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down the river 最終章⑨

朝5時、ユウは自然と目が覚めた。
昨晩、全部終わる、全てを叶えて全てを終わらせる、ユウはそんな思いを胸に缶ビール1本の柔らかな酔いと共に眠りに落ちた。
睡眠時間はおよそ6時間程度だがしっかりと覚醒している。
今まで経験してきた事、思いがユウの胸を心地良く焦がす。
20年未満の人生ではあるがこれほどまでに清々しい朝を経験した事は無い。

「本来朝ってこうあるべきだよな。」

ユウは床に置いた煙草を手に取り、火を点けた。

「マルボロ…か…これもそろそろ飽きたな。」

紫煙を吐き出しながら独り言も一緒に吐き出す。
いつもの朝の光景だ。
ユウは煙草を吸い終えると、身支度を整えると1階に降りて食堂で朝食を済ませた。

「ンフフ、絶好調。缶ビール1本だけ飲んでくか…。いや…でも…そうはいかんか…」

自動販売機の前を何とか素通り出来たユウは、自室へ戻り煙草に火を点けた。
スタジオへ出かけるにはまだ早い。
車を持たないユウはバスと電車を利用してスタジオへ向かわなければならないがさすがに早過ぎる。

「松川さん…まさか…フフフ…お金持ちの社長のところに嫁入りとはね…この俺がだぞ?信じられないな。全ては敬人のおかげ……か…そしてその敬人を作った…あーくんのおかげ…なんだよな…。」

ユウは天井に向かい紫煙を吹き上げた。
紫煙は白い天井を撫でながら見えなくなっていく。
そしてユウは「敬人」の名を口にした瞬間から鼓動が速まっていくのを感じた。
息も荒くなっていく。

「タハハ…初恋は…ハァハァ…身体に刻まれた初恋は…初恋の呪縛は…中々…ハァハァ…俺を解放してくれないな…。なぁ…タカちゃん…。そろそろ解放してくれてもいい様な気がするけどなぁ…。今も居るんだな…敬人ではなく…タカちゃんが…俺の中に…ハァハァ…」

ユウは自分に落ち着けと言わんばかりに煙草を思い切り吸い込んだ。

「よし、早いが…もう行こう。こんな部屋にずっといたら気が狂うぜ…。」

ユウは煙草を乱暴に消すと機材と楽器を肩に背負い、スタジオへと向かった。

・・・

かなり早目にスタジオに着いたつもりだったが、スタジオのロビーには既に尾田の姿があった。

「お?来たな?早いね。まだスタジオ先客が入ってるから準備も出来ないんだ。」

ユウと目が合うと尾田はすぐに話しかけてきた。
ユウは軽く会釈をすると尾田の向いに腰を降ろした。

「尾田さん…俺…一緒に住む人が出来たんです。」

テーブルの上に両手を乗せて尾田の目を見ながら、様子を伺う様な身振り手振りでユウは切り出した。

「一緒に住む人?彼女?それとも彼氏?」

「彼氏…みたいなもんです…か…ね…?」

「そっか…で?Z-HEADに入る事になってもそれは問題無いのか?」

「…無いです。問題無いです。」

「フフ…そうか、そりゃひとまずはおめでとうって感じかな?ユウも苦労してきたからね。俺に話してくれた事はほんの一部なんだろうけどさ。ハハハ、しかしいつの間に愛を育んできたんだよ。全然知らなかったなぁ。」

「愛を育んでって訳じゃないですけど…」

「ん?」

「…。」

「言いたくなきゃ言わなくていいよ。俺はユウの苦悩を比較的近くで見てきたからね。そんなユウが幸せならそれでいいさ。幸せ…なんだろ?ん?」

「…えぇ…まぁ…」

尾田はユウの返事を何とも言えない目つきで見つめていた。
見つめる、睨むと判断付きづらい不思議な目つきだ。

「そうか…。でもな、Z-HEAD加入の判断はしっかりさせてもらうよ?いいね?」

ユウはそう言った尾田の笑顔に笑顔で返した。

「当然です。しっかり判断して下さい。ハハハ!」

「その言い方は自信あり…か…。楽しみにしてるよ。」

「楽しみ」と言う尾田の目は全く笑っていなかった。

・・・

Z-HEADの創設メンバーでありメインソングライターである加賀美と尾田は驚いていた。
1曲目が終わり、加賀美と尾田は呆然としており、ボーカリストはあ然としていた。

