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【連載小説】息子君へ 194 (40 俺は嘘をつきたくなかっただけだった-4)

 けれど、どうして俺はこんなにも嘘が嫌いになってしまったんだろうかと思う。確かに、親からは、嘘をつくなということだけを唯一怒られて育てられたような感じではあった。そのせいで、嘘さえつかなければそれでいいというような人生観になったのかもしれない。けれど、俺はいつだって全く嘘をついていなかったわけでもないし、嘘をついてもさほど後ろめたかったことがなかった。自分のルールとして嘘をつかないことを神経質に守ろうとしているような感じではなかった。
 それでも、明らかに俺は気軽に嘘をつくタイプのひとたちとは距離を取りながら生きてきた感じではあったのだ。俺が付き合ったのは素直で正直なひとばかりだったし、六本木の会社で同僚だったひと以外は、大げさなことを言いたがることがなかったし、同僚だったひとも含め、自分を大きく見せようとするような言い方をしてくることもなかった。男友達でも、嘘つきっぽいなと思っている相手とは距離を取っていたし、小学校中学年くらいまで近所でよく遊んで子は嘘つきっぽいなと思いながら一緒いて、学童保育所も同じだったから、かなりの時間を一緒にいたはずだけれど、今その子の顔で思い出せるのは、ずるそうなことを言っていたり、聞いていて本当なんだろうかと思ってしまうようなことを言っているときの顔がどんな感じだったのかということくらいだったりする。どれだけ遊んでも、ずっと相手の中の本当じゃなさそうな気持ちの動きに違和感を持ち続けていたということなのだろう。それ以降も、中学高校の友達にしろ、大学の友達で比較的付き合いが続いたひとたちにしろ、みんなのなかで率直さとか虚勢を張る度合いの低いひとたちばかりだった。
 別に真面目っぽいひとたちとばかりつるんでいたということじゃないんだよ。俺だって関西の男子校出身者だし、冗談ばっかり言い合って過ごしていたし、大学時代に一緒に住んでいたやつも冗談ばっかり言っているタイプの男だった。
 俺は冗談や大げさな言い方が苦手なわけではなかった。自分や他人を上げ下げしようとしていて、それをうまくやれている気になって上気していることで、より力がこもって大げさな言い方になってしまいがちになるというくらいのひとなら、俺も知り合いにはたくさんいたし、友達の中にもいなくはなかった。けれど、ある程度以上仲良くなったひとだと、君のお母さんくらい、嘘を言っていないのに嘘に近いニュアンスを感じる大げささで喋ってくるひとは初めてだったし、それくらい、俺は嘘に近い雰囲気のするものをずっと避け続けてきたのだと思う。
 バカみたいなことを大げさに言われるのは全く気にならないのだ。けれど、自分の利害が絡むところで、自分でも止められない感じに自分にとっていいようにしようと力がこもってしまうタイプのひとというのは苦手で、そういうひとになると、女のひとではいても、男だと仲良く喋っていたひとでは本当にそういうひとはいなかったのだと思う。
 付き合ったひとたちということだと、嘘とすれすれな大げさなことを言わないという以前には、最後に付き合った六本木の会社の同僚だったひと以外は、どのひともあまりひとに冗談を言う気がないようなひとたちだった。話していて自然とふざけたりはしていたし、面白かったことの話もしていたし、いつも笑顔が耐えない関係だったけれど、大げさなことはお互いに言わないし、お互いに小さな嘘も全く含まれていない前提で相手の話を聞いていたのだと思う。六本木の会社の同僚だった彼女にしても、ほとんどいつでも大げさだったけれど、自分を大きく見せようとはしないひとだったし、小さな嘘は言わないひとだった。ずっとそんなひととばかり関わってきたから、君のお母さんのような自分が楽しく喋るために大げさなことを言いたがって、自分が気持ちよくなるために意識しないところでぎりぎり嘘になっているようなことまであれこれ言ってしまうようなひととじっくり時間を過ごしてみたときに、一緒にいればいるほどわけがわからない気持ちになったりしたのだろう。
