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【連載小説】息子君へ 198 (41 俺が結婚するためには不自然なことをする必要があった-1)

41 俺が結婚するためには不自然なことをする必要があった

 勘違いさせてしまっているかもしれないけれど、俺は長いことセックスフレンドだったひととの関係を特別に素晴らしいものだったと思っているわけではないんだよ。
 今のそのひとのことを思い浮かべようとして最初に浮かんでくるのは、ちゃんとセックスしてくれないときに感じていたうんざりした感覚だったりもする。もう十数年以上、そのひとに何か思うとすれば、まずはとにかくもうちょっとちゃんとセックスしようとしてほしいということだったのだ。それよりも前の数年間に、とてもいい時期があって、それは自分にとって大きな経験だったし、今でもなんとなく思い出せるようなセックスもあった。その頃のことを大事に思っているというだけなんだ。
 もし、まともにセックスしたい意欲がなくなってきたときにさっさと会わなくなってくれていたら、とんでもなく素晴らしい完璧な関係だったなと思い続けていたのかもしれない。けれど、セックスフレンドでたまにしか会わなくて、それでもちゃんとセックスしてくれなくなって、どういうつもりなんだろうなと思ったし、ちゃんと顔を見なくなっているということがすでに開き直りだったのだろうけれど、セックスしながらこんなに間近でがっかりされていてよく平気だなと思っていた。むしろそこそこ見下げていたりもするくらいなのだ。
 そもそも、そのひとは一緒にいて心地よい相手ではあったけれど、話していて楽しい相手だったわけではなかった。セックスフレンドのひととセックスして、何もかもなくなってしまえばいいような気持ちになっていたのは、そのひととは喋りたいことがなかったからというのもあったのだと思う。話していて楽しいわけでもなく、俺の方には話したいこともなくて、相手のしてくれる話に合わせているだけだったから、身体を触り始めたら、相手に言いたいことなんて何もないし、相手に思うことも何もなくて、ただ身体の感触を楽しませてほしくて、柔らかい性器に突っ込ませてもらって、サイズも形もしっくりくる抱き心地のいい身体に抱きつきながら腰を押し付けたいというだけで、早く入れて抱きつきたいという以外に頭が空っぽなまま勃起していた。
 そんなふうに何も伝えたいこともわかってもらいたいこともないまま、身体の感触に夢中になれていることに、もうこれだけでいいと思ってしまうことがあったということなのだ。射精したらぐったりできるくらい入り込んでセックスして、ペニスが縮こまってしまうまで、何も言えなくて、ただ息をしているだけになって、身体を離しても、言葉は何も浮かんでこなくて、タバコに手を伸ばして、ぐったりするほどの満足感の中で煙を吐いて、ふとそっちを見ると、さっきまで抱いていた女のひとが、裸のままで丸いお尻を半分こちらに向けてタバコを吸っている横顔を見せてくれていたり、倒れ込んだまま、ゆるく開いた脚の間のふっくらとした性器と、薄い陰毛がべたっとしているのがこちらに向けられていたりして、それを見ていると、もう勃たないけれど、もっとしていられるのならもっとしていたいような気がして、けれど、それはそれのひとを抱きたいというより、そのひとの身体の感触と身体の反応にもっと浸っていたいというだけなのが自分でわかっていて、そういう空っぽな気持ちしかないから何も言葉が浮かばなくて、それでも相手に触りたい気がしてきて、触れるには少し遠ければ、そのまま黙ってタバコを吸っているだけになって、タバコを消してやっと相手の身体に手を伸ばして、肉や肌の感触を確かめて、ティッシュで拭いてあげるのを忘れていたら、口で舐めてあげてからティッシュで拭いてあげたりして、そうしていたらやっと微笑みかけるくらいはできるようになって、けれどそこ止まりで、お互い何も言いたくならないまま、寝ようかというということになって、ぐったりしたままの頭で、相手の後ろに身体を横たえて、抱きつきたいわけですらなく、少し触れているくらいでよくて、相手の吐息を感じて、相手の肉体がそこにある感触を漫然と感じているだけで何も思っていなくて、ただ、無意識に気持ちいいことをさせてくれたことをありがとうとは思っていて、何か言われたら何でも言うことを聞いてあげるつもりでいるような気分ではあって、けれど、何も言ってあげたいことが思い浮かばなくて、何もなさすぎてどうでもいいなと思って、こうしてくっついて、触らせてもらって、そばで眠ってくれているだけでいいのになと思って、そういうときに、ぼんやりと、もうこのまま全部なくなってくれていいのにと思っていたのだ。