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【連載小説】息子君へ 200 (41 俺が結婚するためには不自然なことをする必要があった-3)

 俺と付き合ったひとたちは、俺のことを特別な相手だと思ってくれていたけれど、それは他のひとたちが興味を持ってくれないところまで自分に興味を持ってくれるし、他のひとたちよりも、自分がどういうひとなのかとか、自分の感じ方や考え方を面白がってくれていたからなのだと思う。 多くのひとが、自分はみんなから軽視されていると思いながら生きているのだろう。付き合ったひとたちにしても、親から軽視され、友達から軽視され、教師から軽視され、昔の彼氏からも軽視されてきたのだ。自分はそれなりに面白い人間のはずなのに、どうしてこんな程度にしか関心を持ってもらえなくて、こんな程度にしか面白がってもらえなくて、せいぜいいい娘をやるとか、いい友達をやるとか、いい生徒をやるとか、いい同僚をやるとか、いい彼女をやるとか、そういうことをやってあげることで満足そうな顔を見せてもらうことくらいしかできないのだろうと、物足りない気持ちで生きてきたのだろう。 どのひとも、俺と付き合い始めて、こんなにちゃんと話を聞いてくれるのかとびっくりしたのだと思う。一緒にいるときにはいつでも自分の方に身体ごと向いてくれて、いつでも自分の今の気持ちを受け取ろうとしてくれて、言っていることではなく、言おうとしていることを受け取ろうとしてくれる。そして、機嫌を取ることは何も要求されなくて、自分が楽しそうにしていればそれにうれしそうにしてくれるのだ。他のひとがしてくれなかった、本当はそんなふうに扱ってほしかった扱われ方を俺がしてあげた感じだったのだろう。しかも、付き合っていれば、自分らしくありたいとか、損得よりも自分の気持ちに素直でいたいというような気持ちの希薄な、楽しければいいとしか思っていないような大多数の女のひとたちに俺が全く興味を持っていないことがはっきりわかっただろうし、そういう俺が自分だからこそ好きになってくれたのだと思うことができるというのも、自己肯定感として自分を力づけてくれるものに思えていたのだろうと思う。 大事なひとの存在が自分のアイデンティティに食い込んでくるというのは、相手を自分の所有物のように思っていなくても、そういう経路からでも発生することなのだろう。自分が自分だと思っているものを自分だと思ってくれている感じがするひとというのは、一緒にいてとても気分がいいものなのだ。自分のことを勝手に誤解しているひとと関わるのは面倒で不快なものだし、自分のことを単なるバカだと思って接してくるひとや、単なるおじさんだとか、単なるその辺のガキとしてしか見ないで接してくるひとと関わるのがどれほど苦痛なものかを考えれば、その逆がどれほどうれしいものかわかるだろう。 けれど、親というのは多くの場合、子供を自分の子供だとしか思っていないし、子供だって、親のことは親だとしか思っていない。友達も多くの場合、どういうキャラのひととしていつものノリでしか自分を扱ってくれない。特別仲のいい友達がいれば、そのひととの時間はまた違うものがあるのだろうけれど、学生でもなければ、そんなひとたちとばかり時間を過ごして生活してはいられない。そうやって、みんなから軽視されて、ひとと関わるほどにバカバカしい気持ちになって、誰も私が本当はどう思っているかなんて興味を持ってくれていないし、この悲しい気持ちになっている本当の私のことは誰も愛してくれないんだとうんざりしていたところで、自分が自分だと思っている自分を愛してくれていると思えたら、やっと自分を本当に愛してくれるひとと出会えたと思ってしまうのは当然のことなのだと思う。 俺はどうだったんだろうと思う。自分が自分だと思っているものを愛してもらっていると感じてきたのかはよくわからない。けれど、俺は自分の気持ちの通りの顔をしていようとして生きてきたし、自分が何か言うことを求められている気がするときには、いつでも自分が言いたいことを言おうとしてきた。恋人を含め、一生懸命になって楽しく関われている相手に対しては、ほとんどの場合、自分が自分だと思っている自分で接していたつもりだったのだろう。そして、恋人には愛してもらっていると思ってきたし、だとすると、俺は自分が自分だと思っているものを愛してもらっていたということになるのかもしれない。 かといって、俺が自分が自分だと思っているもので接することができるのは、恋人や親友だけというわけではなかった。俺はのっぺりといつでも自分のしたい顔をして、言いたいことを言えていた。