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“自分”という生き方のプロになれ。

ふと、“その他大勢”感に襲われたとき、「恐ろしいけど面白い。これがプロとアマの境界線」という江頭2:50さんの言葉をいつも思い出すようにしている。

ある売れっ子漫画家は「締め切りがあること」がプロの条件と言っていたけれど、他人を巻き込んだ共同作業の世界でしかその言葉は通用しない。24時間自己責任の“生き方のプロ”とは、その瞬間、その場の空気の流れを少しでも動かせる人間のことを指すのだとわたしは思う。

以前、わたしは書店や家電量販店に立って、通りすがりの人に高額な語学系のソフトを販売していたことがある。中には冷やかし半分で議論をふっかけにくる人もいる。あるカナダ人の女性は、片言の日本語と英語で作家の三島由紀夫について語ってきた。学生時代、三島由紀夫に関する評論を読みまくっていたわたしにとって、それは完全にホーム試合。三島が自決当日に着ていた軍服が、渋谷の西武百貨店でオーダーしたものであることまで知っていたわたしは、その場の空気の流れをかっさらい、カナダ人の女性にはフランス語学習者向けのソフト(定価約8万円)を即決していただいた。

世の中には、自分に自信が持てないことで悩んでいる人が結構いる。けど、そんな人たちが望んでいるのは“ある程度の自信”であることがほとんどだったりする。お金持ちになりたいと思う人が望んでいる額が、根拠のないそこそこの金額であるのと同じように。

自信は、自分を信じることで生まれてきてくれるほど素直ではない。人は他人との関係性という海の中でしか生きられない。だから、自分を信じるということは、結局他人様がいることで生じた身の回りの関係性に依存しているに過ぎないのである。

自信は、自分をクレイジーなまでに信頼することから生まれる。“どうにかなるさ”と自分に言い聞かせた数に、自信の厚みは比例する。

わたしの知り合いのオッサンは、いつも“チクショー”が口癖だ。デブでハゲで独身でいつも腰が痛くて、金も定職もないけど、どう見ても人生のプロであることは間違いない。昨日は、まだ始めて間もないのにルービックキューブの大会に出たらしい。えっ、いまさらルービックキューブ?こんな時代に、その歳で貴重な生命時間をルービックキューブに捧げるの?いやいや、彼は生き方のプロだからしょうがない。

たとえ、メンタルやられて、毎日喰って寝て、ク◯するだけの生活を送っていたとしても、どうにかなると自分に言い聞かせているヤツは本当に息を吹き返す。自分で自分の逃げ道とか可能性をふさいじゃうから、暴発してとんでもない事件とか起こすんだよね、人って。

「こんな自分の生き方、真似できる?」
「いや、できません」
こんな小さな勝利の積み重ねで、少しずつその場の空気を動かせる力って付いてくるとわたしは思う。

とか言ってる自分もまだまだアマチュア。今日も稽古だ、人生の。

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