見出し画像

古代エジプト美術館を探検する:後編


今回は、タイトルの通り前回の記事の続きとなる。後編では、古代エジプト美術館の第三展示室(暗闇の間)を中心に紹介していく。

画像1

第三次展示室に入る手前に小さな廊下が存在する。この廊下も照明が敢えて付けられていないため、懐中電灯での探索が必要となる。照明がないため、勝手ながら暗闇の廊下と便宜上、命名した。ちなみに探索に必要な懐中電灯は、入場時の案内であらかじめ手渡されるので、持参する必要はない。

画像4

足下を見ると可愛らしい猫が何やらボードを持って佇んでいる。そこには、フランスの考古学者ヴィクトール・ロレが1898年に記した報告書『王家の谷発想』の一節が記されている。内容は下記の通り。「棺もミイラも灰色一色だった。私は近くの棺の上に屈みこみ、名前を読もうとふっと息を吹きかけた。灰色の挨の層が吹さ払われ、ラメセス4世の誕生名と即位名が現れた。もしやここは、王家のミイラの隠し場所なのだろうか?別の棺の境を吹き払うと、初めはよくわからなかったが、光沢のある黒い地(じ)の上に、つやのない思い顔料で描かれたカルトゥーシュが現れた。他の棺も見てみた___カルトゥーシュだらけだった!」目の前の発見に興奮する当時の様子が生き生きと描かれている。

画像3

木製のボックスの中を覗くとガラス細工が入っている。古代エジプトのガラス研究は当館のオーナー菊川匡 博士の専門分野であり、博士による論文も出されている。古代エジプト人は、ラピス・ラズリやトルコ石などを好んだ。だが、当時は極めて高価だったため、代用品として、こうしたファイアンス製品やガラス製品が発達した。エジプシャン・ブルーと呼ばれる美しい色味が素晴らしい。古代エジプト人は、ファイアンスでビーズを造り、紐を通して装飾品とした。こうした装飾品は非常に好まれ、墳墓にも副葬品として埋葬された。

画像2

いよいよ最後の第三展示室(暗闇の間)となる。部屋に入り、光で辺りを照らすと彩色木棺のお出ましである。極彩色で彩られた人形木棺は、圧倒的な存在感を放っている。

画像5

タァ・アケト・ウレトの彩色木棺。貴婦人の棺で、高さ196cm、幅80cm、厚み50cm。本作は目立った破損などがない良好な状態を保っている。当時の彩色を鮮明に残し、エジプト・ヒエログリフによる葬祭文書も、問題なく判読できる状態にある。

画像6

正面から撮影した全体像。両腕が省略され、脚部に方形の台座が取り付けられていることから、末期王朝時以降の作と判別できる。本作の場合、年代はプトレマイオス朝と推測される。

画像7

器面全体が宗教的な図像とテキストで埋め尽くされている。第3中間期以降から、このようなびっしりと棺を装飾で埋め尽くすスタイルが確立した。また、以前はパピルスに記していた死者の書の呪文を棺の表面の描くようになった。彩色は蜜蝋技法によって着色されている。非常に時間のかかる作業だが、半永久的な耐久力を持つようになる。加えて、エジプトの乾燥した気候がこの棺の図像とテキストを守った。

画像17

古代エジプトの棺には、顔が金色、鬘が青色のものが多々見受けられるが、これは彼らの思想を反映したものである。古代エジプト人は、自分たちが崇拝する神々が黄金の肉体とラピスラズリの頭髪を持つと信じていた。神々の容姿に似せることで、死者にその能力を与え、死後、神に転生することを願った。

画像9

スイレンとパピルスの模様で表現した襟飾りが描かれている。その下部には、翼を拡げる天空神ヌウトが描かれている。全体的に棺が黄色いのは、黄金でできた神の肉体を表現している。一方、第3中間期から末期王朝時代にメンフィスで造られた棺は、器面が白く仕上げられる傾向にある。古代エジプトと言っても地域によって特色があり、その文化影響は工芸品の造形にも表れている。

画像9

死者の挿絵とエジプト・ヒエログリフによる呪文のサイドには、神々が座している。それぞれの神々には「ジェド・メドゥ・イン(〜による言葉)」という文言から始まる台詞が添えられている。

画像10

木棺の身の背面に装飾されたジェド柱の描写が独特で美しい。柱の形状を主体にしながらも、オシリスの姿も組み込んでいる。柱には手が付いており、その両手にはそれぞれヘカ笏とネケク笏が握られている。また、頭部には白冠、ダチョウの羽、ヒツジの角、太陽円盤を組み合わせたアテフ冠を戴いている。ジェド柱の姿で表されたオシリスの両サイドにはイシスとネフティスが向かい合い、さらにその下部では中央にヌウトが立ち、ホルスの四柱の息子が刃物を持って護衛の役割を務めている。

