見出し画像

アニメ『REVENGER』 第2話時点での禁教令・外交史を含めた考察

※当記事は、おそらく明治維新が成り、禁教令が解かれるまでが描かれるのではないか、という憶測に基づいて記されているため、しばしば飛躍がある。ご勘弁願いたい。
また、筆者は歴史の素人である。間違えて覚えていることもあると考えられるため、ご容赦願いたい。

最初に思ったのは、潜伏キリシタンの復讐劇だ、ということである。しかし、そのような危険な環境で、確かに恨みを募らせたであろうものの、何かしらの後ろ盾があって彼らは義賊的な暗殺稼業をしているのだろうか。
また、司祭のジェラルド嘉納(イギリス人とのハーフ?)はいわゆる「禁教令」とどういった過去があるのだろうか。
本稿は、こうした疑問があったため、少し歴史を振り返ってみようという試みである。

■禁教令と外交史


最初のキリスト教禁止令は、ポルトガル人が「日本人が日本人を売るのが悪い」といって人身売買していたことに豊臣秀吉が憤り、発令したとされる。
以後、「崩れ(キリシタンの存在が発覚する事件)」が度々起きては弾圧したものの、諸説あるが、理由は、
・スペイン・ポルトガルによる日本征服の第一歩ではないかと疑った
・仏教を統治に利用していた(刀狩は仏像を作るためなど関係性を強めた大きな事件あり)ところを、当時は一神教原理主義であったキリシタンが寺を各地で焼いた
からであると思われる。

徳川の時代になると、当初は厳しく禁教をしていた訳ではなかったが、キリシタンは幕府の支配体制に組みするのを拒絶、次第に幕府も態度を硬化させる。日本の植民地化計画を立てていたイギリスに対し、目的が合致していたオランダから情報を得続けていた。
しかし強硬するキリシタン大名は収賄事件(岡本大八事件)を起こし増長、ここから徳川は禁教を強め改宗を迫り、寺請制度を推進した。
この大弾圧によりヨーロッパ圏はさらに布教熱を強め、なかには日本に潜入布教する者も現れた。ここからおもにローマカトリック教会が台頭する。

大弾圧が進み統制が取れたところで、幕府は鎖国令を出す。鎖国令が構築されていく中で起こったのが島原の乱である。
以後、崩れとの関係として補足しながら時系列にあげる。

●年表


・天草崩れ(1805年)→田んぼの検地が不当であったため食い詰めたから捨て身の一揆になった。
アヘン戦争(1840〜1842年)→清が負けたのでは鎖国は難しいと異国船打払令を出して軟化政策をとった。
・クリミア戦争(1854年)→イギリス海軍は、ロシア海軍の艦船を拿捕することを名目に長崎に侵入、日本の中立を侵犯。そののち日英和親条約が調印。
・日米和親条約(1854年)→アヘン戦争後に各国から開港を打診され、日本の港で燃料・食糧の補給を許可する。
全4回の浦上崩れ(1856〜1867年)
・日米修好通商条約(1858年)→不平等条約による貿易開始。同年、イギリスが再び日本の中立を侵犯し、日英修好通商条約を調印。
・五榜の掲示・五島崩れ(1868年)→最後の禁教令。キリスト教国からの非難があり禁教令の緩和が取られ始める。

和親条約から修好通商条約の間はわずか12年。開国はオランダの入れ知恵だし、イギリスはオランダと敵対し続けていたし、アメリカはそもそも最悪なカトリック社会から逃げてきた人達が作った「自由の国」。

■作品との関わりについて


流れを把握した結果から先に申し上げると、はっきり言って彼らの活躍は創作だろうとしか思えないでいる。得する以上に損をするからである。

2話で「アンゲリア」との台詞があったためイギリスでほぼ確定したものの、本国が乗り出しているのであれば、イギリス側の目的が宗教侵略以外に浮かばない。
しかし今作は潜伏キリシタン。弾圧に対する怒りから裏で本国と関係性を裏で結ぶにも、あまりにも時間がないように思われる。

であれば、修好通商条約によって金銀が大量に海外流出して財政が逼迫し、その余波を各地が被っていたことが倒幕へと向かっていく、という流れに絡めて考える方が自然で、貧しくて食い詰めているところからこの影響下にあるのは納得できる。
しかしながら、時代劇には「後ろ盾」が絡んでいるのが常。そう考えてしまうことが深読みなのだろうか。

後ろ盾がある場合、誰かが死ねば誰かが得をするが、そのような者を潜伏キリシタンが信用して仕事を請け負うリスクを負うだろうか。あったとして坂本龍馬などが挙げられるが、龍馬が闇堕ちするのを高知県が許したのだろうか。(見た事がないので見たい気もする。)