 君のお母さんが自分も騙されるくらいの微妙な嘘をちりばめながら喋ってしまうひとになったのは、育ち方からしたときには、仕方のないことだったのだろう。一番身近にいる母親が、自分が楽しもうとしていたり、自分がやりたいことをやろうとしていると、邪魔してくるようなひとだったのだ。自分は毎日いらいらしているのに子供が楽しそうにしていると腹を立てて、その場の思いつきの嘘の理由で、それをやってはいけないとか、よくないことだからといって、自分が楽しんでいることをむりやり奪おうとしてくるようなことをずっとされていたのだろう。そこで君のお母さんは悪意に屈従しないで頑張ったのだ。怒りに震えて興奮しながら嘘に対して嘘で対抗するように、あることないことを言いながら、母親の口からでまかせを押し返そうとしていたのだろうし、それが深いところで他人とのコミュニケーションの基本形の一つとして組み込まれてしまったのだろう。
 そう考えると、俺は自分の親と親子でラッキーだったんだなと思う。あんまりお利口にすることも求められず、ちやほやされて調子に乗るようにも誘導されず、アニメとか絵本とか漫画とか、面白おかしいものにたくさん触れさせられたわけでもなかった。そういう環境で、のんびりさせてもらえたから、うまいことやろうとしなくてよくて、いつでも自分の好きにしていてよくて、ただ嘘はつかないようにしないと怒られる、というふうにシンプルに思っている子供に育ててもらえたのだ。
 俺の母親は、清く正しく生きようとしていたひとだったのだと思う。自然とそうなっていたというより、それなりに自覚的にそうしようとしていたのだろうけれど、本当にずるいところの少ないひとだったし、自分にとって都合がいいようにひとを動かそうとすることもないひとだった。自分を正当化したい気持ちはそれなりにあっただろうけれど、いつでも自分の間違いを認めるつもりがあるというか、少なくても、自分を正当化するためにひとをバカにしたり蔑んだりしようとすることのないひとだった。
 けれど、母親がそうなっていけたのも、育ち方でそうなったところが大きかったのだろうなと思う。俺の母親は記憶にある最初からブス扱いされて、まわりから軽視されがちな日々の中で育ってきたのだろうけれど、自分の母親だってブスで、けれど、母親は賢くて技術も身に付けていて、いつも堂々として、ずるいこともせずに、家計を支えて、地域のいろんなひとから慕われていたのだ。それを見て育った俺の母親は、ブスをいいわけにしたり、ブスをひがんだりする選択肢が初めから奪われていたのだ。自分は母親や姉と違ってバカだから、ただのブスなんだと思うこともできたのだろうけれど、俺の母親は自分を無能なバカだということにはせずに、そんなには賢くないなりに頑張る方を選んだのだろう。自分を無能だと思ってしまえば、惨めな気持ちになる代わりに、頑張っても報われない痛みからは逃れられるし、好きなだけ自分で自分を慰めていられたけれど、それは惨めすぎると思って、自分にやれることをやって堂々としていようと思ってやってきたひとだったのだ。
 ブスであることは、清く正しく生きるうえでは重要な資質だったりするのだろう。見た目がいいと、既得権益側としてしか集団の中にいられなくなってしまう。みんなで分け合うべき人気や栄誉を寡占しているひとたちの一味としてしか生きられないのだ。自分ではどれだけ公正に振る舞おうとしても、みんなからは、権力側の人間のポーズでしかないと思われてしまう。人並みより見た目がよくなってきてからずっとそういう扱いを受けるのだから、何年かすれば、どうしたって被差別側のひとたちと自分は全く違う立場にいるし、お互いに気持ちもわからないし、接する機会があるときでも、美醜の差なんてないかのような態度を作るほどにお互いに傷付くだけだと思い知っていく。そして、自分では自分の見た目に対して、恥ずかしくないようにちゃんと整えているという自己満足以上の価値を感じていないし、見た目が整っていないひとにネガティブな感情は一切なくても、自分がそう思っていないだけで、自分を見た目のいいひとだと思っているひとたちからちやほやされていることを受け入れている時点で、自分もそう思っているのと同じなのだということも思い知らされていく。どうしたって、見た目のいいひととしてそれなりに長い時間を過ごしていれば、自分は清く正しく公正に振る舞えているなんて思えなくなって、そういうことにはどういう態度もとらず、まわりの扱いを受け流しているだけになっていくのだろう。