「ユウ、素晴らしいよ。やっぱ天才だわ。加賀美、もう決まりだろ?」

「俺の思った通りだね。Blue bowを率いてただけある。尾田っちが良ければもういいんじゃね?」

「ハァハァ…尾田さん…こんなもんですけど…ハァハァ…」

ユウは息切れが止まらない。
それほどこの1曲に全てを捧げたのだ。
ユウのベースは攻めるところ引くところもしっかりと心得ており、作曲者の意図している部分に綺麗に沿っている。
ギタリストである加賀美の気持ちを考え静かにリズムキープに専念する部分、ドラマーである尾田の見せ場に華を添える部分、ボーカリストの邪魔せず歌いやすさを重視する部分、そして自らの見せ場は殺気すら垣間見える演奏を見せ、完璧に「ベーシスト」を演じきったのだ。

「参った、ユウ。すげぇや…。ハハハ…」

「尾田さん…。」

尾田はドラムセットの椅子から立ち上がるとユウの元へゆっくりと歩いてきた。
そしてユウの目の前に立つと汗に濡れた両手で汗に濡れたユウの右手を握った。

『あ…。』

汗が混じり合うその感触にユウは思わず性欲のスィッチが入りかかった。
しかしここは大事な場だという事は痛いほど認識している。
ユウは頭を軽く振り回し、その回路を遮断した。

「これからよろしく頼むよ?」

尾田はそんなユウの気持ちを知ってか知らずか、手を早急に離し穏やかに問いかけた。

「ハァハァ…あ、ありがとうございます。」

ユウは息切れしながら頭を軽く下げた。

『やっぱり…思った通りだったな。パーティーで学んだ通りだ。どうすれば気持ちよくしてあげられるか、どうすればセックスしている相手を喜ばせてあげられるかだ。音楽も同じ。皆をどう気持ちよくしてあげるかが大事だ。それを演じきれれば必要とされる人間になって…』

ユウは心の中でバンド理論を展開していたがピタリと停止した。
またあの音だ。
ギリギリ、ゴリゴリとすりこ木を擦る音がやたらと大きく聞こえる。

『演じきれれば…演じきれれば…演じ…えんじ…エンジ…エンジ…』

『ユウ、俺の前では女になれ』
『うーん、新田くんはいい女?アハハ』
『ユウって女の子みたいなとこあるから』

『俺は…女…?俺は…女の子みたい…?』

「ユウ、おい、大丈夫か?」

「ブハッ!ハァハァ…ハァハァ…お、尾田さん…ハァハァ…」

ユウは現実へと戻ってきた。
尾田は椅子を持ってくるとユウの前に置いた。

「座ってろよ。ユウは合格だ。だから今日は座って見てな。これからは体力と付けなきゃね。1曲でバテてたらライブなんかできないよ?」

ユウは無言で頷くとそのままゆっくりと腰を降ろした。

『前に進まなきゃいけないのに、いつまで俺の心に住み着いてやがる…。これから松川さんの家でひたすら性処理に励まきゃいけないんだ。邪魔をするなよ…敬人!哲哉!友原!弓下!そして黙って見ていた栗栖!哲哉を躾けられなかった神!消えろ!俺は前に進むんだ!』

両手を前で組み、険しい表情で見えざる敵を見据えるユウを尾田は演奏しながらもドラムセットの奥から密かに見つめていた。

・・・

「ユウ、何を見ていた?何が見えていた?」

「え?」

スタジオの会計を済ませたZ-HEADのメンバーと軽く話した後ユウはその場から離れようとしたが尾田に呼び止められた。
加賀美とボーカリストは既に帰っておりスタジオのロビーにはユウと尾田の2人しかいない。

「俺らが練習中、何を見ていたんだ?」

「…。」

「俺らの演奏は聴いていなかったろ?」

「すいません…。」

「いや、別に気にしなくていいし、怒ってもいないよ。ただ少し気になってね。よかったら教えてよ。」

「…これからの事…これからの事を考えてました。俺はどう生きるかを…。」

「そうか…。」

「へ、変な事…言ってしまってすいません…。本当に…。」

「新田優はZ-HEADの新しいメンバーだ。ウチのベーシストだよ。どう生きるかの答えはそれじゃあダメか?」

「いえ、十分過ぎます。ただ…」

「ただ?どうかした?Blue bowの事を気にしてんのか?それはもうケリがついた話だろ?」

「そうじゃないんです。Blue bowの事じゃないんです。」

「何だよ…一体…。うん…とりあえず俺の車に行こ?ユウは大切な新メンバーだ。話くらいいくらでも聞くさ。何かモヤモヤしてる事があるなら話せばいい。嫌なら話さなくていい。とりあえず俺の車に行こう。な?」

