見出し画像

【連載小説】息子君へ 192 (40 俺は嘘をつきたくなかっただけだった-2)

 ずっと一緒にいることを要求されることは、そういう愛され方を受け入れることを要求されることのように俺には感じられていた。俺にとっての今この瞬間の俺ではなく、そのひとにとっての俺とか、俺とそのひとの関係をそのひとが愛している姿を見て、自分が愛されていると感じて、それを喜ぶようにならなければ、その愛を受け入れたことにならないのかと思って、そんな愛され方にこれからずっと付き合い続けたいんだろうかと、俺はうんざりしていたのだと思う。
 相手の方は、関係が深まったから、このままずっと一緒にいられるのかもしれないと考えていたのだろうけれど、もうそのときには、相手は自分に慣れてしまっていて、二人の関係もほとんど揺るがなくなっている。そうすると、相手がどう反応するかわからないからという緊張感で、集中して相手を感じようとすることができなくなるし、相手が充分自分を理解して、充分愛してくれているからと、自分をわかってもらえるように自分の気持ちをしっかり伝えようとすることもできなくなる。そうなったときに、俺はちゃんと関われていないような気分になってしまっていたのだ。そして、だからこそ、子供を育てられたらいいんだろうなとずっと思っていたのだろう。子供は自分が自分であることが楽しいから、そういう時期が終わってしまうまで、ずっと自分のことを親に伝え続けてくれる。子供はずっと俺にちゃんと関わることを求め続けてくれるのだ。それはいいだろうなと、ずっと思っていたんだ。
 ちゃんと関わりたいということが、俺が他人と関わるモチベーションのかなり大きな部分を占めていたということなのだろう。だからこそ子供が育てたかったのだし、だからこそそう簡単にはこのひととずっと一緒にいたいと思えなかったのだ。
 どうしてなんだろうなと思う。けれど、いつでも目の前にちゃんと反応するべきものがあってほしいという気持ちが、確かに俺の中にはあるのだろう。それはどうしようもなく本当にそう思っていることで、昨日そう接したから今日も同じように接するという、そういう習慣でしかないものだけで顔を向けられて、今そう思ったわけではなく、この関係ではこういうときはこういうふうに言ってきたからというだけで言葉をかけられることの退屈さにずっとうんざりしてきたのだ。だから俺はそんな大事なところで嘘をつきたくないと思って、飽きたら捨ててくれるひとではない相手だからと、その相手をずっと一緒にいるべきだとは思わないことにしていたのだろう。
 俺がそうだというより、みんな同じことを繰り返させられることは嫌なのだろう。少なくても、若い頃なら、それなり以上に楽しく生活しているひとなら、誰だってそうなのだと思う。心は何かを思いたがっているのに、何も思わなくてもやれることに付き合わされるのだし、それはどうしたって退屈なことだろう。けれど、それをどれくらい嫌だと思うかには、かなり個人差があるのだと思う。
 俺の場合、思春期以降は、実家で家族と暮らしていて、何を話しているにも退屈だった。だから、中学生の後半くらいからは、どこの大学に行きたいとかそういうことは何もわかっていなかったけれど、とりあえず大学生になったら家を出てひとり暮らししようというのは決めていた。この家の中でこんな会話とか、こんな雰囲気の家族イベントに巻き込まれ続けるのは、早く終わりにしたいと思っていた。
 家族と過ごすことが苦痛だったわけではなかった。けれど、親と話していても、話が面白い方向に転がっていくことはなかったし、何の話をしていても、俺が食いついてしまうような面白いことを親が話してくれることもなかった。それは親の話が面白くなかったからというだけではなく、俺が親に自分のことをあれこれ話さなかったせいでもあったのだろう。クラスメイト以外とは関わらない六年間を過ごしていて、悩みもなければ、新しいゲームが面白かったとか、買った漫画が面白かったとか、友達に借りたCDがよかったとか、そういうこと以外には、うれしく思えるような出来事もなくて、ひとに聞いてもらいたい自分にあったことの話が何もなかったのだ。
 もちろん、話したいことがなかったとはいえ、俺はよく喋る方だったし、ちょっとしたタイミングに、テレビを見ながら思ったことを話したりとか、日々のちょっとしたことを話したりはしていたのだろう。それで話が盛り上がったり、なるほどなと感心させられていたら、もっといろいろ話していたのだろうけれど、俺にとって、親との話は、結局のところ特に何をどうだとも思えないようなところに落ち着いていく、実りのないものに感じられていたのだ。
 俺の中学高校のクラスメイトはいつも同じようなことしか言わないようなひとたちではなかった。特に高校三年間は毎日学校に行っているだけでとても楽しく過ごしたけれど、それ比べると、家の中は退屈だった。ゲームはあったけれど、俺は自分の部屋にテレビがなかったし、パソコンもなかった。それでも、親が帰宅して夕食を食べたあとは、ゲームをしている以外は、ほとんどの時間を、音楽を聴くことができたり、その気があればラジオを聴いたりできる以外には特に面白いものがあるわけでもない自分の部屋で過ごしていた。
