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【連載小説】息子君へ 239 (45 俺はかわいそうだと思われたかった-10)

 どうせ理解してくれないだろうと思って拗ねていたつもりはないんだよ。今だって、こうやって、自分はどんなつもりでこんなことを思っているのかと書いているし、そういう話はいつでもできるつもりだった。けれど、伝えられる機会があって、話し始めたとしても、たいてい話はそのもっと手前で終わってしまっていた。
 俺はふとするたびにこういうことを思っているし、そんな話聞きたくないと言われたあとも、付き合っているひととか、関係の深い相手には、話せそうなときにはそういうことも話そうとしていた。けれど、そういうことにつながっていくような話をしていて、もっと話したいことがあるときも、自分がどうしてそんなふうに思ってしまうのかということをさかのぼって話そうかとするたびに、そういう話にかぎって、相手はその話の続きを聞きたいという態度を取ってくれなかった。
 俺はかわいそうだと思ってもらいたがっている態度で喋ってはいなかったのだろうとは思う。だから、自然な反応として、かわいそうにと言いにくかったのはあるのだろう。けれど、俺がそういうひとであること自体に何も思わなかったんだろうかと思う。俺がずっとそんな自分で生きてきてどんな気持ちだったのか感じて、それに何か思わなかったんだろうかと思う。かわいそうにと思ってくれなかったにしろ、どうしてそんな話聞きたくないとか、そんな話聞きたくなかったとか、あんな反応が返ってきたんだろうと思う。
 そのひとのやっていることや言っていることではなく、そのひとがどんな気持ちでそうしているのかということからそのひとを見てあげないと感じ取れないことがたくさんあるのだ。
 他人とは、自分に何かしてくれる何かでも、自分が何かしてあげられる何かでもない。その前に、何かしらの関係が発生するよりも前に、そこにそんなひととして生きているひとであるはずなのだ。だとしたら、自分にできることは、まず何よりも、そのひとのそばにいるときに、それを感じてあげることだろう。
 憐れみというものは、自分にとってのそのひとの重みではなく、相手が自分だと思っているものの重みで相手を扱ってあげたいという気持ちのことなのだ。そういう気持ちがないとしたら、その愛情はどれほどの愛情なんだろうと思う。
 そのはずなのに、どうしてあのひとたちは、俺のことをかわいそうにと思ってくれなかったのだろう。そう思うと、今でも少し涙がにじんでくる。

 どうしたらかわいそうだと思ってもらえたんだろうなと思う。けれど、もし俺が死んだとして、そう思ってくれるだろうかと考えてみると、それでもかわいそうにとは思ってくれないような気がするし、どうしたって無理だったんじゃないかと思う。
 死なれたことに傷付くひとはいるのだろうし、ひどく傷付くひともいるのだろう。悲しんでもくれるのだろう。けれど、誰がかわいそうにと思ってくれるんだろうと思う。
 最初の彼女は、さほど傷付かないけれど、かわいそうにとは思ってくれるのかもしれない。長くセックスフレンドだったひとは、死んだとしても知ることがない気もするけれど、かわいそうなことがあったんだろうなとは思ってくれるのだろう。そして、やっぱりそれ以外の俺を愛してくれたひとたちは、かわいそうにということの何千倍も死んでほしくなかったと思うのだろう。そして、かわいそうにという気持ちではなく、嫌なことをされた気持ちで泣くのだと思う。
 他のひとはどうなのだろう。母親にしても、子供に先に死なれた母として悲しむだけなのだろう。母親には俺との思い出はあれこれあるだろうけれど、俺がどんな人間なのかということは、全体像をイメージすることもできないままだったんだろう。俺を知らないひとは俺を失えないはずで、俺が死んで母親が悲しんだとしても、それは母である自分への自己憐憫であって、子供を失った悲しみというだけなのだ。それは役割を破壊されたことにショックを受けているというだけだろう。
