これから変わっていくもの

世界の見え方は、視点が違えば違う。

〜中略〜私たちはつねにある時代、ある地域、ある社会集団に属しており、その条件が私たちのものの見方、感じ方、か考え方を基本的になところで決定している。だから、私たちは自分が思っているほど、自由に、あるいは主体的にものを見ているわけではない。

〜中略〜
 私たちは自分では判断や行動の「自律的な主体」であると信じているけれども、実はその自由や自律性はかなり限定的なものである、という事実を徹底的に掘り下げたことが構造主義という方法の功績なのです。  

寝ながら学べる構造主義〜内田樹著・文春新書〜より

 このコロナ禍は間違いなく社会のしくみや有り様(景色)を変えている。この騒ぎが落ち着いた後には、もはや元の世界はない。すなわち、私たち自身も今のままではいられない、ということだ。
 新型コロナウィルスの感染拡大についての恐れや不安は、感染することによる肉体的なダメージに対するものよりも、今の社会が変わってしまうこと、そしてそれによって私自身が否応なしに変えられることからきているのではないだろうか。

 もちろん、経済の停滞により、今まで通りの暮らしを成り立たせていけないという、目の前に迫っている切実な現実が、日々のしかかってきている。このことが気持ちを重たくしている大きな要因である。しかし、もしも、この社会のしくみを変えることができたなら、あるいはこの気持ちの重さの加減は違うものに変わっていくのかもしれない。(楽観的過ぎだろうな)

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