 高校生以降だと、俺は親と一生懸命喋ったことが全くと言えるほどなかったんじゃないかと思う。親が干渉しないように気を付けてくれていたというのは大きいのだろう。俺の方も、親が当たり障りない範囲の言い方で俺について言ってくれていることが、自分からするとずれていたりしても、ずれたことを延々と言われるわけでもないから、それを訂正しようとするわけでもなく、話が膨らまない感じに、当たり障りなく答えているばかりになっていたのだと思う。学校で何がどうだというような話もほとんどしなかったし、中高一貫校だったから、進路の話題もなく、俺は遊び回っていたわけでもないし、勉強しなかったわけでもないから、親の側に俺に言わなくてはいけないことが特になかったというのはあったのだろう。
 もしかすると、親は夫婦で話し合って決めた、親子として適切な距離感で俺に接していて、子供から求められなければ、親からあれこれどうのこうのと話しかけすぎないようにしようとしていたのかもしれない。親から話しかけるときにも、自分が知っていることをどうのこうのと上から話すのはみっともないからやめておこうと注意していて、そうすると子供の側が何か言ってこないと何も言わないというパターンばかりになってしまったという感じだったのかもしてない。
 けれど、親の心子知らずというか、よかれと思ってそうしてくれていたのだろうけれど、俺の方は、ただあまり話さなくて、あまり話が盛り上がることもないというだけにしか感じていなかった。居間では常にテレビがついていて、話した方が自然な雰囲気もなかったし、話がすぐに終わってしまうのに慣れてしまっていて、親と何かを話すとなっても、一生懸命相手の話を聞こうとする態勢にはなれなくなっていた。
 それは年頃になった子供が親のことをつまらなく思うというよくある現象ではあるのだろう。けれど、俺の場合は、年頃というだけではなく、実際に両親が俺から見てさほど楽しそうでもなかったからというのが大きかったんじゃないかとも思う。
 なぜだかわからないけれど、俺の家は夫婦の会話を子供たちに見せない家だった。父親は地方公務員だったけれど、それなりに残業とか、飲んで帰ってくることが多くて、平日の夕食というのは、父親がいないことの方がはるかに多かったのだろう。そして俺は親が帰ってくるまではアニメとか夕方の枠の海外ドラマを見たりしてぼんやり居間で過ごしていたけれど、夕食後は歌番組で見たいひとが出るときでもなければ、さっさと自分の部屋に引っ込んでいた。休日にしても、父親が料理をする場合も、母親が料理をする場合も、どちらかが全部用意していたし、食事中もテレビがついていて、比較的家族全員がテレビを漫然と見て、あまりああだこうだ言わないひとだったし、父親もひとりで見ているときはぶつぶつ言っていたけれど、他のひとも見ているとあまり何も言わなくて、家族が揃ってご飯を食べているからと言って、さほど何かを話すことはなかったし、何か話すにしても子供を中心にした話だった。そして、食事を食べ終わると、父親はさっさと居間に移動して、そこからは数時間ずっとテレビの前から動かなかったし、俺も見たいスポーツ番組でもないとさっさと部屋に引っ込んでいた。だから、平日だろうと休日だろうと、買い物中とか、祖父母の家に行く途中に必要なことを話しているとか、そういうこと以外には、何かについて両親がまともに話しているのを見ることはほとんどなかったのだ。たまに、かなり夜遅くに居間に降りていくと、ほとんどの場合は両親がそれぞれ別のテレビを見ているのだけれど、数百回に一回くらいは、どちらかがどちらかの側に近付いて、テレビの音量が下がった状態で喋っていたりした。それにしたって、会話を楽しむために会話をするような感じで喋っていたという雰囲気ではなく、話しておかないといけないことがあるから話しておいたというような話し声の雰囲気ばかりだったなと思う。
 それくらい、俺の両親は家の中で夫婦の会話を子供に見せないようにしていたのだし、見せないようにしたからといって、そんなにも子供が両親が喋っているのを見かけないほどに、実際に家の中で喋っていなかったのだ。話そうと思えばいつでも話せるし、子供のことは何かあればちょっとしたときに話していたのだろうし、買い物でも旅行でもお互いにさほどいらいらもせずに長い時間すごしていられたし、世間の平均からすれば仲のいい夫婦ではあったのだろう。けれど、父親はいつだってテレビを見ていたし、ずっとひとりでテレビを見ていたのだ。
 母親からすれば、普通に働いて、休日の子供の相手の遊び相手はいくらでもやってくれるし、家事も平日はやらないけれど、休日にやるぶんは半分以上くらいはやっていて、話す必要のあることは普通に話せてまともに話が通じる旦那ではあったのだろう。総じて満足はしていたのだと思う。