 君のお母さんにしてもそうなのだろう。君のお母さんは俺のことを全然知らない。君のお母さんが思い出せるのは、俺とセックスしていて、どんなふうにうれしかったのかということだけで、俺の心がどんなふうに動くのかということは、ほんの少しも思い浮かべられないのだと思う。君のお母さんが俺について知っていることは、昔の同僚としての俺と、あとは不倫相手としての俺でしかない。そして、その不倫だって、ひたすら自分がかわいがってもらっていい気分にさせてもらっただけで、あとはひたすらお喋りがうまくいかなかったり、自分のことを面白いと思ってくれないことのもどかしさしか印象に残っていないのだろう。俺のことをかわいそうに思ったりするには、君のお母さんは俺のことを知らなさすぎるのだ。俺が死んだからって、もう会えないからって、傷付きようもないし、悲しみようがないのだろう。
 もちろん、君が俺の子供で、君の姿を見ながら俺のことを思い出しながら、そして、君の感じ方や君の笑い方が好きで、生まれてきたのが君でよかったと思ってくれていたりしたのなら、もし俺が自殺したと知ったなら、それなりのダメージを負うのかもしれない。けれど、そうだとしても、俺のことを知らないのだから、たいして悲しめはしないのだ。君のお母さんは俺を好きになって、俺にたくさんうれしくなったけれど、俺がこういう人間であることに気持ちを動かされてくれたわけじゃなかった。君のお母さんがかわいがってもらいながら勝手に何か思っていただけだったのだ。悲しもうとはするのだろうけれど、せいぜい君の顔を見ながら俺の顔を思い出しておぼろげに悲しむくらいなんだろう。そして、絶対にかわいそうになんて思ってくれないんだ。

 けれど、全部違うのかもしれない。二十九歳の頃、そんな話聞きたくないと言われて、ひどいショックを受けて、そのまま別れることになっていきながら、その途中で話していたことや相手の態度にも傷付いて、それからしばらくは、もう生きていたくないという気持ちでいっぱいになって、仕事も手につかなくなっていたのだ。パニックの手前みたいな気分がずっと続く中、しばらくの間、毎日のように仕事を定時で終えて、映画を観に行ったり、ぶらぶら歩いたり、DVDを借りてきて観たりということでやりすごしていた。そして、そのうち、生きていたくないということばかり考えていてもしんどいだけだと思って、次に本当に生きていたくなくなったら、そのときはまともにそのことについて考えることにして、とりあえず、次にそう思うまで今はそういうことを考えるのをやめようと思ったのだ。
 昔一緒に住んでいた友達が、俺が元気がないのを心配して飲みに行ってくれて、俺がそういうことを言っていることに怒ってくれて、そんなに怒ることでもないだろうとその場では思っていたけれど、次の日になって、あいつを悲しい気持ちにさせても仕方がないんだなと思って、とりあえずそういうことを考えるのは一回やめることにしたのだ。
 あまりそんなふうに考えていなかったけれど、俺はあれから、次にまた本当に生きていたくないと思ってちゃんと考えるときがくるまでの時間を生きていたのかもしれない。だから俺は、全く未来のことが考えられなかったのかもしれない。心の深いところで、自分は保留された時間をやりすごしているだけだという感覚になっていて、未来について何かを思い浮かべようとしたときに、意識しないうちに、どうせそのうちに、どうでもいい気持ちになって、生きないことを選ぶことになるのだと思って、既定路線としてのどうせ生きる気を失ってしまう未来と比較するようにしてしか、未来を思い浮かべることができなくなっていたのかもしれない。そして、既定路線から心変わりする気になるほど魅力的なものに思えないことで、別にそこまでそうしたいという気もしないかと、どんな未来もまともに欲しがれないままになってしまったのかもしれない。
 俺の自分の未来のことへの興味のなさは小さな頃からではあった。けれど、自分がこんな程度の自分であることに飽きてきたひとは、むしろ、自分の未来のことを考え始めるものなのだろう。俺が自分の人生の停滞を感じ始めても、それでも未来のことを考えようとするたびに目の前が暗くなるような気分になって、まともに考えようとしないままで三十代を過ごすことになったのは、別の問題もあったのだ。