そして、そのひととだけ、同じような真夜中が何度もあったのだと思う。
 勃起してセックスするからといって、俺にとっては付き合っていたひとたちとは全く別の存在だったのだ。付き合っていたひとたちとは、一緒にいるだけで、いつでも自然とお喋りが始まっていた。そして、お喋りが始まると、自動的に相手との関係を踏まえて、これまでの自分たちのことを踏まえたうえで相手の言葉を受け取ろうとする態勢に頭が切り替わっていた。
 セックスフレンドのひととは、会ってからセックスするまでに、飲みに行ったりすることもあったし、いつも楽しげに話せていたけれど、どういう話題について話していても、自分の話したいことを話せている感じがしていなかったように思う。お互いにそうだったんだろうけれど、少なくても、俺の方には、そのひとに聞いてもらいたいことが何もなかった。自分が面白いと感じたことでも、そのひとも面白いと思ってくれるかもしれないからと話してみようとしたりしていなかった。
 最初に出会ったときから、十年以上関係が続いたけれど、それでも、そのひとに話したいことは何もないままだった。今から思うと、そんなにもセックスさせてくれるからというだけで成り立っていた関係だったんだなとびっくりする。実際、二十代の終わり頃には全然連絡が来なくなって、たまに連絡が来ても、泊まりに行っていいかという連絡ではなく、そのひとが参加しているイベントへのお誘いばかりになっていった。それでも、イベントに顔を出すと、その場では挨拶だけだったけれど、帰りに俺の部屋に来てくれたり、イベントの飲み会に俺も顔を出したら、飲んでそのまま一緒に俺の部屋に来てセックスさせてくれたりはしていた。
 三十代になってからも、セックスのために連絡がくることはないままで、セックスのために会うことも全くなくなっていった。二十代の終わりくらいから三十代の始め頃は、全く会っていなかったような気もする。俺がひどく落ち込んだ状態から脱して一年くらいして、久しぶりにイベントに呼ばれて、飲みに行って、帰り道が同じ電車だったから、電車の中でいちゃついていたら、俺の駅で降りてくれて、ずいぶんと久しぶりにセックスした。そのときも、あまりこっちも見てくれないし、集中力も低いセックスだったけれど、最後の方に、こっち見てよと言うと、しょうちゃんはほんと見られるの好きだよねと言われて、そんな会話はしたことがない気がしたけれど、まぁいいかと思って、だって見てほしいよと言って、しっかり気持ちを込めた感じを出しつつ腰を押し付けながら、見て、と言ったら、そのひとが見てくれて、そうすると、ふいにお互いが目の中を覗き込み合ったような状態になって、そのひとはいきなりちゃんと興奮した声をあげ始めて、頭より心が先に興奮してしまっているみたいになった顔と声で、しょうちゃん、急に気持ちよくなっちゃったと、まともに集中してあんあん言い出して、俺も気持ちいいよと言いながら、もう何年ぶりなのかわからないくらい、はっきりとお互いに興奮し合って身体を押し付けあった状態で射精できた。
 その日はとてもいい気分で眠れた気がする。けれど、それにしたって、最後の一分とか二分だけのことだった。次に日には、そのひとを見送ったあと、今でもあんなふうにできるのなら、どうしてちゃんとセックスしてくれないんだろうかと思っていたし、そこからはまた長いこと連絡が来なくて、一度くらいイベントの誘いがあったかもしれないけれど、三年くらいは会わないままになってしまった。