だから、誤解されているとか、ひとに自分が本当に思っていることをわかってもらえていないという感覚も希薄だった。そして、そういう欠乏感が希薄なうえで、恋人が自分のことを愛してくれていることを、自分と合うひとなのだし、自分がちゃんと時間をかけて付き合えているのだから、愛してもらえることは当たり前だと思ってきたのだ。最初の彼女と付き合い始めた頃は、ものの感じ方が大きく変わっていく前だったから、そんなふうには思っていなかったけれど、次の彼女からは、そんな感じだったのだろう。愛してくれているからといって、うれしいだけで、ありがたいことだとは思っていなかった。そもそも、もっと愛してもらえたっていいはずなのにということを思いながら生きてこなかったから、彼女が愛してくれることで実現されたものが俺の中では特になかったというのもあるのだろう。 相手を大事な存在だと思うようになっていっても、相手を今付き合っている彼女としか思っていなくて、自分の人生にとって特別な存在だとは思っていなかったのは、そういういうところが問題だったのかもしれない。どうしてもっと愛してもらえないのだろうかと悶々としていなかったから、付き合ってくれたひとが自分が思っていた以上に愛してくれたときに、こんな自分をこんなに愛してくれるなんてという感動で相手を特別なものに思えなかったというのはあったのだ。 自分では自分のことを魅力がなくはないと思っていて、自分らしさを見せてあげるだけで喜んでもらえてもいいはずだし、こういう自分を愛してもらえてもいいはずだと思っているひとたちはたくさんいるのだろう。もっと愛されてもいいはずなのに、全然愛されないという悲しみに押しつぶされて諦めてしまわないで、頑張って何かができるようになって仲間に認められていったり、だんだんとお互いの人格を認め合えている友達ができたり、もうちょっと自分のことばっかりじゃない恋人ができたりしていって、それでも、そうやって頑張って無理しているぶんも含め、本当に自分が自分だと思っている自分をそのまま愛してはもらえていない気持ちは続くのだろう。そうしたときに、本当に素直になれて、素直になった自分のことをいいひとだと思ってもらえたときに、ずっと自分には与えられなかったものが、やっと手に入ったような気持ちになるのだろう。 俺はそういう気持ちが全然わからないのかもしれない。俺の人生はそういうものとはかけ離れていたのだと思う。

 俺は昔から、自分が何かを奪われているという感覚が全くなかった。俺の方がずっとうるさくて不安定で、親がずっと弟より俺に手をかけていたからというのもあったのかもしれないけれど、愛されていないという感情が希薄だったし、もっとかまってほしいと思ったことなんてあったんだろうかという気がする。
 俺は共稼ぎの家で育ったし、保育園に行って、小学校に入っても低学年は学童保育に行っていたし、自分は自分だという意識がはっきりしてくるまでの間は、親から離れて過ごしている時間が長い子供ではあった。覚えていないけれど、保育園では、小さい頃は他の子供に噛みついたりしたらしいし、それなりに不安感や欲求不満があったのだろう。けれど、小学校に入ってからは、そういう状況に慣れてしまっている感じだったのだと思う。学校でも学童保育でも、それほど誰とも仲がいいわけでもない感じだったように思うし、近くにいたひととは関わるけれど、特に誰と仲良くしたいというわけでもなく、ずっとひとりでいても平気な感じで子供たちの中で過ごしていたんじゃないかと思う。きっと俺の場合は、小学校低学年くらいが人生で一番おとなしくて不活発な時期だったのだと思う。けれど、その頃に俺は不安や寂しさで不安定な状態だったわけではなかったのだと思う。毎日かなりの時間をひとりで過ごして、それなりに寂しさを感じていたのだろうけれど、その頃でも、さほど親にべたべたかまってもらおうとはしていなかったのだと思う。
 その頃すでにそんな子供だったのは、そもそも俺が生まれてからずっとべたべたした感じで親から育てられていなかったからなのだろう。俺の家は家の中にお菓子や甘いものが基本的にない家だったけれど、俺はそれに不満を持っていた記憶もない。それと同じように、親は俺が寄っていったり話しかけたきにはちゃんと相手をしてくれていたから、俺は親に対して不満がなかったのだと思うけれど、それは、べたべたとかわいがったりとか、物をいろいろ買ってくれたりとか、お菓子を与えて子供を強制的にいい気持ちにさせるようなことをしないでおいてくれたからなのだと思う。おもちゃやお菓子を与えるような強力に気持ちのいい行為をしてもらって気持ちよくなることを繰り返していると、それ自体を喜ぶという以上に、欲しくなったものが与えられることの気持ちよさが好きになってしまうのだろう。欲しがるからこそ、与えられたり手に入れたときにもっとうれしいのは自然なことなのだろうけれど、いつでもすぐにとりあえず欲しがってみようとするようなひとは、意地汚い感じがしてしまうのだろう。俺は親から次々といいことをされるような育てられ方をしなかったことで、すぐに何かが満たされていない気になって、それを満たそうとしたがるような心の動き方をする子供にならずにすんだのだ。