画像11

背面にもエジプト・ヒエログリフによる呪文が記されている。こちらにも死者に供物が与えられ、永遠の安寧を手にするための呪文が示されている。文字の列の外側に描かれている女性たちは参列者であり、両手を上に挙げたポーズは嘆きを表現している。

画像33

古代エジプトで崇拝された聖牛アピスが描かれている。特別な身体的特徴を有した牡牛はアピスと呼ばれ、神殿内で大切に飼育されていた。古代エジプトの死生観では死者はアピスの背に乗り、オシリスの裁判所へ向かったとされる。

画像14

極彩色で描かれている宗教画は、死者が復活するために必要な手続きを表している。さらに詳細な内容を文字によって示している。棺の蓋の人物の顔が黒いのは、オシリスの容姿を真似ているからだ。

画像14

ウジャトの眼や牡ヒツジの姿をとるオシリスが描かれている。この様式は中部エジプトのアクミームで見られる装飾スタイルで、プトレマイオス朝時代初期に製造されたタイプに区分される。

画像15

古代エジプトでは棺にヌウトの姿が頻繁に描かれた。この慣習は彼らの宗教思想が関係している。彼女は天空神であり、巨大な翼を持つとされた。それゆえ、棺にヌウトを描くことで、死者が女神の翼に包まれ保護されると信じられた。ミイラが破壊されると復活が叶わなくなるという古代エジプト特有の思想が背景にある。

画像16

アヌビスはライオンの寝台で被葬者のミイラを造っている。アヌビスの背面で飛ぶ人頭鳥はバァと呼ばれ、人間の魂に相当する。ミイラとなった死者にバァが戻ると、完全体のアクと呼ばれる状態になり、永遠の生命を手に入れることができると信じられた。寝台の下部にはカノプス壺が置かれている。この壺には死者の臓器がそれぞれ収められている。さらにその下部では、貴婦人タァ・アケト・ウレトの心臓が計測されている。アヌビスが天秤で心臓の重さを測り、トトが重量を記録している。画面左手にはオシリスが鎮座し、死者に判決を下そうとしている。オシリスの前には供物が置かれている。その隣には有罪判決を受けた罪人の心臓を喰らう怪物アメミトがいる。この図像は「死者の書 第125章」の一部であり、葬祭では特に好まれて描かれた。

画像18

テキストは5列にわたり、右から左にかけて綴られている。西方の第一人者(冥界の王)であるオシリスの名前を挙げ、彼が持つ称号を列挙して称え、死後の安寧を期待する内容の呪文が記されている。

画像19

太陽の船に乗る神々が描かれている。船長ラーや冥界の守護神オシリスが乗船しているのが分かる。また、人間の姿をしたものが、船をオールで漕いでいる。太陽の船は日中は街を照らし、夜になると復活する悪アペプと対決した。戦いは常に困難なもので、苦戦している時は日中の天気が悪くなるとされた。

画像33

棺の脚部に対でアヌビスが描かれている。被葬者の頭部は東側に置かれ、アヌビスが描かれた脚部は西側に置かれた。古代エジプトの死生観では、太陽が登る東側は生の世界であり、太陽が沈む西側は死の世界だった。西向きに置かれる脚部に死の世界を司るアヌビスの姿が描かれているのは偶然ではなく、古代エジプト人の綿密な計算によるものである。

画像32

人形木棺の脚部と台座が一体化した造りは、末期王朝時代以降の造形である。本作の場合は、プトレマイオス朝時代の中でも前期の作と思われる。ものによっては、台座の底面に「シェン」という永遠を意味する輪の図像が描かれることもある。

画像20

写真右側が第3中間期、中央がプトレマイオス朝時代、左側がローマ支配時代のマスクとなる。死者の頭部に置かれたカバーで、木材や漆喰で造られた。特にローマ支配時代になると、漆喰で製作されることが多くなり、ローマの影響を受けて描写も写実的なものへと変容していく。

画像21

ガラスケースにずらりと並べられたウシェブティは圧巻である。ウシェブティとは死者の労役を代行する葬祭小像だった。古代エジプトの死生観では、人間は死後の世界でも労役の義務がオシリスから課せられた。それゆえ、ウシェブティは何とかその労役を回避して死後の世界では安寧の日々を送りたいと願った彼らの思いの表れと言える。ウシェブティは農業国だったエジプトの風土を反映して、鋤と鍬を握っている。王族レベルのウシェブティになると、農民のウシェブティを監視する監督官のウシェブティが付けられた。労役の代行人形が仕事をサボらないようにとお目付役をつけたのである。それは当時から日常的に勤務怠慢な人間が大勢いたことの証拠でもある。

