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#結婚

香織の誤算:ショートショート

香織の誤算:ショートショート

 『よし、いいぞ、太郎、その調子だ』
太郎という名のウーバーイーツ配達員が、自宅マンションに向かって正確に駒をじりじりと寄せてくる。
『よし!そこを左だ!太郎!』

 思惑通り、駒は左に曲がった。

 左・・・左・・左?

 自分で自分に暗示をかけているのか、あるいは一体全体、どっちがどっちに誘導されているのか、悠太は自分に近いすぐ袂の左を見た。会社が終わって帰宅し、このテーブルについてパソコンを

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玲子の三角関係:ショートショート

玲子の三角関係:ショートショート

 セックスレスの原因は上げたらキリがないが、玲子と英紀に限っては、中学生のような誤解を発端に6年つづいていた。お互い31歳のときに籍を入れ、2人とも今年で37歳になる。結婚してすぐにセックスレスに陥ったわけである。
 誤解というのは、なんのことはなくて、お互い求めているはずなのに、対話不足もまた要因なのであろう、ともども相手に拒まれていると勘違いしているのだった。
 しかも誤解に至る道筋というのが

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愁子のバトン:ショートショート

愁子のバトン:ショートショート

 愁子(しゅうこ)はグラスに赤ワインを注いだ。味にこだわっている訳ではないが、決まってオーストラリア産だった。というのはボトルの栓がコルクではなくキャップ式のものを選ぼうとすれば、おのずとオーストラリアになるのだった。それでいて香りは芳醇で濃厚、味の全体的な輪郭もしっかりとしていて、舌に滲み渡る複雑な酸味がそのしなやかな輪郭の内で絡み合う。文句なしの条件だった。

 混じり合って一色にならない味わ

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夕子のアラベスク:ショートショート

 河川に接する緑豊かな公園で夕子は、あたかも犬に繋いだ伸縮リードに引かれているかのように、腕を差し伸ばしてみる。指の先まで寸分の狂いなく、リールの収まる本体を手にしている人のそれに似せてみせる。

 無数の高い樹木に囲まれ、あたりに木漏れ日がきらめくなかで夕子は、

 我ながら優雅な手先ではないか――、と思う。

 幼いころに習っていたこともあるし、今でも時おり鑑賞するバレリーナの華麗な舞いが空想

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菜々美の慈しみ:ショートショート

菜々美の慈しみ:ショートショート

 女性が性的対象の菜々美には、2歳になる娘がいた。夫、令治との結婚生活と同い年だった。好きでもない男と結婚したのではなく、性的対象ではないが、好きな男と結婚したのだった。どの点が好きかと言えば、あまり大きな声では言えないが、不倫をしても傷つかないところだった。もちろん、たとえば人として尊敬できるというのもあるけど、あくまでそれは必要条件であって、それだけでは十分でなかった。

 バイセクシャルの彼

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