 何を与えられるわけでもないのが普通だという感覚が、俺の根深いところにはあるのだと思う。もっと自分に何かをしてほしいとか、もっと何かを与えられたいという感覚につきまとわれながら生きているひとたちが世の中にはたくさんいるのだろうけれど、俺はそうではなかった。ものごころがついた頃から、俺は何もないなら何もないで平気だったし、子供たちの輪の中に入れていなくてもそれはそれでいいやと思って、ひとりで手ぶらなままぼんやりしていられたのだと思う。俺は最初からそうで、その何を欲しがる必要もないという感覚が、ずっと変わらずに今でも続いているだけなのだと思う。
 最初からそうだったのだし、どうしたってそれは育てられ方によってそうなった部分が大きかったのだろう。自分が何か思って何かをしたときには、満足のいく反応をもらえていて、美味しいご飯を食べさせてもらっていて、自分がリクエストしなくても、いろんなところに連れて行ってくれて、おもちゃなんかもたまに買ってもらえて、一緒に遊んでもくれていたのだ。きっと小さい頃の俺は、与えられているものだけで満足しきっていて、自分から何かを欲しがる必要がなかったのだろう。ただ与えられている環境で楽しくやって、何か思ったらいつも相手をしてもらえるからと、ひとりでよければひとりで遊んで、何かあればずっとああだこうだと思いつくままに喋りちらしていたのだと思う。親にうるさくしていただけでなく、好き勝手に弟をいじくり回して、反応が気に入らなかったら意地悪をして泣かせたりもできていたのだろうし、それで充分満足していたのだろう。家の外でも同じ感覚のまま、自分に与えられる機会や状況をただ楽しんで、自分から他の子供にどうしようとするわけでもなく、近くにいたり、たまたま寄ってきてくれた子とその場その場で遊んで、かといって、それだけで満足して、それ以上にもっとみんなに自分の相手をしてほしいと思ったりすることもなく、特に友達というほどの存在もいないままで、ひとりになりがちな子供時代を何の不満もなくぼんやりと過ごしていたのだと思う。
 与えられた環境で満足するというか、与えられた環境に不満を持たないような気質がその頃までにできていたのだろう。別に誰からいじめられるわけでもなく、ネガティブな態度を取られることもなかった。自分からあまりひとに近付いていかなくても、近くにいたひととなんとなく楽しくやれていたから、自分がもっと楽しくできるように自分から周囲の環境に働きかけなくてはいけない気持ちにもならなかったのだろうし、そもそももっと楽しいことがしたいという気持ちもあまり強くなかったのだと思う。たまに遊びに誘われて楽しく遊ぶことができても、また遊んでほしくてその集団の仲間に入れてもらおうとしたこともなかったし、四人とか五人以上の友達集団で頻繁に遊んでいた時期というのが俺には一度もなかったんじゃないかと思う。
 小学校の高学年になっても、そのあたりはさほど変化しなかったのだと思う。学習塾ではあまり勉強ができる方ではなかったし、少年団野球でも、足も遅いし守備も下手だったけれど、打つのは平均よりはできたし、そういうことにコンプレックスを持つことも、反骨心のような向上心を持つこともなく、のほほんとそれなりに毎日楽しくやっていた。テレビゲームは好きだったし、もっといろんなゲームができたらいいのにということは思っていたのだろうけれど、それにしたって、年に数本買ってもらえるので満足していたし、親がコントロールしている事柄についても、不満を持つという発想自体が希薄だったのだと思う。
 中学高校の頃だって、全く目立ったところがない生徒として、部活もせずにだらだらしているばかりだったけれど、学校に行けばお喋りできる相手はいたし、自分がダサかったのもあって、彼女がほしいなんて一秒も思っていなかった。大学生になれば自分にもそういう相手ができるだろうと思っていたし、そう思うだけで気がすんでいて、学校の友達とテレビゲームが楽しいだけの日々に何の欠乏感も感じず、のほほんと楽しく六年間を過ごしてしまった。