画像22

ウシェブティは石灰岩やアラバスター、ファイアンスといった様々な素材で造られた。アラバスター製は高価であり、王侯貴族の墳墓から出土する。

画像23

アクエンアテンやセティ1世など、新王国時代を代表する王たちのウシェブティが飾られている。王たちは、大量のウシェブティを製作させ、自身の王墓に収めた。ウシェブティには被葬者の人名が記される他、ウシェブティを呼び覚ますための呪文「死者の書 第6章」が器面に記される。

画像24

カノプス容器、カノプス壺の蓋などが飾られている。カノプス容器の蓋にはホルスが飾られている。カノプス壺の蓋は、双方共にホルスの息子イムセティの姿が描かれている。その奥には南北の統一を意味する「セマ・タウィ」の図像が描かれた板版、ローマ支配時代の造られたワニのミイラマスクが展示されている。

画像25

セマ・タウィは、スイレンとパピルスを二人の男性が結ぶ様子で描かれる。緑色に塗られた身体は、植物をイメージしたもので、エジプトの豊穣を象徴している。

画像26

末期王朝時代のカノプス容器。この容器の中に被葬者の内臓を収めたカノプス壺を収納した。本作はもともとは、鮮やかな図像が描かれていたことが分かる。容器の蓋には、ダチョウの羽根を飾って王冠を被るホルスが設置されている。

画像28

穀物のミイラ。古代エジプトでは、農業の神オシリスを崇拝していた宗教背景から収穫した穀物をミイラにした。包帯を解いてみると穀物が出てくるが、現在ではレントゲンやCT等の非破壊検査技術で、内部が確認できる。

画像29

古王国時代に造られたカモの木像。供物として、こうした像が入れられることがあった。死後、供物は死者が永遠の生命を享受するために必要不可欠なものだった。この写真では、敢えて懐中電灯を入れて写した。このようにライトで照らしながら、暗闇の中を彷徨い、展示品を探していく。その様子は、まるで本当の古代エジプトの墳墓の探索かのようである。

画像31

ホルスの息子たちの小像。再生・復活の神として彼らの小像や護符は、盛んに造られた。材質は木材の他、ファイアンスも好まれた。

画像33

木棺の一部。レバノンスギ製で、末期王朝時代 第26王朝の作。この棺はパァ・エン・アメンの息子ホルシエシのものだったことがエジプト・ヒエログリフから分かる。また、ホルシエシの父パァ・エン・アメンは、牡ヒツジの男神ハルサフェスの神殿を建造・修復する職人集団の監督官だった。文字を木材に糊付けする珍しい造りとなっている。下記、以下のようなことが記されている。

画像33

ラーを穏やかに船に乗せて運ぶ、ラーを穏やかに船に乗せて運ぶ。オシリスを穏やかに船に乗せて運ぶ。最愛の息子、オシリスのフェケティ神官、名はホルシエセ。神が正義と認めた、彼(ホルシエセ)は神が正義と認めた、ハルサフェス神殿の職人集団の監督官パァ・エン・アメンの息子。彼(ホルシエセ)の母は、神が正義と認めた、家の女主人シェプ・エン・イセト。ようこそ、西方の美しき土地に。

古代エジプトの葬祭文書には特殊な言い回しや用語が登場し、時折、理解を困難なものとする。ちなみに、「西方」とは「死者の世界」、「家の女主人」とは「主婦」を指す。「家の女主人」とは、女性にのみ付けられる修字句である。女性専用の修辞句として、他には「シストルムの女演奏者」などが挙げられる。


以上、古代エジプト美術館の展示品を紹介した。百聞は一見にしかず。やはり実物を自分の目で観ることが一番ではあると思う。ただ、僅かながら事前知識を得た上で鑑賞すると、より楽しめるものになるかもしれない。実物が放つオーラは、写真から伝わる迫力とは比べものにならない。実際の展示品が持つ息遣いのようなものを是非、肌で感じみてほしいと思って止まない。古代エジプトは、人間の文化のルーツとなるものを存分に含んでいる。文字の本格的な利用や法律、宗教、葬儀など、現在の私たちにも継承されている。それゆえ、彼らを知ることは、私たち自身を知ることでもあるのかもしれない。


Shelk 詩瑠久🦋


この記事が参加している募集

私の作品紹介

私のコーヒー時間

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?