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【小説】同じ空の保田(やすだ)さん 14

 知れば知るほど、知らない貴方が次から次へと現れる。
 そして、知ったはずの貴方とは別人のような貴方が、とにかくわたしを惑わせる。

 想定外のさらに斜め上から、貴方は手を変え品を変え、貴方という人の片鱗をわたしに降らせる。

 そんな毎日が、楽しくないわけがない。





 わたしと彼の二人三脚の日々が本格的に始まった。
と言ったら聞こえはいいかもしれないけれど、実際はそこまで心と力を合わせて一つのことを成し遂げるような仕事じゃないかった。

 チームに二人しかいないので、二人で今まで以上に黙々と自分の目の前の事をこなしてゆくだけの毎日だ。

 それぞれが受け持つ自分の個別案件に加え、ゆっくりちゃんが残した業務のほとんどは保田やすださんが片づけ、さらに優秀な彼は難しい案件のことで管理職に頼られて仕事が増えていた。
 その結果、本来は保田さんとわたしとゆっくりちゃんのうち誰がやってもよいはずの作業は必然的にわたしがやることになり、ゆっくりちゃんがいない分わたしが担当しなければならない個別案件も増えた。

 『 こんなのやってられるかよ 』と、毒気のある言葉や感情ばかり溢れて膨張するばかり。
 これが、『 達成感 』『 やりがい 』というポジティブな感情に転換されてゆくなら、仕事を辞めるなんて決意はいらなかったはず。
山ほど仕事を処理しても、仕事に対する悦ばしい感情なんてひとかけらも生まれない、逆に毒気がどんどんわたしをむしばんでゆくばかり。


 ただ、そんな勤務時間の中で唯一と言ってよいほど、ちょっとした癒しと笑いをわたしに提供してくれたのは、隣にいる保田さんだけだった。

 相変わらず生真面目な顔をした彼と仕事の会話をする時間の方が断然多いとはいえ、彼も気を緩めたいのか、仕事の会話の隙間に仕事とあまり関係のない話を挟むことが増えた。

 その些細な話の数々とは、

どこどこのセクションの課長は自分と同期で彼の結婚式に出席したことがある、
子供の学校参観に行ったら図書館が綺麗だった、
新人の時に担当した業務でお世話になった誰それさんが隣の隣の部屋にいる、
リニューアルした社員食堂のパスタが昔食べた給食の味に似ていておいしかった、
意外と忘れっぽくどうでもよいことはほぼ記憶しない、 
お迎えはほぼ分担なのに保育園の送りは毎朝自分がやってて不公平だと思うけど妻にそう言えない、
ドラマが大好き・自分より年上のシブめな男性俳優が好き、
学童の先生は自分には何も言わないけれど子供の母親である妻には子供の件で小言をよく言う、
今までで一番味がマズかったものは実家の近くの喫茶店の泥水みたいなコーヒー、
以前いた支社は車通勤で残業の帰りに一本道を走るとよく寝落ちしそうになった、
料理ができないので家で買ってきた鮭の切り身を焼いただけで妻にすごく褒められた、
洋服に興味があまりなく面倒なのでイオンのユニクロでいつも適当に買う、
お酒は飲めないし煙草も嫌い、
基本的にインドア派なのでドライブ以外はあまり積極的に外に出ない、
仕事で頭をめちゃめちゃ使ってる分それ以外はなるべく何も考えないでぼんやり生きている、
家の中よく眼鏡を失くして子供に探してもらっている、

──────── などなど。

 本当に何気ない会話から、話しぶりとエピソードで笑いをこらえるものまで、保田さんという引き出しにしまわれた一つ一つを全部引っ張りだしてもきっと飽きないだろうなと思えるくらい、幅広く多彩な話をしてくれる。


 こんなこともあった。

 忙しい忙しい、と言っても保田さんはお子さんの保育園と学童保育にお迎えに行くために、週に二日は定時退社する。

 そんなある日のこと。

 今日はお迎えがあるから絶対に定時で帰る、と朝から宣言しながらも、定時を15分過ぎても彼は全然帰る様子がない。

「 ……今日って、定時で帰る日ではなかったんですか? 」

とわたしが声をかけると、彼は驚くわけでもなくわたし5秒ほどじっと見てから、

「 …………………本当に、本気で忘れてた 」

とつぶやいた。

「 忘れちゃだめでしょ!明日の準備はわたしがやるから早く帰りなよ 」

とわたしがせかすと、

「 だって、俺が迎えに行ってもよろこばないんだもん、子供が。
ママが良かったとか言われたり、まだ遊びたいとかごねられたりするし 」

と、ドラマに出てくるわかりやすい拗ね方をする子供のように、軽く口を尖らせた。

 ………だからさ、……

『 よろこばないんだもん 』、て、………
仕事が鬼ように出来て、普段冷静でクールな顔をしてるくせに、
どうしてたまにいちいちそうやって可愛いこと言ったり可愛い顔をするの?
貴方は。


 と、そんな突っ込みを盛大にしたいのを堪えて、

「 ………よろこぶかどうかじゃなくて、お迎えは行かなきゃ駄目でしょ 」

とわたしは諭した。

「 そうなんですけどね……今、疲れて変なハイテンションだから、むしろまだ仕事したいのに…… 」

とぼやきつつも、保田さんは身の回りを片づけ始めた。


 保田さんは、子供のことになるとそうやって拗ねたりする、微笑ましいパパなんだなってしみじみ思った。
 それと同時に、嫉妬心とは違う言い様のない淋しさも覚えてしまった。


