスターシードの役割だろう、つまり白魔術となる。
徐々に伝播し、派生して胞子のように拡散する。
やがて犠牲はいらなくなるはずだ。
地獄から這い出た亡者たちの結界を破壊するのだ。

あと、最後に欲太りの傲慢なガンダムファンに言ってやりたい事がある。

「アナタ、汚い眼をしてるのね?」と。

お前らニュータイプと真逆だな?
それだけ好きなハズなのに、テーマを何一つ理解してないっていうね。
所詮は流行に流されただけ、誰かにマウント取る為の趣味だろう。
きっと自分で好きなんじゃなく、相対的に好きなんだろう。
所詮は誰かが見出した価値に便乗し、ただ他人と張り合ってるだけだ。
いくら「させるかさせるか」言ったって一生ニュータイプにはなれない、
つまり、

「そういうタイプ」だよ。


おしまい。

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