 見た目がいいことが社会的に価値があるからそれをちやほやしたがるという、差別しようという悪意すらなかったりする、単なる損得感情のようなもので自分に向けて行われるあれこれを全て拒絶し続けることは難しい。けれど、全て拒絶していないのなら、見た目がいいひとはそうでないひとより価値があるかのような顔をしてあれこれ言ってこられているのを肯定していることになるし、どうしたって差別している側に取り込まれている気分になるしかないのだ。
 ブス扱いされているひとたちというのは、最大多数の最大いい気分のために、集団内で差別的な感情をサイクルさせる不正なシステムから、一切のメリットを受けていない存在なのだ。だからこそ、不正なことをしているひとたち全体に対して、いつでも嫌な顔をし続けていられるし、いつでもよくないことをしている嫌なひとたちだと言っていられるというのはあるのだ。
 君のお母さんは見た目がそれなりにいいし、君のお母さんのお母さんも見た目はそれなりにいいひとなのだろう。もちろん、君のお母さんはみんなからかわいいかわいいとちやほやされる時期があったようなひとではなかったのだと思う。けれど、ずっともっとかわいいと思われたいし、もっとちやほやされたいと思ってきたし、ずっと自分はブスじゃなくてよかったと思い続けていたひとではあったのだろう。既得権益側というよりは、既得権益に群がっているひとたちの中にいて、みんなからかわいいと言われなくてもいいから、もうちょっといろんなひとからちやほやされたいと思ってきたとか、そんなくらいなのだろうし、どういう見た目に価値があるという社会的価値に合わせて自分をかわいくすることに何も抵抗がないタイプだったのだろう。むしろ、そういう見た目を利用した差別システムの中で、なるべくいい気になれるポジションにいきたくて頑張っていたようなタイプだし、集団の中で自分はどういう存在なのかというアイデンティティを、自分にとっての自分らしさみたいなものではなく、どれだけみんなからすごいと言われて、どれくらいみんなからちやほやされるかというところで確かめてきたのだろう。そういう意味では、いつでももっとうまくやりたいと思ってきたのだろうし、清く正しくとは真逆のベクトルで生きてきたひとだということにはなるのだろう。
 そして、それは君のお母さんのお母さんもそうだったんだろうなと思う。君のお母さんのお母さんは、君のお母さんと違って、みんなにいいひとだと思ってもらおうといつも頑張っているひとではなかったらしい。口もよくないし、やさぐれた感じのライフスタイルになって、結婚はしたけれど、好き勝手することで家庭を不安定なままにして、子供にも大学を諦めさせたりして、結局離婚して、それからもずっとやさぐれた感じのままで生活しているようなひとらしかった。子供を半虐待できるひとだし、自分のことしか感じていないようなタイプなのだろうけれど、うまくやりたいのに、うまくやれなくて、人生まるごとうまくいかないと思いながら歳を取って、けれど、清く正しく自分がいいと思うことをやれたことに少しずつ満足しようなんて発想も頭になくて、いらいらしてむかむかしている以外にどうしようもなかったひとだったんだろうなと思う。きっと、ただ生きているだけで嫌な気持ちなのに、さらに自分を嫌な気持ちにしてくるひとたちに、いつでも猛烈に腹を立てていたのだろう。それが自分より弱い子供だったら、自分の思うように行動しないたびに痛めつけていたのだろうし、嫌がっている顔を見て、自分はもっと嫌な気持ちなのだと思いながら、少しすっとするようなことを繰り返していたのだろう。
 そういう親というのがとてつもなくたくさんいるのだろうけれど、うまくやりたかっただけなのにうまくいかなかったことばかりの人生になったひとがとてつもなくたくさんいるのだし、子供にひどいことをする親がたくさんいることは、ただ単に当然のことではあるのだろうなと思う。うまくやりたいとしか思っていないひとの人生というのは、いくつか不幸が連続するだけでそうなってしまうものなのだろう。だから俺はこの手紙のようなもので、うまくやろうとなんてせずに、自分がしようと思ったことをしないといけないと繰り返してきたんだ。