ユウは頷き、床に置いたベースと機材を肩にかけ直した。
尾田はその様子を確認すると車の鍵をポケットから出して歩き始めた。

「俺はな、ユウ…。」

「は、はい!…?」

尾田は歩きながら唐突に話し始めた。
ユウは一瞬驚いたが、尾田の口調から怒り等攻撃的なものを感じなかった為、歩きながらそのまま耳を傾けた。

「俺はさ、ユウみたいになりたかったんだよ。」

「え?嘘…ですよね?俺ですよ?…俺みたいにって…。」

尾田はユウに背中を向けたままで話し始めた。

「俺が音楽を始めたきっかけは、男女問わず、年齢問わず、皆から認められて愛されたかったからなんだよ。フフフ、簡単に言うとモテたかっただけだよ。ハハハ…。」

「俺は愛されてなんかいないです…利用されてきただけです…されてきた…そしてこれからも…です…」

「魅力の無い奴を抱きたいと思うか?いくら身体だけとはいえ魅力があるから寄ってくるんだろ?」

「そう…なんですか…ね…。」

「羨ましかった。迫島との初ステージ、ドラムを叩きながら俺は思ったよ。あぁ、俺もこんな風になりたかったって。男も女も虜にする異常な色気、今にも泣きだしそうな憂いを帯びた声、荒削りだけどセンスのあるベースライン、それを中坊でやって退けるんだからな…。俺のやりたかった事やなりたかった姿を中坊のガキがさ、あまりに見事に再現してるのを見て本当に凄いなって…思ったもんだよ。」

「尾田さんは俺の事…そんな風に…。」

ユウはあまりにも意外な人物から出た意外な言葉に返す言葉を失っていた。
自分から見て遥か上を歩む人間である筈の尾田の口から出たとは思えない内容だ。

「乗れよ、送るから。」

気が付くともう駐車場に到着していた。
尾田は笑顔で車の鍵を開け、スネアドラムとツインペダルを後部座席に積むと運転席へと乗り込んだ。
ユウもベースと機材を後部座席に積み、ペコリと頭を下げて助手席に乗り込んだ。

「ユウ。お前は俺のなりたかった姿だ。」

「ありえないです…尾田さんが…なんで…」

2人の間に30秒ほど沈黙の時が流れる。
それに耐えきれなくなったユウが切り出した。

「飼われるんです。」

「ん?どゆこと?」

「お金持ちの社長さんに…うぅ…これでいいのかなって…尾田さん…ねぇ…俺…これでいいんですか…?…うあぁ!」

ユウはよくわからない感情を剥き出しにしてしまった。
ユウはなぜここで泣きだし、全てを尾田に打ち明けてしまったのか理解出来なかった。
ユウは話した。その全てを話した。
Blue bowとZ-HEADは度々ブッキングしていたので中学校時代と高校時代の事はほぼ全て尾田に打ち明けていたが、乱交パーティーに佐々木と共に参加していた事、母親に自分がバイセクシュアルである事が知れてしまっていた事、そして松川と出会い、その松川に性欲処理専属使用人として家に入る事、その為に会社を辞めた事は尾田に話していなかった。
そして今、涙でその罪とも取れる出来事を洗い流すかの様に尾田にその全てを打ち明けた。
そして最後にユウは付け加えた。
泣き過ぎて吐いてしまいそうな苦しみの中、最後に付け加えたのだ。

「尾田さん…俺…Z-HEADを奪おうとしてました…俺のものにしようとしてました…。」

フロントガラスを見つめて話を聞いていた尾田はゆっくりとユウの方へと顔を向けた。

「Z-HEADに加入したら…活動資金を全て俺が持つつもりでした…それを武器にボーカリストを追い出して…尾田さんと加賀美さんを使って…自分がのし上がろうと…すいません!そんな事を…そんな事ばかりを!考えていました…。俺は…本当に…クソ野郎です!!こんな奴を…Z-HEADに…入れてはいけない!尾田さん!ダメです!」

尾田の目は穏やかだ。
ユウは尾田からの叱責、そして暴力は覚悟していた。
しかし尾田の目に変化は無い。

「ユウ、Z-HEADの話はいい。嫌な言い方だけどユウごときに奪われるバンドじゃない。俺と加賀美を甘く見過ぎだよ。活動資金だってお前に世話になるほど枯渇してるわけじゃない。だから安心してウチで音楽をやりゃいい。」

