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追っかけるほどに逃げてゆく未来 〜よく見れば未来からの贈り物かも〜

紀元前660年2月11日、日本の初代天皇(神武天皇)が即位しました。この日を日本の建国記念日と定めています。

また、神武天皇が即位した同じ日
((2013年)2月11日)に 前ローマ法王ベネディクト16世は今月28日をもって退位すると表明しました(ローマ(CNN))。

当年とって85歳の出来事です。

法王の生前退位は、1415年のグレゴリウス12世以来初めてで約600年ぶりのこととなります。

一方、日本の上皇天皇は2019年4月30日に、生前退位が執り行われました。

当年とって85歳の出来事です。

折しもこの歳は前ローマ法王ベネディクト16世の生前退位と同じ歳(85歳)でした。

尚、天皇の生前退位は1817年の光格天皇以来初めてで約200年ぶりのこととなります。

この様に、ローマ法王は2013年に平成天皇は2019年に6年の間隔をあけて、両者共85歳の年齢で、さらに両者共平時には考えられない生前退位を執り行いました。

この両者の相似性は何を示唆しているのでしょうか?考えさせられる所であります。

ここまでの時間の流れをまとめて下記に示します。

 2005年4月19日:ベネディクト16世 教皇就任
 2013年2 月11日:ベネディクト16世
          生前退位表明(85歳)
 2013年2月28日:ベネディクト16世
           生前退位
 2013年3月19日:フランシスコ   教皇就任
 2019年4月30日:上皇天皇
           生前退位  (85歳)

ともあれ、何故ベネディクト法王は生前退位をしなければならなかったのでしょうか?

それは、
ベネディクト法王が国際慣習法裁判所から児童の人身売買、性的暴行、生贄に関与したとして有罪判決が下されたからです。

ここに、国際慣習法裁判所とは法の専門家で構成されている民間団体の裁判所であり法的拘束力のない裁判でした。

ところが、2013年に下されたベネディクト法王の有罪判決が下されてから約10年経過した現在において、

カトリック教会の子供への性的虐待等等の事実が明らかとなって来ています。

『バチカン 児童虐待』でググって下さい。
すぐにヒットしますから。

ここでは報道の一部を紹介します。


スペインのカトリック教会 20万人の未成年者が性的虐待被害か

NHK NEWS WEB 2023年10月28日 11時00分

また、バチカンはカトリック教会の総本山の顔ともう一つの顔を持っています。それは機関投資家の顔です。

世界最大の機関投資家と言えば保険会社と思われがちですが、そうではなくてバチカンです。さらに当然銀行も経営しています。

バチカンは前述の子供への性的虐待に加えて金融にまつわる不正事件が明るみに出て来ています。

『バチカン 不正』でググって下さい。
すぐにヒットしますから。

これを日本に例えるならば、伊勢神宮がお賽銭を溜め込んで株や金貸しをしている事、と同じであります。

日本ならば『神もへったくれもあったもんじゃ無い』となり、伊勢神宮に参る人はいなくなるでしょう。

ところが、まかり通っているのがバチカンです。従って、当然富の分配の戦いやそれに伴う欲得が蔓延する土台が出来上がった様ですね。

ともあれ、バチカンの寄付金の減少も問題になっているようです。

更に、バチカンの未来を暗示した予言書があります。それは『マラキ予言』と言われています。

『マラキ予言』のブログはこちら↓

このブログの概要は以下のとおりです。

ベネディクト16世の次の法王の時、ですからフランシスコ法王の時に、カトリック協会(バチカン)が崩壊していく、と言うこととなります。

したがって、時代的には今の今となります。

ヨーロッパにおいてはバチカン(カトリック教会)が崩壊していくと言われている中、

ちまたでは、日本の126代天皇(令和天皇)がラストエンペラーになる、との噂が流れています。

一方、21世紀初頭より時代は西欧から東洋に移って来ています。

詳しくはこちらに書いてます。
よろしければごらんください。

また、今は亡き未来派学者のドラッガー氏が
『2000年初頭より世界は日本を中心にして変わって行く』と言っていました。

こんな中、華頂さんはYouTubeの『華頂の部屋』にて

126代天皇(令和天皇)の時に『世界の心が一つになる』とおっしゃっています。

『華頂の部屋』はこちら↓

『カトリック教会(バチカン)が崩壊する』とか、
『令和天皇がラストエンペラーとなる』とか、
はたまた
『世界の心が一つになる』とか、

いよいよ、世界は既に激動の時代に突入しているのかも分かりません。

表に出ている現象をとらえればこの様な結論へと導かれて行きます。

ところが私は、激動の時代をむかえたとしても過去に生じた世界戦争の様な激しい激動ではなくて、もっとソフトな激動を迎えるのでは無いか、と考える様になって来ています。

それは、脱化石燃料に向けた再生可能エネルギーや水素(水)を原料とする核融合エネルギーに対する石油メジャーからの強力な軋轢が見当たらないからです。

ヒョットしたら現人類は個人や企業、更には国家の利益のみを追求すれば、いずれは国家ひいては企業や個人が不幸になることを、

と言うか、現在の社会は過去の社会と比べると社会のシステムそのものが個人や企業、更には国家の1人勝ちが許されない社会システムへと、知らん間に変容しているのでは無いだろうか?

現人類は第二次世界大戦時に見られた暴力による富の奪い合いを、やりたくともやることができ無いほど変容してしまった社会システムの中で、暮らしているのでは無いだろうか?

それがために、第二次世界大戦を経たからこそ金本位制が出来上がったと言われている激甚の変革を、現人類が再び起こすことが不可能となって来ているのでは無かろうか?

とするなら、向こうのほうから平和が勝手にこちらのほうにやってくることとなる。

そんなことってホンマかなぁ。

縄文人に聞いてみれば良い。

最後まで読んで頂いて、、、
ありがとうございます。

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