 君のお母さんが、俺とは全く違う母親に育てられたというのはわかっただろう。きっと、世の中には、俺の母親程度に清く正しくしようとしているひとより、君のお母さんのお母さんくらい自分の気分次第であることないことごちゃまぜにしながらひとに当たり散らせるひとの方が多いのだろう。もちろん、君のお母さんのお母さんは人並みよりはるかにひどい母親だったのだろう。いまだにタバコをやめられていないらしいし、きっと生まれつき低心拍数だったりで、人並みより生きていて不快な気分が強いところがあって、そのうえでいろいろうまくいかなかったという自分の人生への恨みが多かったり、娘をかわいいと思えなかったとか、そういう不幸が積み重なって、虐待に近いような、娘とお互いに敵意を剥き出しにして攻撃し合う関係になってしまったのだろう。
 きっと、半分虐待みたいな関係になることも、それによって君のお母さんのように愛着障害的にものの感じ方が深いところから歪んでしまうことも、世の中ではそんなに珍しいことではないのだろう。俺はつくづくそういう界隈と縁が薄かったというか、安定した家庭環境でまともな親に大切にされて育ったひととばかり関わってきたんだなと思う。俺からすると、自分の恨みや憎しみのようなエネルギーをそのまま家族に向けてしまうというだけで充分わけがわからないことだった。俺の家族や、俺が自然と仲良くなったようなひとたちのほとんどが、そういうものに人生を半分乗っ取られているようなところはなさそうなひとたちだった。
 六本木の会社で社内恋愛していた彼女は、PTSD持ちだったし、ガラの悪い男と付き合っていた期間もあったみたいで、不安とか怒りがある程度以上膨らむとヒステリー状態になって、そのときは相手に言うことを聞かせようとしたり、脅したりするためにあることないこと言ってしまったり、殴ってもらってわんわん泣くことでしかうやむやにできないような、そのままにしておくと二人の関係が壊れてしまうような、怒りや憎しみに乗っ取られたような顔で攻撃してくるひとだった。どういう経緯にしろ、ヒステリー状態にさせていたのは俺だったし、それが嫌だったわけではなかった。けれど、俺は殴らなかったし、ヒステリーとはいえ、悪意で俺を嫌な気持ちにさせて俺に何かしらの行動を取らせようとしている相手の気持ちの動きを長時間真正面から感じていたことで、このひととやっていけるんだろうかという気持ちにはどうしてもなっていた。
 けれど、それはPTSDが残るような出来事があったせいだし、PTSDに振り回されてしまうことをずっと止められなかったことで、他人との関わり方の癖のようなものとして、ヒステリーの中で攻撃的になってしまうというだけではあったのだと思う。そのひと自体は、親からは大事にされてきたし、素直なところが強くて、うまくやろうという気持ちが少なくて、自分がいいと思うことをやれればそれでいいと思っているタイプだった。
 君のお母さんは親から奪われたという感覚だったんだろうけれど、そのひとは先に深く傷付けられてしまったことで、世界に対しての拒否感みたいなものがベースにあって、世界というのを自分がそこから利益を引き出すために働きかけるものだと思っていなかったというような違いはあったのだろう。だから、そのひとはいつでもやけくそな態度で、みんなが自分のやけくそさを楽しんでくれたらいいとだけ思って、ブスなひとからも地味なひとからもみんなから好かれるひととしてやっていられたのだろう。だからといって、自分だって誰かにケアされて、守ってもらえる幸せに包まれた日々を送りたいのにとは思っていて、それがうまくいかないまま、やさぐれた感じの男や、家族のいる男と付き合ったりしてばかりで、うまくいかなくてじりじりとしたり、たまにヒステリーを爆発させたりしていたところで、俺と付き合った感じだったのかもしれない。
 だから、その社内恋愛していた彼女については、そのひとに昔かわいそうなことがあって、それがずっとそのひとの中でこんがらがっていて、俺と関わるのにしてもそこでうまくいかない部分はあったけれど、それはそういう部分もあったというだけで、他の付き合ったひとたちほどすんなりと仲良くなれたわけではないけれど、相手が警戒心を解いてからは、普段関わっているひとのタイプも、興味があることもそれなりに違っていたわりには、すぐにへらへらずっと喋っていられる関係になっていったし、君のお母さんと全然お喋りがしっくりこないままになったのとは全く違っていたんだ。
