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本物の文章には生命が宿っているかもしれない🐼 文章を書く楽しさを知った人は人生の最期まで幸福である💛

私は中高年になってから文章を書くことの楽しさを知った一人です。その楽しさの一つは、書き始めた当初は文章の結末が自分でもわからないことです。これは、小説や漫画、随筆(随想)、詩などを書いている人には、もしかしたら理解できることかもしれません。逆に、最初から結論ありきの評論や論説を書いている人にはわかりにくい話ではないでしょうか。

今回は、テーマだけで見切り発車で記事を書き始めると自分でも意外な結末になって面白い、という話について書きます。


昨日の記事はこちらです。

今日の記事を書くきっかけになったものは、こちらの記事です。



結末がわからない記事は作者も楽しい

前述した2番目の記事で、私は以下のように書きました。


今回は、私たちnoteクリエイターの秘かな願いについて取り上げます。いつも通りの雑記となります。全く計画性がなく、思い付くがままに書いて行きます。

なお、計画性のない記事は、見切り発車になります。そのため、自分でもその終着点が見えません(笑)。それが記事を書いている人間側の楽しみの一つかもしれません。

誰かの心を打つ記事を書き続けることが私たちの秘かな願いである💛🐼

今日の記事もそうなのですが、現時点で私は結末が決まっていません。つまり、「最後に」の部分が私にもわからないのです。

これは、私にも非常に楽しいことであり、過去に出会った小説家や漫画家でも似たようなことを言っている人たちが複数名いました。

10代や20代の私はそれらの話を聞いてもあまりピンと来ませんでしたが、今ならばよくわかります。

テーマだけ決めて書き始めると、そのような展開になりやすいのです。

さらに、テーマだけ決めても、記事タイトルを決めていないこともあります。そのため、「最後に」を書いてから、記事タイトルを書いたり当初予定していた記事タイトルを変更したりしています。

本物の文章には生命が宿っているかもしれない🐼 

「文章に生命が宿っている」という表現は、少し仰々しいです。しかし、本物のnoteクリエイターは、私同様に誰かの受け売りではない自分の言葉で文章を書いています。

ですから、自分たちの文章がまさに「生きている」ように感じるわけです。記事タイトルと大見出しで書いた「本物の文章には生命が宿っているかもしれない🐼」とは、まさにそのような「感じ」のことです。

私は言葉に導かれるように文章を書いています。そのため、当noteの主人公である私が、実は何かに導かれているような錯覚を感じます。

これは、経験者にしかわからない体験かもしれません。

ちなみに、私の超絶痛い肩凝りの原因は、この導きに際限がないことにあります。言葉に導かれて、表現が止まらないのです。これは、ある意味、脳の病気かもしれません(笑笑笑)。

文章を書く楽しさを知った人は人生の最期まで幸福である💛

過去記事でも似たようなことを書いたのですが、文章を書く楽しさを知った人は、人生そのものが楽しいと思います。

私も人生後半突入と同時に、無料ブログやワードプレス、そして、noteに出会いました。

今振り返りますと、これらとの出会いは本当に幸運だったと思います。ある程度健康を維持できれば、80~100歳になっても、noteにおける記事投稿をきっと楽しめるはずです。また、それを目指しています。

最後に ストレス解消

私は文章を書きながら、自己表現と人生を楽しんでいます。それと同時にストレス発散もしています。このストレス発散のおかげで、案外長生きできるかもしれません。

<今日の日記>

強烈な痛みを伴った肩凝りが随分軽くなってきました。この調子で短文記事で乗り切る予定です。今の調子ならば真夏の暑さも乗り越えられそうです。

イラスト素材:幸せパンダ

お陰様で体調が良くなってきました。最近あまりできていなかった英語英会話の学習(復習)もまた少しずつ開始しています。今の私を表現しますと、下のようなイラストパンダになります(笑)。なお、肩凝りは7、8割程度痛みが軽減しました。でも、軽めの記事にしておきます。


今日の記事はここまでです。
文字数は1,700字を少しだけ超えました。
最後までご覧いただきありがとうございます。

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