 俺が仲良くなれるようなひとは、俺が本当に話したいようなことは聞いてくれない。そのショックな気付きによって、その数年前の、息苦しいと言われるというショックな出来事が何かの間違いなんかではなかったことを思い知らされた。そこで俺は、だったら別に俺は俺らしくあろうとするほどひとを嫌な気持ちにさせるだけじゃないかと思って、だったら生きなくていいじゃないかとしか思えなくなっていたのだ。その思いは、友達の優しさによって保留できたけれど、俺が本当に思うことを話すと、そんな話聞きたくないと言われてしまうのだという気付きは、その後もずっと、やっぱりどうしたってそうなんだなと繰り返し思い知らされるばかりで、俺の思い違いだったということにはなってくれなかった。
 きっとそうじゃないひとはいくらでもいて、けれど、そういうひとたちは俺を好きになったりしないのだろう。そして、俺を好きになってくれるようなひとは、俺が本当にそうだなと思いながら自分の中に浮かび上がらせている感情には触れたいとは思ってくれないのだ。相対的にかなりマシな男だし、敬意と熱意を持って向き合ってくれるから、愛するに値すると思って愛してくれたし、俺がどういう人間であるのかということにも、自分なりには興味を持とうとはしてくれたのだろう。けれど、他人の人生に土足のままで踏み込んで憐れんであげるような愛情はくれなかったのだ。
 憐れんでくれるという愛情は、何をしてあげたとか、どんなふうに一緒にいてあげたというような、ケアとしての愛情とは全く別のものなのだ。というより、憐れみは愛ではなく、ただ気持ちに気持ちで反応するということでしかないのだろう。けれど、ケアではない愛情があるのだとしたら、何をしてあげるつもりでもなく、何を言ってあげるつもりでもなく、ただ感じてあげるということこそ、愛情がないとできないことなのかもしれない。
 自分が俺に何かをしてあげるつもりで、何かを言ってあげないといけないつもりだったから、あのひとたちは、そんな話は聞きたくないと言っていたのだろう。そういう意味では、付き合ったひとたちは、他者として尊重し合ってお互いをよいものに思い合うという以外の領域では、ケアしてあげる程度の愛情でしか俺を愛する気がなかったということなのだ。
 ちゃんと感じてあげて、そうだねと言ってあげて、かわいそうに思ったら、かわいそうだねと言ってあげる愛情というのがあるのだ。そうだねと言ってあげる愛情なんて、わけがわからないと思うのかもしれない。けれど、相手がどんな気持ちでいたとしても、相手を見守ってあげて、相手にそうだねと言ってあげられると思っているというのは、何の責任もないからって、何も生み出さないかもしれないからって、それこそが俺が向けてほしかったような愛情だったのだ。そして、そんな愛情がないと間がもたないような距離までは、誰も踏み込んではくれなかったということなのだ。
 自覚がなかったけれど、俺はいつの間にか、頑張って誰かといい関係になって、結局このひとも踏み込んでくれないんだなと思うことをこれ以上繰り返しても虚しいだけだなと思うようになっていたのだろう。いつの時点だったのかはわからないけれど、もうこれ以上はいいと俺はすでに思っていて、だからもう何年も、どういうひとを見ていても、自分が誰かと何かあってほしいとすら思わなくなってしまっていたのだろう。
 ちゃんと生きるとは、未来のために生きることだった。俺の死んでしまった心は、それ以前のところで、しがみついていられる未来を失ってしまっていた。
 自分の未来について何も思っていないと、投げやりにしか何もできない。けれど、それは当然のことで、俺は死んでしまった心で、もうこれ以上はいいと思いながらしか、自分の行動を選べなくなっていたのだ。
 二十歳の頃は、やるのならうまくいってほしいという気持ちがあったなと思う。三十代は、何をするにも、別にうまくいかなくてもそれならそれでいいといつも思っていた。初めて会う女のひとと喋っていても、自然とすんなり話が盛り上がらないひとだと、相手の側にそういう気持ちがさほどなさそうなら、だったらそれでいいと思って、とりあえず相手に多少でも気分よく喋ってもらえるようにしようとか、それくらいのことを頑張れば充分だろうと、自分からは好きになってもらいたいとも、好きになりたいとも全く思わないままになることが多くなっていった。