音楽のように人を好きになれたら、私はただの愛のひと

頭の中を素直に言葉にすると、自分が実はピュアでとても愛に溢れた人なのではないかと仮説が生まれ、恥ずかしくなることがある。



でもみんな、大人もみんな
ほんとうはそうなのではないかな、と思って生きてもいる。


素直の塩梅、みんなどうしているのかな。



好きな人たちはたくさんいて、
そのみんなに好きと伝えたくなるけれど
やっぱり ド直球はさすがに照れるわけで。



その点、音楽ができる人はいい。
きっとそういう、素直な愛情や純粋や憧憬を
音楽に、作品に、ステージに込められる。


音楽を通したピュアな愛情が 聴いた人の心に綿毛のようにふわふわ染み込み、循環し、
近くにいるあの子やあの人に感謝を伝えたくなったりするのだろう。



ラブアンドピースなんて、声高らかに宣言しなくても
実はそこら中に溢れてる。





音楽に対する想いのように誰かを好きになれたら、
私はとても純粋に、とても長く自然に、
人を好きでいられる。


ずっとそう思っていた。



いろいろなことが移り変わっても、
音楽に対する気持ちは揺るぎなく、
ずっとホンモノだと思っていたからだ。


メリットなし、ただそこにあるだけで嬉しい存在。
与えられなくても満たされる。
どんな日にも寄り添ってくれる。
力が湧いて、今日の続きが知りたくなる。
それが私にとっての音楽だった。


でもそれは少し正しく、少し違うのかもしれない。



残念と言うのか、私はまだ
音楽のフィルターがかからなくても
伝えたいらしい。



私にはまだ、まだどこかが素直にピュアで、
音楽を介さずとも愛情や尊敬や感謝を伝えたくなる瞬間が、ある
……らしい。


もちろん日々、音楽に救われているけれど
音楽の力を借りていないときでも、うっかり「みんな大好きです」と伝えたくなる瞬間が訪れてしまう。
しまう、って言い方はおかしいな。



他のSNSでは、誰かのいいことや素敵なことばかり話しているなあ、語っているなあと
改めて気づいてしまったのだ。



それは好きなミュージシャンだったり、俳優だったり、スポーツ選手であったり。
或いは一期一会で会話を交わした街の人であったり、好きなカフェやレストランのスタッフさんに対してであったり。
メリットなしで、たくさんの人に惜しげもなく好きな気持ちの種を撒きまくっている。
たぶんその種からは淡いピンク色の花が咲く。なんとなくだけど。



私は誰かのファンでいること、ファンになってなにかを伝えることが もしかしたら得意なのかもしれない。
確かジャニーズファンの人気ブロガーが全く同じことを書いてくださっていた。
誰かやなにかのファンになって、
その対象の「良さ」を伝えることが大好きなのかもしれない。


自分と向き合うことも四六時中やっているけれど、
誰かのいいところと向き合い言葉にすることは
、自分のことを話すより楽しくワクワクする。


しかし、だ。



しかし大体そのすべてはラブレターみたいなものだから、
これは冷静に考えると
「あぶない」側面もある。



だってもし、日常でもこれをやっていたら、
私や私のようなエンタメに熱心な人は
きっとかんたんに「人たらし」の「愛されモテ系小悪魔(?)」になってしまうだろうと。

いや、あくまで心がけとしての例えですが。

あるいは浮気者か八方美人か、人生が変わる!なにかのセミナー!って感じだ。

(もしくは度が過ぎたストーカーだが、一方的なストーキングはダメ絶対)



エンタメも自分の日常も、好きな根本の部分や心を動かされる瞬間は変わらない。
人のいいところや素敵なところを見つけたら素直に好きだなと思うし、
人に教えたくなるし、
本人にも「素敵なことだよ」と伝えたくなる。
 



でも、急に恥ずかしくなった。
日常からして 私は愛情ありまくりの生活を送っているのではないか、と。


いつものSNSのように、息を吐くように自然に誰かをほめたり好きだと言い続けていたら
なんかもう、愛の人だろう。


「人に興味を持って」と叱られたこともあるぐらい、自己分析としても、ひねくれ属性だと思って生きてきたのに、
心は愛に溢れているなんて、そんなことは。



私、日常でこんなにロマンチックな言葉を発していいんですか?
何気なく伝えようとした自分に思わず問いかけていた。

30代に慣れても、そういう塩梅は慣れないし、分からないです。まったくもう。



自分が心豊かな人間なのかもしれないと自覚することが、なぜこんなにも恥ずかしいのだろう。


大人って、私って、面倒くさいですね。




それにしても、火曜日が休みだとこうも穏やかでいられるのか。
一日頑張ってまた休みというのは、なんだかいいですね。
心なしか、月曜日の夜の電車にも
穏やかな顔の人たちが溢れていた。
定期的に国民の祝日が火曜であってもいいのにと、少し思った。

即位礼正殿の儀も虹がかかった美しさも素晴らしかったし、なんだか良い夢が見られそうである。


偶然これを見たあなたも、良い夢を。



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