 君のお母さんの他にも、好きになったけれど付き合わなかったひとだと、半虐待だったり、そうでなくても家族と歪な関係のひともいた。そういうひとたちに対しては、自分にとっての相手の猛烈なかわいさにひかれていた感じで、多少仲良くなっても、自分としっくり噛み合うひとではないというのは感じていた。逆に、近年知り合ったひとで、それなりに距離感とか表情のやり取りなんかではしっくりきたけれど、テレビっ子過ぎて付き合っていける気にはなれなかったひとは、親だけでなく、近い親戚や本家筋からもずっと大事されて育ったひとのようだった。多数派っぽいわりに仲良くなれた年下のひとにしても、実家暮らしを続けていて、両親とも兄弟とも毎日たくさん喋って、毎日のように一緒にテレビとか映画を見たり、一緒に出かけたり、とても仲がよいようだった。
 親が自分にとっていいことしかしないから、生きている上での基本的な他人への顔の向け方が素直で無防備なものになるというのはあるのだろう。俺がすんなり打ち解けられたひとというのは、物事の感じ方とか興味の対象とかは違っても、他人との距離感というか、相手がいいことを自分にしてくれるのを待ち構えるように相手に顔を向けて、相手の話を聞いているような、そういうところが俺と近かったから、顔を合わせるだけでなんとなくしっくりときて、それで最初からずっといい気分で話せたというのはあったのだと思う。
 どうしたところで俺は素直さがある程度以上残っているようなひとじゃないとしっくりこないということではあるのだろう。俺の中では、嘘の反対というのは素直ということだったのだ。そして、うまくやろうとするのも素直の反対だったのだろうし、だから、自分がそう思うからそうしようとしているわけではないことを、素直ではないだけではなく、ほとんど嘘のように感じていたのだろう。
 そこには他人を自分の所有物のように扱えてしまうようなものの見方をしているのかどうかということもからんでいるのかもしれない。俺は母親から、自分の息子として守ってはもらっていたけれど、自分のしたいことを自分でする一人の人間として扱われていて、母親がどうさせたいからそうさせてもいい対象として扱われているような気分になったことは一度もなかったのだと思う。
 俺にとってはそれが他人と接するときの当たり前になっていたのだろう。自分は自分だという意識ができてきた頃からは、相手には相手のしたいことがあるし、相手には相手で思っていることがあるから、それはできるだけ邪魔をしないようにしないといけないと思ってきたのだと思う。ただ、弟とはそうではなかったなと思う。ものごころがつく前から上下関係があって、おちょくったり意地悪をして泣かせるようなことが当たり前だったし、実家を出るまで世間の兄弟並みにひどい扱いをしていたのだと思う。嘘をつくということでも、小さい頃は弟をおちょくるためにあることないこと言っていた気がする。
 けれど、親に対しては嘘を言わないようにしていたのだろうし、小学校の高学年くらいからは、だんだん大げさなことや自分を大きく見せようとするようなことも言わなくなってきたのだと思う。友達に対しても、もともと騙そうとしたりしていなかったし、小学校の高学年くらいからは、駆け引きを持ちかけるような態度も取らなくなっていったんじゃないかと思う。もともとあることないことを言ってひとの注目を引こうとする方ではなかったのだろう。みんなでいるときにひとを押しのけてでも喋ろうとする方でもなく、近くにいたひとと喋っていて満足というタイプだった。自分がみんなを楽しませてあげようと、調子のいいことや、大げさなことを言ってあげようという気持ちはあまりなくて、個別の相手と、話の流れに合わせて自分の思うことを話しているだけで楽しくやれていたから、思っていることしか喋らないままで思春期を通り過ぎていくことになったのだろう。