 三十代後半になった頃、一年くらい誰ともセックスしていない頃に、なんとなくそのひとのことを思い出して、もうずっと会ってないけど会いたいし、セックスもしたいと連絡をしたら、予想外にすぐに返事がきて、じゃあいつ会おうかということになって数日後に会った。俺も休みの日で、昼から会って、俺はすぐセックスしたかったのに、スーパー銭湯にでも行こうと、ぶらぶら散歩しながらスーパー銭湯に行って、休憩スペースで二人でくっついて寝転んでいるときに、奥まったところでひとから見えにくくなっていたから、館内着の中に手を入れて、後ろから抱きながらじっくり指でいかせたりして、いい雰囲気でくっついていられたし、早くセックスしたいなと思っていたのに、それからそのひとの家にまたぶらぶら散歩しながら帰って、なかなかセックスが始まらなくて、キスしたり、また手でしていってもらったりして、さすがにそろそろさせてほしいと思ったら、旦那さんが帰ってきて、そこからは旦那さんも含めて飲んで、結局できないまま帰宅するとことになって、いったい何のために会いに来たんだろうとげんなりした。そのときは、さすがに扱いがひどいんじゃないかと思って、もうこれで最後でいいのかもなと思ったりしていた。
 けれど、逆にそのときのことに腹が立ちすぎていたのか、また数ヶ月くらいしてなんとなく寂しい気がしたときに、やっぱりあのときさせてくれるはずだったのにさせてくれなかったのはおかしいだろうと思って、前できなかったし、セックスしたいとメッセージを送って、いつならいいよと返事がきて、その日になって夜中近い時間に来いということだったから、その時間に行ったら、相手はもう半分眠りかけで、アイスクリームが食べたいというから買ってきてあげたけれど、戻ってきたら寝ているし、アイスを食べるのに起きて、布団を敷いてくれて、キスをして服は脱がせたけれど、もうほとんど眠っているような状態で、こっちもげんなりしてまともに勃たなくなってきて、諦めて眠ることにした。
 それが二人で会った最後になっている。その後も、イベントに呼ばれて行ったりはしていた。イベント自体は行けば楽しめるけれど行きたいわけでもないし、そのあとの飲み会に誘われるのも、飲んで喋っている間は楽しい気分になっているけれど、その場だけのことで何の感情も残らないのもわかっているから、誘われても予定を調整してまで行こうとはしなくなって、気が向いたときだけ行くようになった。実際、そのひとに会いに行ったつもりで出かけても、喋るとしてもイベントの場所でちょっととか、俺が帰るときにちょっとくらいで、それもまわりにひとがいるし、イベントのことについて話すだけだし、飲み会に行っても二人で喋れるわけでもないから、俺にとってはほぼ何も話していないようなもので、毎回帰るときは虚しい気持ちになっていった。
 ほとんど寝ていてまともにできなかったときからでも、もう五年以上していいないし、最後にちょっとだけちゃんとしてくれたときからだと七年以上とかが経っていて、もうセックスフレンドというよりは、元セックスフレンドでしかない存在になっているのだろう。
 やる気のないセックスをされはじめて、もう十五年以上経っているのだろうし、ずっとなんだかなと思い続けてきたのだ。二十代の半ばくらいにはやる気のないセックスをされ始めて、それでもそこそこくらいには充実感があったところから、やる気のなさにげんなりしたままで終わることが続くようになって、二十代が終わっていった。
 そこで終わりでよかったのに、会ってくれるからとずるずると会ってもらって、うんざりしていたはずなのに、もう七年以上前の、最後の方だけちょっとよかったセックスのせいで、まだいいセックスができなくはないのかと思ってしまって、それでまたそのひととの関係が延命されてしまった感じだったのだろう。
 自分でも何のために会っているのだろうとは思っていた。昔素晴らしいセックスしていた相手として眺めて、どうしてこのひとはまともにセックスしてくれなくなったんだろうとか、もうずっと俺とセックスしようとしてくれていないのに、どうして俺に声をかけるのだろうとか、そういうことを思いながらそのひとを見ているから、そのひとを見ながらまだ何か思うことがあって、退屈すぎてもう会いたくないと思わないでいられているのだろう。
