サボる哲学労働の未来から逃散せよ 栗原康

最近のマイブーム、栗原康さんの著書「サボる哲学」を読んだ。
相変わらずふさげた題名だが中身はいたってマジメで良い本だった。

アナーキズムといえば、打ちこわしや暴動のイメージがある。何か社会によからぬことを企てる考えや主義のイメージがある。
しかしよくよく考えてみれば、人々をそのような主張や行動に駆り立てる根本があるはずである。
そのことについてよく書かれている。文章のリズムもいい。ふざけすぎてないところもいい。

そもそも近代資本主義が今日まで発展を続けた背景として、産業革命が挙げられることが多いが、実はそのもと(最初の資本蓄積)には
奴隷貿易やその奴隷を供給(まるでモノのように)してきた国々からあらゆるものを奪い取ってきた西欧諸国の行いがあったことが書かれている。
さらにはイギリス国内においても、コモンズ(共有地)の囲い込みによる我が身の労働力しか持たない層を作り上げてきたことが
書かれている。恥ずかしながら「ラダイット=機械の打ち壊し」が壊そうとしていたものが何であったのか、この本を読むことで初めて知った。

資本主義が変わらず成長するためには、新たな市場とそこへのものの供給を可能にする「否応なく、働かざるを得ない者たち」が必要なのだ。

つまり「働かざるを得ないものものたち=売り物が自身の労働力しかないものたち」を構造的に作り出す仕組みが必要になるのだ。
それが、かつての奴隷であり、植民支配であり、そして現代の移民へとつながる。
そして植民地も移民もない我が国では、正規社員の非正規雇用や教育機会の階層化、あるいは教育費用の貸付による縛り付けといった政策にも
繋がっているように感じられる。

そこで栗原さんは、言う。だからと言ってまともに戦っていては絶対的な権力を持つ相手には敵わない。
何も持たないものたちにはそれなりの戦い方があるのだと。そのことがこの本には書かれていいる。

「サボる哲学 労働の未来から逃散せよ」 やばい本だった。
このままだと、いずれ発禁となる世界がやってくるかもしれない。 
そうなる前にみんなで読んで、このがんじがらめの構造から逃げ出そう。

#栗原康

#サボる哲学

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