英国と直接的に関係はしないが、仇敵が何かしら幕府への内外からの圧がかかったとか、そういう展開になって、これが薩長と関わっていって倒幕へと向かうのだろうか。
しかし、倒しているのは長崎の要人だろう。龍馬にとって邪魔な人間が死ねば龍馬は真っ先に疑われるような位置にいたのではないだろうか。となれば関わりをどう取るのかさっぱりわからない。

また、至極単純にキリスト教禁教令へのリベンジだという話だとしたら、要人暗殺によって藩は面目丸潰れ、あんな呑気に酒池肉林を楽しむだろうか?
『REVENGER』の彼らが何かするのは、まさにリベンジのみだ、なんて脚本を虚淵玄先生が描くとは到底思えない。

こうした情報のなか、まだ一つ気になってる点がある。ジェラルド嘉納(英語圏の名前)というハーフのサングラスおじさんである。
公式サイトには、

長崎のどこかにある半壊した礼拝堂を拠点とし、町の利便事屋を取り仕切っている司祭。恨噛み小判が届けられれば利便事屋たちに標的の情報を与え、見事に利便事を成し遂げた者には祈りの言葉と報酬を授ける。戦国時代に伝来した一神教の信者であるが、長い禁教と弾圧の中で、その信仰は独自のものに変質してしまっている。

と説明されており、これによって戦国時代であればイエズス会なのではないかと思われるが、問題は「なぜ英語圏の名前なのか」である。

ヨーロッパ圏との国交および外交史は以下である。
日本では、1549年に宣教師フランシスコ・ザビエルが来日して以降、キリスト教の布教が行われて次第に改宗しキリシタンが増えていった。信長はそれより鉄砲を求めており、布教を取り立てて制限することはなかった。なお、監視体制は敷いていたようである。

1580年に熱狂的なイエズス会信徒である大村純忠(キリシタン大名)は、長崎の統治権をイエズス会に託した。
その理由は、長崎をイエズス会専用の港にすることで南蛮船がもたらす貿易利益を独占しようとした大村純忠と、戦乱の影響を受けずに安心して使える港を探していたイエズス会の両者の利害の一致があったことによるものとされている。
しかし純忠は、その信仰心から、領民への改宗強制や仏教や神道への迫害を行ったため領内で反発されている。

その頃、ポルトガル人から「日本人が日本人を売るのが悪いのだ。買う我々のせいではない」などと宣われた秀吉は、これを危険視。加えて、スペイン・ポルトガルによる日本征服への足掛かりなのではないか、という疑惑を持つ。
そのことから、秀吉は、1587年にバテレン追放令の発布を固める。また、この際に長崎をイエズス会から取り上げて直轄領とした。
当時のキリシタンの数は10万を超えていたとされ、全国各地にいたが、圧倒的に西日本に多かったとされている。

一方、イエズス会の内部には、武力による日本・明国の征服を主張する者もあった。秀吉の読みは不明だが、行動は正しかったのである。
イエズス会は、九州のキリシタン大名を糾合し、長崎を軍事拠点とする具体的な計画も立てていた。

さて、ここから「崩れ」が進む訳であるからして、治世として極めて妥当性は高いといえる。
もちろん、その中で殺害されたり迫害された人も多かったはずだが、海外と繋がりがあるキリシタン大名による猛攻は軽視できるようなものではなかったはずであり、また一神教原理主義という性質による一般人殺害も横行していたのである。先方の正義は、日本を侵略することにあり、日本がどうなろうと知ったことではないと判断するための材料は、十二分に足りているのである。

しかし、再三申し上げているが、これは英語圏の話ではないのである。
1644年以降は国内にカトリックの司祭が一人もいない状況になり、国交はヨーロッパではオランダと国交を行うも、オランダとイギリスは日本との国交以外のところでも不仲であった。
またその間にイギリスは日本に対して強硬姿勢を取り続けている。日英関係を調べていただければ分かることだが、イギリスは日本を、しかも長崎を襲撃したり侵犯したりしてばかりなのである。

ごちゃごちゃして申し訳ない。
まとめると、これらのことから、なんとも簡単な話になってしまうのではないだろうか。「迫害されたから、報復している」ということに。
潜伏キリシタンはキリスト教国と交流していなかったからこそ独自進化したとされているが、それはそのままであって、そもそも本来の潜伏キリシタンとは別物なのではないだろうか。

何を追加したらこういう設定になるのだろうか。まったく分からないが、時代劇にとって「後ろ盾」は絶対正義の暗黙のルールであるため、それを抜いてくるとは、私個人としては、到底思えないのである。
大いに裏切っていただきたい。

この記事が参加している募集

アニメ感想文

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?