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「なんで報告してくれなかったの?」はお門違い

バツイチ子持ち京大卒元メガバンカーで現在プログラミングスクールに通っている総一郎(人生2周目)です。


友人が結婚したという事実を共通の友人づてで聞いてちょっと寂しい思いをしたりする。

後輩の退職の報告を後輩本人ではなく上司から聞いてちょっとショックを受けたりする。

そんな寂しさのあまり

「なんで相談してくれなかったの?」
「なんで報告してくれなかったの?」

と相手を責める人がいるが、お門違いだと僕は思う。
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▼「なんで報告してくれなかったの?」はお門違い
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自分が結婚を決めた時、自分が退職を決めた時、”誰に” ”どの順番で” ”いつ” 伝えるか?悩んだ覚えがある。

これは僕だけではないだろうが、

まず迷わず真っ先に伝える人たちがいて、

それ以外の人たちに対しては「マナーだから」とか「同じコミュニティのあいつにも言うから」とか色々な要素が絡んでくる。

いずれにせよ、ひとことで言うと、「自分にとって大事な人から順番に伝えていく」ということだ。

逆に、

「この人には伝えなくて良いかな…」
「この人に伝えるのは後で良いかな…」
「この人の耳には入れたくないな…」

というふうに感じる人は、自分にとって優先順位が劣後する "そこまでの人" なのだ。

自分が報告側の時、無意識的にしろ意識的にしろこうして優先順位をつけて報告や相談をしていく。


つまり、逆の立場で考えれば、

自分に報告がなかったり相談がなかったという事実は、相手にとって自分は "そこまでの人" だったということだ。


その事実はたしかに寂しいしショックだ。


自分が可愛がっていた後輩だったり、自分は相手のことを大切に思っていたりしたらなおさらだ。

ただ、だからと言って、寂しさのあまり

「なんで相談してくれなかったの?」
「なんで報告してくれなかったの?」

と相手を責めてもその事実は変わらない。
#このケースに限らずあらゆる過去の事実は相手を責めたところで変わらないのだが

「あんなにお世話した俺になんで報告が無いんだ?」
「こんなに仲良しだった私になんで相談してくれなかったの?」

と責めたくなる気持ちも分かるが、事実、報告や相談が無かったのであれば、

「こんなにお世話した」は相手にとってはお節介だったのかもしれないし、
「こんなに仲良しだった」も片想いだったのかもしれない。

いずれにしても、 "こんなに" と思っていたのは自分だけで、相手からしたら自分は "そこまでの人" だったというのが事実だ。

この事実は事後的にいかに相手を非難しようが変わらないし、

マナー違反だと相手を非難しても、相手にとって自分が、もっともっと重要度の低い、"そこまでの人" 以下の人間になること間違いなしだ。


その事実は受け入れ難いかもしれないが、その時責めるべきは相手ではなく自分だ。

相手にとって "そこまでの人" にしかなれなかった自分を省みなければならない。

相手にとって自分が「大事な人」「お世話になった人」「仲良し」だったのであれば絶対に相談や報告があったはずなのだから、

自分は相手にとって「大事な人」「お世話になった人」「仲良し」になれるだけのGIVEや信頼関係の構築をしてこれなかったということだ。


「なんで報告してくれなかったの?」はお門違い。


手厳しい自責の考え方だが、
勇気を持って事実を受け止め改善に努める。

これが ”勇気の心理学" アドラー心理学の考え方で、僕が大切にしている考え方だ。

相手のせいにしていては成長はない。

変えられるのは自分だけ。

そういう自責思考の人に囲まれる環境に身を置き、成長していきたいものだ。


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