 きっと、父親のテレビの見方がよくなかったのだろう。自分の脳が気持ちいいように自分の気が逸れるたびに次々チャンネルを変えるようなことをせずに、一緒に見ているひとがいるときは、テレビをネタに一緒に見ているひとと話すことが中心になるよう見方をするひとだったなら、もっといろんなことを夫婦で話しながら生活できたのだろうし、そこに俺も自然と加わって、毎日晩ご飯のあともずるずると居間でみんなとテレビの前で過ごして、こんな家庭は嫌だなと思うようになったりすることもなかったのだろう。
 けれど、それは単にテレビの見方に問題があったというより、父親はそういう人間だったというだけなのだろうとも思う。父親は遊びに連れて行ってくれたり、イベントとか旅行のためにあれこれ準備をしたり、ひとを喜ばせたいという気持ちは持っていたけれど、ひたすら喜ばせたいというだけで、自分がどう思うということをそこに持ち込もうとする度合いが低いひとだった。中学生から高校生にかけての頃に、スタジアムが近所だったのもあって、試合があるたびに父親とサッカーの試合を見に行っていたけれど、今の俺の感覚からすると、試合を見ながら、個々のプレイとか試合展開についてああだこうだと話してくれる頻度がかなり少なかったなと思う。たまに一緒にテレビで野球を見ていてもそうだった。テレビのドキュメンタリー番組をたまに一緒に見ていたりしたこともあった気がするけれど、番組が一段落したときに、父親が自分の思うこととか、何はどういうことなんだとか、自分の知っていることを相手の役に立つかもしれないとあれこれと話してくれたりすることはほとんどなかった気がする。
 そもそも、楽しいことは好きだし、楽しげに喋るのも好きだし、相手がわかっていないことがあれば親切に説明してくれるけれど、自分がどう思うのかをあれこれ話したがるひとではなかったのだろう。相手の感じ方と自分の感じ方の違いを照らし合わせて、それについて相手と一緒にああだこうだと話しているのが心地よいというタイプのひとではなくて、だからこそ延々とテレビを見ていたということでもあったのだろう。
 もちろん、母親の方は、また少し違うタイプの人間だし、その母親が結婚しようと思ったのだから、父親だって、ただテレビを見ていれば満足なひとというわけではなかったのだろう。家の外で、向かい合って目の前に相手しかいない状況では、ちゃんと話が通じて、お互いを面白がっていられる相手だったのだと思う。単純に、家族になって、子供もできたことで、向かい合ってお互いだけを感じながら過ごす時間がなくなったことで、まともな会話がなくなったということなのだろう。そして、父親は結婚したのが二四歳で俺が生まれたときに二五歳という感じだった。その頃はまだまともに気持ちが動いて、ちょっとしたことにもあれこれと気持ちを動かされながらお喋りできたけれど、俺がものごころついてきた頃には三十歳も過ぎてきて、何を見ても今まで思ったようなことしか思わなくなってきたとか、そういう問題もあったのかもしれない。
 俺は父親に嫌な思いをした記憶がないし、小さいときからずっとたくさん遊んでもらってきたし、思春期以降も家族みんなでたくさんの時間を過ごしていたし、一緒にいるのが居心地悪くなったわけではなかった。むしろ、世間の平均からすれば、俺は両親と仲がよくて気を許し合った関係だった。特に父と息子の関係としては、かなりリラックスした関係の父親と十代後半の息子とか、成人後の息子であり続けていた。
 そして、そうだとしても、俺は実家にいて、こんな家族生活は嫌だなと思っていたのだ。両親が仲が悪いと思ったことはないけれど、両親のことを楽しそうだと思ったことも、小学校の高学年以降とかからだと、家の中ではほとんどなかったのかもしれない。遊びに出かけているときとか、旅行中とか、旅行でテレビがない状態で喋りながらご飯を食べているときとか、そういうときにみんなが笑っていた情景というのは思い浮かぶような気がする。けれど、弟もある程度の歳になって、子供みたいなバカなことをしなくなってから、俺は家の中で家族がみんなで楽しく笑っているのを見たことがあったんだろうかと思う。俺とか弟がテレビを見ていて、自分も何があれだったとか、きっと何がどうだからそういうことなんだとか言って、それが見当外れだったりずれていたりして、俺とか母親がそんなわけないんじゃないのとふざけながらツッコミを入れてというような流れで、何人かが爆笑しているようなことはあったのだろう。けれど、そういうとき父親は笑っていたのだろうかとも思う。かといって、父親経由で面白い話になったり、父親のツッコミからみんなが爆笑するようなパターンというのはなかったような気がする。そして、それにしたって、かなりの部分、テレビばかり見て、いつでも家の中でテレビがつきっぱなしになっていたことが問題だったのだろう。もちろん、そうやってテレビをずっと見ているのが父親には快適だったのだろうし、父親がずっとテレビを見ているのだから、母親もやることをやったらあとはテレビを見てぼんやりするしかなかったのだろうけれど、それにしても、何をするでもなく、家族で同じ場所にいて喋っているのを楽しんでいる時間というのがない家だったなとは思う。




次回

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?