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サボる哲学労働の未来から逃散せよ 栗原康
最近のマイブーム、栗原康さんの著書「サボる哲学」を読んだ。
相変わらずふさげた題名だが中身はいたってマジメで良い本だった。
アナーキズムといえば、打ちこわしや暴動のイメージがある。何か社会によからぬことを企てる考えや主義のイメージがある。
しかしよくよく考えてみれば、人々をそのような主張や行動に駆り立てる根本があるはずである。
そのことについてよく書かれている。文章のリズムもいい。ふざけすぎてな
なんでも地域で、は無理がある
最近に始まったことではないが、普通に暮らしていくことがだんだんと難しくなってきている。そう感じるのは自分だけではないらし。
その生きづらさは、なにも私の存在について悩むとかそんな哲学的な問題ではなく、日々日常の生活の悩みである。子育て、介護、一人暮らし、貧困、いじめ、ご近所トラブル、公共施設や公共交通機関の廃止、地域組織の役割負担、それに加えてコロナへの対策…。
これまでであれば、これらの問題
はたらかないで、たらふく食べたい(本の紹介)
正月もはや10日である。そろそろ通常モードに戻さないとならない、と思いつつ本を読んでいる。
この時期はまた成人の祝いの会があちこちで開かれている。着飾った若者を駅や街でもみかける。まぁともかく成人おめでとう。
そんな若者に贈る本として、この本を紹介したい。この本を読んで、金、金、金のものさしよりももっと大切なモノがあることを知っていて欲しい。
投資の方法やボランティアの勧めを学校で教える時代
理由なんて案外いい加減
全てにおいて「なんとなく」では済まされな空気は、逆に健全ではない気がする。なんでもかんでも説明されないと落ち着かないのは、かえってしんどいんじゃなかろうか。
最近、何かの行動や行為の背景には、かくかくしかじかの理由があって然るべきとか、何かを決めた理由はしっかりとした根拠があって当然であるとかと思っている人たちが多いような気がする。
特に若い人たちにそのことを感じることが多いのは、説明責任を求めら
夏の終わりの 体調不良
寒邪 カンジャと読む
患者でもなく、感謝でもなく、関ジャニでもない。
身体の不調を引き起こす要因(邪気)の中でも、外的な要因(外邪)で冷えがその正体。冬場だけではなく夏でも冷房や冷たい飲み物などにより身体が冷えやすくなっている。
東洋医学によると、この寒邪=冷えの邪気も体内のエネルギー(気)が足りていれば、体内のバランスは保たれことなきを得る。しかし、足りなかったり、気の巡りが滞っていたりする
オンライン授業への懸念
危機に乗じて今までの社会制度を大幅に変える
それも国民にとってよりよき方向ではなく、
市場あるいは特定の民間企業にとって有利な方向へ舵を切る。
これをナオミ・クラインはその著書「ショック・ドクトリン」で、
惨事便乗型資本主義と書き、警告を鳴らしている。
今回の新型コロナウィルスの感染拡大に乗じた動きの中で、
そのような動きが出てくることをとても心配する。
その一つが、義務教育現場でのオンラ
これから変わっていくもの
世界の見え方は、視点が違えば違う。
〜中略〜私たちはつねにある時代、ある地域、ある社会集団に属しており、その条件が私たちのものの見方、感じ方、か考え方を基本的になところで決定している。だから、私たちは自分が思っているほど、自由に、あるいは主体的にものを見ているわけではない。
〜中略〜
私たちは自分では判断や行動の「自律的な主体」であると信じているけれども、実はその自由や自律性はかなり
ボランティアを眺める視点 メモ
「ボランティア」について考えるための視点整理メモ
今回、私たちは文化芸術活動の一つでもある「アートイベント」とそれを支える「ボランティア」の関係性について考えてきた。中でもイベントを支える「ボランティアスタッフ」と呼ばれる人たちが、どのような思いでイベントに参加しているのか?またイベント主催者はどのような意図を持って「ボランティアスタッフ」との関係性を築こうとしているのか?に焦点をあて調べること
ボランティアについて
ボランティアについて、少し調べたり考えたりしている。
ボランティアと一口に言っても、意味や受け取り方に幅の言葉であることがわかってきた。
ボランティアが社会奉仕や慈善事業的な意味あいで語られていたのは1970年より前のこと。とはいえ、今でもそのように思っている人も少なくないかもしれない。
かわいそうな人たちのために私たちはやってあげてるみたいな感じ。
でも本来は、自分のやりたいこ
権利の制限には敏感に
ウィルスの感染拡大防止という、誰も反対できない理由をもとに権利を制限する動きが大きくなっている。
小学校から高校の全国一律の休業要請。それも木曜日の夕方に発表し、次の月曜日に実施せよとの、総理大臣直々の発表。
これは、明らかに子どもたちの学ぶ権利を制限している。効果については専門家さえ首を傾げるようなものであるにもかかわらずだ。
各地の地方議会の傍聴についても、禁止とは言わず遠