 自分の中で完全に元セックスフレンドになってしまったなら、すでに充分すぎるくらい、昔このひととセックスしていたんだなという目で眺める時間は過ごしたし、もう会わなくていいと思ってしまうのだろう。逆に言えば、俺はまだそのひととこれからセックスできるかもしれないと思っていて、そこまで関係をつないでいるつもりで、どうしてセックスしようとしてくれないんだろうと思いながら、しぶしぶたまには顔を見せるということをやっているという感じなのかもしれない。
 かといって、もう今これを書いている時点ではどうなんだろうと思う。前回の全くまともにやってくれなかったセックスへのがっかりした気持ちは残っているし、またあんなことをされたらやりきれないなと思うし、あれからもう何年も経ってしまっていて、今はさらにやる気がなくなっているのだろうし、少なくても、こちらからセックスしたいと連絡する気になりそうな気配は自分の中には全く感じなかったりはしている。

 セックスフレンドだったけれど、だんだんと会ってもセックスしない場合の方が多いセックスフレンドになってくるというのは、よくあることなんだろうか。セックスするのが面倒だという気持ちは、俺だってわからなくはない。やり始めればそれなりに楽しめるのはわかっていても、別にやらなくていいんだよなと思って、やる気にならないというのは、彼女との間だとよくあることだった。
 そもそも、人間はそれほどいつでも気持ちいいができるならしたいとは思っていないものなのだ。タバコとか酒が中毒なら、いつでも心からそれを欲しがれるけれど、中毒になっているわけでないのなら、やれば気持ちいいとわかっているからって、したいときにしかしたいとは思わなかったりする。セックスにしても習慣としてやっているところは大きくて、セックスするつもりで会っているからするタイミングになったら当然のようにしようと思うわけで、セックスしない習慣がついてくれば、どんどんセックスしないのが普通になってくる。付き合っているひととは、そんなふうにセックスしなくなっていくものなのだろう。
 けれど、セックスフレンドとはそういうものなのだろうかとは思う。会ってもセックスしないけれど関係が続いているとしたら、セックスフレンドとしてはおかしな関係に思うけれど、俺とそのひとはそういうわけでもないのだろう。セックスのために会うわけではなくなってから、そのひとから食事とか二人での飲みに誘われたことは一度もなかったし、一緒に出かけたこともなかった。単純に、そのひとがイベントを主催したりすることがあって、動員にもなるからと声をかけてくれていて、別に元セックスフレンドで気安い関係だから、飲み会にも誘ってくれて、減るものじゃないから、まぁいいかと思ったときには俺の部屋に来てセックスしてくれたとか、それくらいの感じだったのだろう。だから、そのひとが俺を誘ったりできる活動をしていなかったなら、もう二十代の終盤手前くらいで連絡が途絶えて、俺がセックスしたいと連絡しても、また落ち着いてるときに連絡すると返事がくるだけで、それを何回か繰り返して、そこで関係が終わっていたのだろう。
 そういう意味では、俺とそのひとは、セックスフレンドから友達に変化したわけでもなく、元彼氏みたいな、元セックスフレンドという独特な何かに変化したわけでもなく、ただ単に、昔セックスフレンドだったひとというだけの、今は知り合い程度にしか関わりのないひとという感じになっているのだろう。実際、友達でもないし、共通の知人といえるようなひともいないし、イベントに誘われるというのがなくなったときには、もう二度と会わないままになる関係なのだろう。普通の知り合いと違うのは、ずっと会っていなくても、俺が何年に一回かセックスしたいとメッセージを送ったり、会ったときに二人で喋れる瞬間があったら、セックスしたいとぼそっと言ったりしていたということだけだったのだろう。そして、相手がセックスしたいと言われること自体は苦痛じゃなくて、自分はしたいと思っていないし、お願いされたからって面倒だからしたくないけれど、自分がその気になったときがあったらしてあげてもいいのかもしれないくらいには思ってくれているから、イベントがあれば俺にも他のひとに送るのと同じメッセージを今のところは送っているというのが、そのひととの関係の現状なのだろう。