 そんなふうに、虚勢を張る気もなく、面白いことを言おうと無理をする気もなく、思っていることだけ喋って毎日とても楽しいという状態で人格形成がされてしまったから、大学生以降も、嘘をつきたくないし、大げさなことですら言いたくないし、自分の都合のいい嘘みたいな物言いに相手を付き合わせるようなことをしたくないと当たり前のように思い続けてしまったのだろう。
 ずっと一緒にいたいと思っていないのに、ずっと一緒にいようと言うのは、俺にとっては完全に嘘だった。女のひとと付き合っていて、浮気しないかと言われて、浮気しないと言ったことすらなかった。機会があればしちゃうんだと思うよと言ってきたし、六本木の職場で同僚だった彼女は、浮気は絶対嫌だと言うから、だったら浮気するときに別れるということなのだろうと思って、だったら一緒にいる間はしないよと言ったけれど、それですら自分の中で半分嘘みたいな気分になって嫌だった。
 もっと気軽に、自分がそう思っているのかどうかということとは別に、そう言っておくのがよさそうだからというだけで適当なことが言える人間になっておいた方がよかったのだろう。浮気しないかと聞かれても、しないしないと当たり前のように言って、ずっと一緒にいたいと言われても、俺もそう思う、ずっと一緒にいて、守ってあげたいし、俺が幸せにしてあげたいなって思う、というようなことを、もうかりまっかと言われて、ぼちぼちでんなと返すくらいの気軽さで言えた方がいい人生を送ることができたのだろう。
 結局、自分のことしか感じていないみたいなひとばかりの世界では、多くの場合、相手が求めているのはそう言ってくれたという事実なのだ。どうしたところで、相手が言ってほしそうにしていることを気軽に言ってあげられるひとの方が、相手を喜ばせられているのだろう。
 それはその場限りで調子のいいことを言えるのかどうかという問題ではないのだ。自分がそう思うかどうかを当たり前のように基準にしていると、自分はそうじゃないからと、やってあげられないことがたくさん出てくる。こういう状況だからとか、相手が喜んでくれるのならそれでいいかと、自分がそれを望んだわけではないと思いながら、相手のせいというか、シチュエーションがそうだったからというせいにして行動できるのなら、自分がしたいと思っていないことでもやってあげることができる。
 きっと世の中の過半数の人々は、日常のほとんどの状況で、自分がそう思ったからではなく、こういうときはこう言っとくものだからと、みんなのために自分が言いたいわけでもないことを言ってあげている気分で喋っているのだろう。というより、生きていること自体が、こういうときはこうするものだからと、自分の気持ちとは別のもので動いている時間で埋め尽くされている感じなのだろう。
 結婚するのだって、自分みたいなタイプは普通結婚するものだろうと思っているようなひとは、自分は今どういう気持ちなのかということから考えないで、結婚するものだとして、今がその結婚するべきシチュエーションなのだろうかと、シチュエーションの方を主体に考えていたりするのだろう。そうしたときには、結婚することを選ばなかったとしても、だったら次はどういうタイプのひとの方がいいんだろうとか、そういうことを考えて、ちゃんと結婚できるような状況に近付いていこうとするのだろう。
 俺は自分の気持ちだけを考えて、違うなと思って断って、また何も考えずに恋愛して、違うなと思って断ってというだけだった。誰かとずっと一緒にいたいと思えない気持ちが変わっていないことを、何もやっていることが変わっていない自分の中で繰り返し確かめているだけになったのかもしれない。だとしたら、できるだけ自分の気持ちの通りに行動しようとすることは、俺を他人から遠ざける役にしか立たなかったということになるのかもしれない。
 もちろん、それは俺が結婚について勘違いしていたからそうなっただけで、勘違いせずに、結婚したいなら割り切るしかないんだという当たり前のことを、ちゃんと当たり前のことだと認識していればよかっただけなのだろう。
 俺が結婚できなかったのは、嘘をつかないようにしていたからではないのだ。それでも、もう少し考えればよかったのに、自分の気持ちばかり感じていたせいでこうなったというのは、どうしたって大きいのだろうとは思う。




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