理由なんて案外いい加減

全てにおいて「なんとなく」では済まされな空気は、逆に健全ではない気がする。なんでもかんでも説明されないと落ち着かないのは、かえってしんどいんじゃなかろうか。
最近、何かの行動や行為の背景には、かくかくしかじかの理由があって然るべきとか、何かを決めた理由はしっかりとした根拠があって当然であるとかと思っている人たちが多いような気がする。
特に若い人たちにそのことを感じることが多いのは、説明責任を求められる環境で育ってきたせいかもしれないし、結果には原因となることが存在するはずといった考え方が浸透しているからかもしれない。
でも、案外、なんとなくそうなったとか、理由はうまく説明できないけど感覚的にこっちの方が良さそうだったからということで決まったり、人生の進む道が変わったりすることは少なくない。
見えている事象やデータだけではわからないこと多いし、それらが複合的に作用することで思わぬことが起こることも多いからだ。特に相手が人であればなおさら、相手も変わればこちらも変化する。見えている事象も未来永劫そうである保証なんてない。
わざと隙を作るとか、何かが生まれる余白を残しておくといったことは、何かを考えたり作り上げたりする中では案外大切なことなんじゃないかなと思う。時には流れに身を任せ、偶然にかけることもあってもいいと思う。
何にも考えていないように見えてるかもしれないけど、わざと余白を作っているんですよ、なんてねw
追記
その根拠に「コスパ=コストパフォーマンス」なんて言い出す奴は一緒にいてあんまり楽しい人じゃないからね。

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