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科学技術の進歩が『終活』に与える影響

以下の記事を読んでの所感です。
時代は巡るというか
同一のカテゴリーではありませんが
論争はカタチを変えて
やってくるのかもしれません。


生命を創ってきた過去

科学技術の進歩はときに
生命を中心とした「倫理観」の問題に辿り着く。
死者への畏怖の念などを軽視し
亡き人を冒涜することに
繋がることになるのではないかなどの
論争が起きることは歴史的に見ても明らかである。

たとえば
1996年7月
世界初の哺乳類の体細胞クローンである
「ドリー」が誕生し
世界中で大きな話題となった。
研究としては成果があった事例でしょうが
やはりここでも生命に対する倫理的な問題が
かなり熱を帯びて論じられていたように思います。

但し、クローン技術は
畜産分野において発展し
応用されてきた技術であり
ヒトにとって有用な牛や羊
たとえば牛乳の出がいいとか
肉質がよい
また遺伝子組換えによって
医薬品の原料をミルクに分泌できるなどの
条件を満たした個体を
効率的に生産するために
開発されてきたものとされています。

人間のクローニングが禁止されている理由

そのようなクローンに関する一連の議論の結果
当然のようにクローン人間の創出は禁止されます。

その理由の一部として以下が挙げられています。

人権侵害の可能性

クローンも生まれてくれば同じ人間ですが
クローンであることによる差別や
道具のような扱いを受ける可能性があること。

遺伝的多様性の欠如

クローンでは遺伝的多様性が得られず
単一の要因により
大きな被害を受ける可能性がある。
これは
クローンのみによる繁殖を行う種が
少ないことの一因である。

余談ですが
1991年に出版され爆発的にヒットした
鈴木光司さんの「リング」ですが
その完結編の「ループ」は
遺伝子が単一化されることによって
世界がどのようになっていくかを描かれており
(世界が山村貞子という個体に収斂されていく)
大変面白いです。
もっと余談ですが
「リング」「らせん」「ループ」は
三部作一気に読んでいただきたい。
ただの呪いのビデオの話では終わらない
大変壮大なストーリーです。

自然に反する行為

人間が人間の手で
1人の人間を作り出すことは
「神の領域」に
足を踏み入れることになり
命の自然な誕生過程を
人為的に操作することは
神を冒涜する行為とされている。

健康リスク

現在の技術では
クローン人間を作ることに対する
母体および子どもに対するリスクが
大きいとされている。
健康に成長する個体は
ほとんどいないという報告もある。

社会的・心理的影響

クローンは死亡するリスクが
高いと考えられており
優生学的な思想の持ち主に
利用される恐れもある。


これらの理由から
多くの国々では
法律で人間のクローニングを禁止しており
科学的な進歩にもかかわらず
倫理的な観点から
クローニングは許容されていません。

また
クローン技術の安全性や
効果に関する研究は
続けられていますが
人間のクローンを作ることに関しては
倫理的な問題が解決されるまで
禁止されると考えられます。

「生成AI」と「クローン」

近年「生成AI」が飛躍的に成長を遂げ
本物の人間かのように描かれたり
躍動感のある動きを創ることができたりと
「仮想人間」としてのポジションを
築きつつある時代になっています。

冒頭の記事は
そのような時代のなかで
当然のように生じた
ビジネスモデルのように感じます。

一読した際
「とんでもない時代になったなぁ」
「技術は目まぐるしく進歩しているなぁ」
「でもやっぱり結果そこに辿り着くよなぁ」
などが入り混じった感想を抱きました。

以前XJAPANがライブにて亡くなったhideさんを
ホログラムでステージ上に復活させたシーンは
当時大変度肝を抜かされましたが
今やそんな事例も「あたりまえ」になっています。
エンタメや学術的・芸術的なスタンスでの
このような「復活劇」は
倫理的側面を外れて
認められる猶予もあると
いえるかもしれません。

しかし、「一般人として」生活している人々にとって
このような生成AIによる復活はどうでしょう?
個人的所感としては
クローン技術と同様
あまり好ましくないように感じます。
倫理的側面に加え
故人の意志や肖像権などの問題が
考慮される必要があり
亡くなった後に本人の意志とは無関係なところで
「復活」させられることを
不快に感じることが多いような気がします。
自身の人格のないところで
声や顔などを使われてしまうことに関して
どのように思われるでしょうか。

科学技術に対する「意思」を
『遺志』としてを遺すこと

『終活』というものは
自分の生きてきた人生を
どのように片付けていくかという
側面を有していることから
自身の「考え方」から「身体のすべて」
髪の毛一本から骨に至るまでを
どのようにしていくかを考えることにも
発展していくものだと考えます。

冒頭の記事からいろんなことを考えた結果
自身の臓器提供についての意思を固めることを
同じような考え方ができるなぁと感じます。

臓器提供は
脳死後あるいは心臓が停止した死後にできます。
2010年7月17日に
改正臓器移植法が全面施行され
生前に書面で臓器を提供する意思を
表示している場合に加え
ご本人の臓器提供の意思が不明な場合も
ご家族の承諾があれば
臓器提供できるようになりました。
これにより
15歳未満の方からの
脳死後の臓器提供も可能になりました。

臓器移植についての詳細は以下をご参照ください。
公益社団法人日本臓器移植ネットワーク

公益社団法人日本臓器移植ネットワーク

今の時代、スマホに遺された写真や動画から
映像や音声は簡単に再現が可能です。
それを自身の意思とはまったく無関係なところで
まったく意に反した使い方をされることは
気持ちのイイものではないと思うのです。
遺族などからの視点では
故人の想い出をより鮮やかに保つ手段として
有効なことは理解は出来るのですが
それよりも保護しなければならないことは
故人の意思と尊厳と価値観です。

「生成AIを活用して自身を復活させること」の可否や
復活に賛成ならばその使用範囲や復活の内容など
エンディングノートに
記載しなければならないかもしれません。

少なくとも僕の作成したノートには
項目として追加しておこうと考えています。




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