 けれど、セックスさせてほしいという気持ちがあるからといって、のこのこ出かけていっても、セックスさせてくれないことが悲しいということが相手と向かい合っているときの感情の大半になってしまうのなら、そんな関係は維持する必要があるものなんだろうかとも思う。
 実際、俺の側にそのひととセックスしたいという気持ちがなくなったのなら、連絡もしなくなるし、よほど一生懸命誘われないかぎり、誘われてもイベントには行かなくなるのだろう。もう関係が停滞してからも充分すぎるほど顔を見たと思ってしまうのだろうし、このあとセックスすると思いながら喋らずに、あのひととお喋りしていて特にいい気分にはなれるわけではないのは昔からわかっていた。
 それはセックスしていたのにセックスしなくなったからというだけの問題ではないのだ。元彼女とは、もうセックスすることがなくても、機会があれば会って喋っている。元彼女なら、相手の今にも興味を持てるし、そのひとの中の俺をいいやつのままにしておけるように、ちゃんと接したいと思えていた。セックスフレンドのひととは、何度セックスなしで会って、それなりにあれこれ話しても、セックスしないなら会わなくていいんだよなという気持ちにずっと包まれたままでしか一緒にいられなかった。
 もちろん、それなりにたくさん喋ってきたのだから、自分が楽しく喋っていられるようなお喋りのパターンを相手と作っていけなかった自分のせいではあるのだろう。話がいまいち合わないなと思って、喋りたいことを喋ろうとしてこなかったから、俺にとってお喋りをしていて楽しい気持ちにはなれても、自分にとって面白い話はできなくて、話しているだけで楽しくなれる関係にならなかったところは大きいのだと思う。
 話が盛り上がらないことにしたって、相手からすればお互い様だったりもするのだろう。相手だって、友達もたくさんいるし、口も達者なひとだし、興味のあることもいろいろあるひとなのだ。俺が話が盛り上がらないなと思っている以上に、それにしても話が盛り上がらないなと内心で苦笑いしていたのかもしれない。
 そのひととは、仲はいいけれど、身内感のようなものが希薄なままの関係でやってきた。相手からすると、むしろ、身内感がないからこそセックスするにはよかったりもしたのかもしれない。俺は別にそんなこともないけれど、女のひとだと、相手を男として見ている気分になれないと、そういう気になれなかったりもするのだろう。話は通じるけれど、お喋りのノリも、感じ方も、知識がある領域も、そのジャンルの中でどういうものがいいと思っているのかという価値観もけっこう違ったから、俺が相手がやっているイベントの感想を言ったとしても、そうなんだよねと前のめりにそこから話が盛り上がったこともなかった。
 見た目と佇まいと目つきが好きで、雰囲気とか距離感がしっくりきて、裸にさせてみたら抱き心地もペニスもよくてラッキーだったというだけで、最初から自分が普段楽しんでいることはあまり共有できない相手という感じだったのだろう。逆に、お喋りが盛り上がらないぶん、話す内容にあまり集中せずに、俺の顔を見てにこにこ適当に喋って、俺が何か言うのに、そうだよねとまたにこにこしてということだけで満足していることで、大好きなセックスフレンドといい雰囲気で過ごしていることになんとなくいい気分でいられて、それがそのあとのセックスにうまくつながっていた感じだったのだ。
