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12歳の時、味わった初めての『絶望』


高山 瀧喜です。

僕は3歳〜12歳まで『モトクロス』をしていました。

モトクロスとはバイクのことです。

山バイとも言われています。

山にあるコースでジャンプしたり、崖を登ったり、川を渡ったり

というものです。

見たことがある方はあまりいないと思われます。

僕の父親はロードレースを趣味でしていたのです。

僕には兄がいます。

兄もモトクロスをしていました。

兄はかなりの優等生でした。

レースでほぼ表彰台、勉強では10番以内。

それに比べて僕は毎回最下位に近いところをうろちょろ。

まあ、落ちこぼれみたいなものですね。

仕方ないです。凡人ですから。

でもモトクロスは好きでした。

モトクロスが生きがいであり、人生で唯一ホッとできる時間でした。

父親はとんでもないくらいに厳しく、母親は逆らえませんでした。

僕の地獄は物心つく前にはスタートしていたのです。

チームにも入っていたのですが関係があまりよろしくなく、

疎遠になり、ずっと一人で練習していたのです。

また

父親、母親を信用できなくて言うことを聞かないようにしていました。

当時の僕は『臆病者』です。

何からも逃げて、逃げまくっていました。

とにかく親が怖かったのです。

口を開けばお説教、お説教の毎日。

父親と会話した記憶はございません。

ここ数年で会話をしたほどでした。

『出来損ない』『生きる価値はない』

『やる気がないやつにお金はかけない』

と母親から毎日罵声を浴びながらの生活です。

母親はうつ病でした。

精神雨安定でヒステリックな性格でしたので

もう安心して眠ることはできません。

毎日が地獄そのものでした。

あまりにもひどい時は夜に起こされて一時間以上説教です。

もう母親は僕を吐口にしていたのです。

しかし、僕自身できることは母親を支えることでした。

そのために本を途方もないくらい読んだのです。

その話はまたの機会にでも。

モトクロスでは花を咲きませんでした。

骨折、突き指、打撲、脳震盪、救急車など

多くの怪我をしました。

どんなに挑戦しても必ず失敗する。

そんなことにとうとう僕は心が折れました。

毎日バイクに乗って骨折する夢を見るのです。

毎晩うなされていました。

遂に『もう乗らない』と親に言ってしまいました。

小学校では基本的に嫌われていたので、

どこにも居場所がなくなりました。

部屋に引きこもり、何もしたくありませんでした。

食事、トイレ以外は基本的に部屋でゲームをする毎日です。

僕は言いました。

『もうバイクはいらない』と。

そうしてバイクがなくなったのです。

ガレージからバイクがなくなった光景を見たときに

僕の心のどこかで『パリンッ』と音がしました。

その時、理解したのです。

『どんでもないことをしてしまった』と。

この時、初めての『絶望』を知りました。

その場に崩れ落ちて、動けませんでした。

その後から

『後悔』を思い知りました。

その後悔を知った僕は

『何がなんでも成功してやる』と

今の人格が生まれたのです。

そう。

僕は二重人格です。

ではまた。




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