***


 そんな6月が過ぎてゆき、7月になる頃。

 毎年6月下旬になると、新しい年度が始まって3カ月の一区切りということで、自分の業務について課長と簡単な面談がある。

 上司と一対一で話す機会なので、わりと言いたいことは言いやすい。
わたしは、自分の面談の時に、来年3月末で会社を辞めることを話すつもりでいた。

 それはともかく、本当にこのまま来年度の人事まで保田さんと二人で今のチームでやっていくのか非常に気になっていた。
 辞めるから仕事のことなんてどうでもよく、さっさと時間が過ぎ去ればよい、なんて決して思ってはいない。
 辞めるからこそ、最後の年くらい今までの恩返しの気持ちをちゃんと持っていたい。
 来年の今頃、今のわたしと同じようにわからないながらも仕事をしなければならない誰かのために、きちんと残せるデータは残したい。
 立つ鳥後を濁しまくるような自分になるのは嫌でたまらなかったし、忙殺されて仕事も溜まり放題の現状がずっと続けば、辞める前にわたしの方が本格的に壊れて仕事に来れなくなる。


「 保田さん、あの………、ちょっと、お願いがあるんですけど…… 」

 保田さんの面談時間の直前を狙って、わたしは彼に小声で話しかけた。

「 ……何でしょう? 」

 彼はPCの画面を見つめる真面目な眼だけ、わたしに向けた。

「 保田さんの面談の時に、今後も本当に休職者の分の補助がずっと来ないのか、ちょっと課長に聞いてもらえませんか? 」

 自分で課長に聞かず彼に頼んだのは、彼の方が周囲からの信頼が断然厚いので、課長が本音を話す可能性が高いから。

 人が来る来ないという人事的なことは、常に管理職達の間で隠密に話がすすみ、彼らは異動する本人にすらなかなか情報を漏らさないのだ。

「 聞けたら聞いてみますが……教えてもらえるかどうか…… 」

「 保田さんの面談時間が余って、聞けたらでいいから。保田さんになら、聞けば課長は何か教えてくれるよ 」

「 どうでしょうかね……… 」


 そんな会話をしているうちに、保田さんの面談時間である午後3時近くになった。彼は課長に指定されたミーティングルームへ向かって席を立っていった。



 その後、わたしの方は電話応対やら急な仕事やら何やらで、保田さんに自分で頼んだことをすっかり忘れてしまった。
 しかも、保田さんは今日は保育園と学童保育のお迎えの日。
 彼が定時で帰るので、その分明日の資料まとめをわたしがやらねばならない。
 わたしも日々に疲れすぎて、今日は残業なんてしないでなるべく早く帰りたかった。


 一人で黙々と明日の準備をする。
 複合機とデスクの間を行ったり来たりで座る暇もない。

 そんなわたしのデスクの傍に、帰り支度を終えてリュックを背負った保田さんが立った。
 彼を見て、あ、もうそんな時間なのかと気がついた。

「 すみません、お迎えの日なので…… 」

「 知ってるよ、早く帰りなよ。これはやっておくし 」

 わたしは彼の顔をちらりと見て声をかけてから、また手元の作業に意識を戻した。わたしも早く終わらせてさっさと帰りたいのだ。

「 はい。
すみません、明日の準備、ありがとうございます 」

 彼はそう言って、一瞬黙った。
 ためらいを含んだ空気を感じて、わたしは再び顔を上げた。

 そっと彼が一歩だけ、一瞬わたしの横にさらに近づいて、 
………それは、あまり他人同士が作る距離感ではなく。

 え……?と不意をつかれた私の顔を、15センチほど背の高い彼が少し身をかがめて覗き込むようしながら、いつもより低めの声でぼそぼそと話す。

「 ………あのこと、面談で課長に聞いてみたんですけどね、………やっぱり無理みたいです。いつまでとか先の事ははっきりわからないけれど、当分は今のままみたい。……他の人には言うな、と口止めされましたけどね…… 」

 あのことを面談で聞いた、とは、このまま人不足のままなのか課長に確認してほしいとわたしから保田さんに頼んだ件だ。

 保田さんは、とりあえず内緒話なので小声でわたしに伝えた、ただそれだけにすぎない。

 ………そう、わかってはいるけれど。


 彼の声を始めて無線で聞いた時に心臓ごと掴まれたあの感覚。
 それとほぼ同じものを、自分の中に一瞬でもはっきりと感じてしまった。


 ………だからさ、……
 仕事が鬼ように出来て、いつも冷静でクールな顔でたまにめちゃめちゃ可愛いくせして、さらにどうしてたまにいちいちそうやって心臓に来ることをするの?
 貴方は。


 彼は話し終わると、わたしからすっと一歩離れ、

「 じゃあ、すいません、お先に失礼します 」

 と言い残して足早に帰っていった。


 ………そうまでして、今、教えてくれなくてもいいのに。

 そんなに小声で言うくらい内緒話なら、明日、人のいないところで言ってよ。
 何なら、わたしだけにこっそりメールで送ってよ。

 …………彼はきっと、頼まれたことを早く処理して、何も背負わずスッキリして帰りたかっただけ。
 同じセクションのみんなが慌ただしく動きまわる中で、口止めされた話をこっそり教えるために、そんな行動に出ただけ。

 それ以上でもそれ以下でもない。
 充分すぎるほど、そうわかっているのに。


 ─────── どうしても、どうしても、
動いてしまった感情というのは、言葉や説明なんかで何もなかったことにはできないもの。



 この頃、仕事で毒づいてばかりのわたしにちょっとした癒しと笑いをわたしに提供してくれたのは、隣にいる保田さんだけだった。

 …………そして、他の誰にも感じない気持ちをわたしにいだかせるのも、彼だけだった。





つづく。

#創作大賞2023

(約4400文字)

※地名などは実在の場所に由来しますが、物語とは一切関係がありません。

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