 そして、セックスフレンドでたまにしか会わないからそれなりに長持ちしたとはいえ、数年すれば、そのひとの中での、俺への恋愛的な興奮は薄れていったということなのだろう。それでも、俺だけでなく、そのひとだって、会うたびにセックスが盛り上がっていた時期があまりに楽しくてうれしすぎたのだろうし、それがいい思い出すぎて、関係が終わってしまうのはもったいなく感じてはいたのだろう。だからたまには会ってくれていて、けれど、やっぱり新鮮さはなくなっているし、一緒にいて昔ほどキスしたいとか、セックスしたいと思えるわけでもなく、気持ちがそこまで入らないままでセックスしてしまうことが増えて、そうすると、セックスもそこまでは盛り上がらないし、俺もがっかりした雰囲気を出すし、そうしているうちに、もっと会うのが億劫になっていったという感じだったのだろう。そもそも、その間にも、彼氏ができたらしばらくは彼氏とべったりだったのだろうし、他にセックスフレンドができたこともあったのかもしれないし、そうすれば、しばらくは彼氏じゃないときはそっちとすれば充分満足という感じで、まだ新鮮さが残っている相手がいるのに、新鮮じゃなくなっている相手とわざわざセックスする気にもならなくて、かといって、昔いい関係だったから、もったいない気はしていて、だから、もうセックスしなくていいくせに、セックスさせてあげるという話にはならないしちょうどいいからとイベントには誘っていたのかもしれない。俺はイベントに行くといつもにこにこしていたけれど、ろくにセックスもさせてあげてないのにのこのこやってきてくれることにもいい気分になっていたところがあったんだろうなと思う。
 俺は別に、セックスフレンドのひととの関係の何もかもを素晴らしかったと思っているわけじゃないんだ。そんな程度にはうんざりしてきたし、とても素晴らいい関係だった数年間よりも、はるかに長い時間をなんだかなと思いながら過ごしてきたんだ。そのひととの昔のことを思い出すときにはいい気分になるけれど、今のこととしてそのひとのことを思い出すときには、なんとなく嫌な気持ちになるし、イベントへのお誘いのメッセージがきても、毎回とりあえずはちょっと嫌な気持ちになっている。そういう状態でもう何年も経っている相手なんだ。
 俺にとっては、完全に過去の自分に属しているひとではあるのだろう。もう終わっている過去の関係なのに、今でもそれなりに尊重しているというのは、二十代の自分にとって、そのひとの存在が自分にとってずっと大きなものであり続けていたからなのだろう。そのひととのセックスを、余分なものが混じっていない、自分にとってのセックスの基本形のように思っていて、それを軸にいろんなひととのひとそれぞれのセックスのことを考えたりもしてきた。セックスフレンドがいて、空っぽな関係でただ喜び合ってセックスしている関係を長く続けられたことを誇らしく思っているところがあって、それが自分のアイデンティティに組み込まれているところもあるのだろう。だからこそ、俺はあまりよくない終わり方になってしまっていることに、いつまでも未練があるのだろう。
 きっと、俺は心のどこかで、今からでもお互いに歳を取ったなりのセックスしたいと思っているのだと思う。そうできたのなら、五分でも十分でいいからちゃんと集中しようとしてセックスしてほしいとお願いするのだろう。ちゃんと顔を合わせて、気持ちと気持ちが伝わる状態で、お互いが気持ちがいいことを確かめて、うれしい顔を確かめ合って、そうしたら、キスしながら、こういう関係になれてうれしかったとか、ずっと思っていたけれど言えていなかったことをいくつか言って、ありがとう、ずっとうれしかったと言って射精して、そうしたら、もうそれで一生そのひとのことはいい思い出にしていられるのだと思う。
 そう考えても、つくづく付き合っていたひととは全く別のつながり方をしていたんだなと思う。俺はそのひとに自分の話なんて全然聞いてほしいと思っていなかったのだ。顔を見せてお喋りするだけのために会うことが疎ましいというのはそういうことだろう。くっつき合っていることを喜んでほしいということしか思っていなかったのだし、気持ちいいことをしたくなる相手として自分のことを求めてほしいというだけだったのだ。そして、そんなふうに俺の身体を求めてもらえているときには、頭が空っぽなままでも勝手にどんどんといいセックスになっていって、そんなふうに空っぽなまま充実できてしまっていたことで、終わってぐったりしながら、俺はうれしくも悲しくもない、けれどどこかほっとしたような気持ちで、何もかも終わってくれていいのになと思っていたということなのだ。




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