最低限ちゃんとはしておこうと思っていたから、仕事なんかは特に困ることもなく、求められたことくらいはやれていたけれど、それだけといえばそれだけだったし、何かを好きになって、それを楽しみにするという形で未来のことを思うこともなくなっていった。何かを楽しみだなという気持ちは完全に消えてしまっていて、君のお母さんとのセックスがどれほどどっぷりと気持ちよくなれるからといって、明日会えてセックスできるんだなと思っても、全く心は動かなかった。当日になって身体を近付けてキスをすれば勃起するし、かわいくしてくれていれば夢中になれるというだけだった。セックスすら、自分の未来にはなってくれなくなってしまっていた。
 未来ついてまともに考える気になるほどの出来事は、三十代の十年では起こらないままになりそうだ。君のお父さんになってあげられたなら、それがそうなったのだろう。けれど、君が生まれてくれただけではそうはならなかった。君のことを見守りながらいろいろ思って、いろいろ考えたり調べたりしながら、君にとっていい見守り方をしてあげるためのいろいろを楽しんでいられる生活が送れたなら、やっとまともに生きるかどうか保留したままになっていた人生を、これから十五年なり二十年まともに生きていこうという気になれていたんだろうになと思う。

 生きていたいという気持ちは今は全くない。とはいえ、生きていたくないからどうにかしたいと本気で思っている状態は、まだそれなりに遠いのだろう。
 それでも、今すぐ死んでしまっても何も惜しくはないなと思う。この手紙が書きかけのままになってしまうとしても、別に惜しいとも思わない。どうせ生きていて何かするしかないのだから、自分が何もしていないみたいで嫌な気持ちにならないように、なるべく自分にとって有意義なことをしようと思ってこの手紙を書いているわけで、別に生きないのなら生きないでいいのだ。
 心が止まったときに、心が止まったなりに楽しく生きようすればよかったのだろう。普通そうするのだ。俺は好きなものもたくさんあるし、やっていれば楽しいこともたくさんあるし、ひとと関わっているのも楽しいと思える。それなのに、楽しくやっていける未来を一歩踏み出すだけで自分のものにできる状況を何度もお膳立てしてもらっていたのに、どうしてこんなにも空っぽにしか生きられないままになってしまったのだろうと思う。
 けれど、俺には俺なりに自分の人生の中で経験した自分らしさというものがあった。自分が他人から向けてもらえた顔で、自分はそうなんだなと確かめて、自分の影響力や欲望の限界を思い知ったあとの人生を生きているのが俺だったのだ。
 確かに、そんな話聞きたくないと、世界から拒絶されたときの感触が、今でも記憶の浅いところでいつでも待機している。そして、それをとりなしてくれるひとと俺は仲良くなれなかった。俺の胸の中の世界から拒絶されたときの感触に触れてくれて、かわいそうにと言ってくれるひとに俺は出会えなかった。そのひとに出会えるだけでもよかった。そのひとと一緒になれなくても、それだけで、そのひとりだけで、そのひとが一緒に生きてくれなくても、そのひとがいっときでも俺を愛してくれて、俺の心に触れてくれたなら、それで俺の人生は変わったんだろうなと思う。
 けれど、そういうことはなかったのだ。タイミングも悪かった。二十九歳のあのとき、自分はそうなんだなと思って、そのあと、しばらくパニック状態でいつの間にか三十歳になっていて、そこからまた自分を生きることを楽しむ中で新しい自分を見付けていくにも、ちょうどその頃にはどんどん心が死に始めていた。ショックから回復するよりも心自体が衰えていくスピードの方が速かったのは、かなり致命的なことだったのかもしれない。
 けれど、そのわりには、俺はあの頃からだって、マシな人間になっていけたなと思う。俺はやっぱり、そのあとだって、ちゃんとこんな自分なりにはよく生きてこれたんだ。
 君はこの手紙を読みながらどう思っているんだろうね。君はどれくらい俺の子供なんだろう。君は俺からかわいそうにと思ってもらえている気分になってもらえているんだろうか。それとも、君もそんな話は読みたくなかったと思っているんだろうか。




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