「怖くなってきたんです…」

「怖い?」

「全部思い通りになってる…こういう時…必ず罠があるんです…だから…このまま調子に乗っていていいのかなって…そして松川さんのところに行くのも今更ですけど怖くなってきたんです…。」

「じゃあ一つ一つ考えていこうよ。全部思い通りになってる、こういう時罠があるって?それは違うよ、ユウ。」

「ち、違う…?」

「うん、全部思い通りになるわけないんだよ。罠なんかじゃない。最初から用意されているシナリオだ。それがわからなくて、罠だと感じるのは周りが見えていない証拠だよ。それに人の運勢だの運命だのは上がり下がりが絶対にある。調子に乗れる時に乗らないでどうする?調子に乗るのは悪い事じゃない。下がり調子になった時に周りからそれ見たことかと言われない様にキチンとした行動をしてればいい。そうすれば上へ引き上げてくれる仲間が必ずいるはずだ。それと松川とかいう奴のところへ行く事だけど、まだ契約は結んでいないんだろ?ならばキチンとその旨松川に伝えるべきだ。…何か他に疑問や未解決な事はある?」

ユウは少し考え込んだ後、落ち着いた口調で返した。

「無い…と思います…」

「正直言うとZ-HEADを乗っ取るって発想は驚いたけどね。ハハ…。その他はユウならやり兼ねない事だと俺は思う。」

ユウは尾田の乾いた笑顔を見ると再び何かを思い出したかの様に感情が昂ぶり始めた。
ユウ自身もなぜこれほど感情が昂ぶるか理解出来ない。
抑え込んだはずの感情が爆発する様に溢れ出す。

「でも…怖いです…。俺は前に進むのが怖いんです!進まなきゃいけないのに!俺は…もう…裏切られたくないし…裏切りたくない…安らぎを求めて松川さんのところに飛び込むつもりだったのに…怖くて…怖くなって…」

「ユウ!」

尾田は突然ユウの右手に左手を重ねた。
厚く、そして熱い手だ。
尾田はその手に力を込めると前を向いたまま話し始めた。

「ユウ、生きるという事は戦いだ。そしてその戦いは死ぬまで終わらない。自分で挑んだ戦いは自分で決着を付けなきゃいけない。わかるか?その考えの軸になるのはあくまでも自分がどうしたいかって事だ。」

「自分がどうしたいか…?」

「そう。松川に飼われたいのか飼われたくないのか、ただそれだけだ。」

「…。」

ユウの表情が数秒毎に変化する。
何かを考え、何かを綺麗にまとめようとしている。
様々な感情が入り乱れているユウを尾田は横目で確認すると、浅くため息をつき、話を切り出した。

「ユウ、送って行こうか?この後どこに行くのか知らんけど。」

「…いいです…。自分で行きます…。自分の足で。」

尾田の問いかけに返事をするユウの表情の変化が止まった。

「そっか…」

ユウは助手席側のドアを開けると、ゆっくりとした動作で外へ出た。
その様子を尾田は見る事なく前だけをみている。
そしてユウは後部座席からベースと機材を取り出すと運転席側へ回ってきた。
それに気が付いた尾田は何事かと運転席側の窓を開けた。
するとユウは突然尾田の右頬へ唇をつけた。

「尾田さん、女の子にするみたいに優しく包んでくれてありがとうございます。フフ…俺、自分で行きます。勇気…貰えました。」

「…。」

尾田は驚いた表情のまま動かない。

「じゃ、行きますね。」

「す、全て終わったら電話してくれよ。か、必ずだ。夜遅くてもいい。わかったな?」

「はい!尾田さん!ありがとうございます!…尾田さんの事大好きです!」

ユウはそう言い残しその場からいなくなった。
辺りに静寂が訪れる。

「大好き…か…。軽く言いやがるな…まったく…末恐ろしいガキだ…」

車の中で尾田は右頬に付いたユウの唾液を右手で拭き取った。

「マリッジブルーってヤツなのかな…。わからんな…ユウの考える事は…。」

尾田は車のエンジンをかけた。

「全てにケリをつけて…必ず戻って来いよ…天才…。」

尾田はそう呟くと、運転席側の窓を閉めて勢いよく駐車場から出ていった。



※いつもご覧いただきありがとうございます。down the river 最終章⑩は本日から6日以内に更新予定です。
申し訳ございませんが最終章は6日毎の更新とさせていただきます。
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今後とも、本作品をよろしくお願いします。

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