 それはやっぱり、自分はもっといい思いをできてもいいはずなのにという感覚が希薄だったからなのだろう。欲しいものがないから、したいこともないし、何にも執着することもできなかったのだ。そこには俺の好奇心の弱さもからんでいるのかもしれないけれど、とにかく、俺はただ目の前にやってきた状況を自分なりにいい感じにやっていられたらそれだけで満足していられた。子供の頃に貧乏だったひとが金持ちになるために成功できるまでがむしゃらに努力するような、そういうモチベーションが俺にはまるっきりなかったのだ。
 そうすると、彼女に対して、付き合ってくれているだけで自分にとって特別な存在だと思えなかったのも、それまでずっと生きてきた通りの感じ方だったというだけなのかもしれない。俺は二十歳前に最初の彼女ができるまで、どうして自分には彼女ができないのだろうと悩んだり、彼女が欲しくて悶々としたりもしなかったし、誰かに彼女になってもらえるための活動をあれこれやったりもしなかった。そのうちできるのだろうとしか思っていなかったし、実際、最初の彼女と付き合いだしたときも、そんなに自分と性格が合っている感じがしていなかったのもあって、やっと彼女ができはしたけれど、これでよかったんだろうかという気持ちもあって、会えば楽しくやっていたけれど、舞い上がってしまうほどの気持ちが自分の中に生まれたりはしていなかった。
 きっと、彼女が欲しくて悶々とした日々を過ごしながら、彼女ができたら何をしようとか、どこにデートに行きたいとか、そんなことばかり考えていたのなら、そういう自分が楽しみなことをやっとやらせてもらえる相手が自分にもできたと、うれしくてしょうがなくなれたりしたのだろう。
 実際、俺は彼女ができたら何をしようということを一切考えていなくて、そのくせ、いかにもメディアの中で女子が喜ぶデートとして扱われているようなデートをしたがることをバカにしていたから、彼女と付き合い始めてから、自分では何のデートプランも頭に浮かばなくて、彼女から何かリクエストされないと動かなかったし、彼女の案にしても、面倒くさいものには面倒くさそうにしてばかりいて、私だってみんながしているような普通っぽいデートをしたいし、きらきらしたものだって見たいし、クリスマスにはクリスマスっぽいことがしたいのと、ちょくちょく彼女を怒らせていた。
 欲しいものがあるから、それが手に入ったことに強い喜びを感じることができるのだろう。そして、恋愛というのは、自分のことを好きになってくれて、自分をいいひとだと思ってくれて、自分を大事にしてくれるひとがいてくれたらいいのにという欠乏感がベースにあるべきものなのだろう。俺にはそういう欠乏感がそもそもなかったから、恋人というのが、長い時間を一緒に過ごして、いろんなことを一緒にやって、いろんなことを話したりして楽しくやる相手というだけの存在になってしまっていたのだ。
 もっと愛されてもよかったはずなのに、充分に愛されなかったという苦しみを癒やしてくれる相手として、ひとは恋人を求めているのだろう。そうしたときに、俺は恋人から求められている愛情を与えてあげられていたんだろうかと思うし、恋人がそういうつもりで愛してくれていたとして、その愛情に釣り合うような愛情を相手に返せていたのだろうかと思う。
 俺には隣人愛はあったのだろうけれど、俺の恋人への愛情は相手を特別な相手だと思わない愛情だった。もちろん、一生懸命付き合っていたし、できていった関係性は特別なものだったのだろう。だから相手はずっと一緒にいたいと思ってくれたのだし、相手からすれば俺は充分ちゃんと愛せていたのだと思う。けれど、相手にとってはそれほどのものであっても、俺にとって、自分の中の愛情は、自分の欠乏を相手が満たしてくれていることへの感謝をベースにした愛情ではなかったのだ。感謝することではないと思っていたということは、愛してくれたことに恩義を感じていなかったということなのだろう。
 確かに、そのひととずっと一緒にいるかどうかを考えていたときに、愛してくれたことへの恩とか、義理とか人情みたいなものが何を思うにもつきまとってきて、そうした方がいいんじゃないかと苦しい気持ちになったりはしていなかった。そういう気持ちがなかったせいで、ずっと一緒にいられなくもないのだろうと迷っていたときに、恩を返すためにも自分が幸せにしてあげるべきなのだという気持ちになって、踏ん切りをつけてしまえなかったというのもなくはなかったのだと思う。




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