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act:13-オレの夏やすみ 虫捕りラジオ体操、死神博士の記憶【早朝編】

 常に刑務所のような学校がない夏やすみは、オレにとっては人生最大のボーナスステージ。やりたくもない勉強をむりやり押し付ける授業がないばかりかオレに命令する先生もいない。あの憎たらしいナガサ一味(※1)らとも早々会わないのでケンカもせず毎日が心穏やかだ。今回はそんなオレの夏やすみの、華麗な日常を紹介したい。

 『午前5時だOK!・・出動だぁぁぁぁぁーーー!』
オレは一人さけびながら飛び起きた。

(今振り返ると弟には大変な迷惑をかけたけど、やはり気合をいれないと早起きは大変なのです)

夏休みのオレの朝は早い、毎朝5時に起床、目覚まし時計なんて鳴らなくともバッチリ目覚められるのだ。‥フフフ、この人生最大のボーナスステージ『夏やすみ』だからこそ、学校に行くときよりもオレは猛烈に早起きができるのだ。まさにオレの本能が目覚めさせてくれる、一秒たりとも時間を無駄には出来ないのである!
まぁNHKラジオ体操(※2)という全くどうでもよい朝のイベントに、小学生だからと半ば強制的に出席を求められるため、それなりに早く起きねばならないのだが、それでも6時30分から始まるラジオ体操に出るだけなら、オレなら6時20分起床で十分に間に合う。ようは誰も起きてこない時間に、あえて起きねばならない理由がオレにはあったのだ。
そう!それはカブトムシ、そしてクワガタなのである!
オレは目が覚めるとシュバババッと歯磨きをし、ヒカリの速度で服を着替え、ひとり家を飛び出す。寝坊助な弟クニオは今日も置いてきぼりだ。
オレはようやく昇ってきた真っ白い朝日を背に受け、ウチの地区のラジオ体操会場である大多喜小学校の校庭に向うのだが、まずはその通り道の大多喜町役場に軽く寄り道だ。そして水銀灯の脇のクヌギの木を中心に付近をくまなく探索し、カブトムシやクワガタを見つけ出すのである。
『・・へへへ!今日も大漁だぜ!』
今日一番の収穫は、ひときわ大きなオスとメスのカブトムシ、オスのヒラタクワガタだ(ニヤリッ
オレは捕まえたメスのカブトムシとヒラタクワガタを虫かごの中に放り込み、見事なオスのカブトムシを誇らしげにシャツにしがみ付かせたままで、次の猟場りょうばに向う。

(昭和の大多喜町役場は大きな木々が茂り、カブトムシやクワガタなどがよく捕れました)

次の猟場りょうば、それは何を隠そうNHKラジオ体操の会場でもある大多喜小学校の校庭だ。ラジオ体操の始まりまでは時間があり、もちろん誰も来ていない。校舎の時計を見上げるとまだ5時20分だ。
『しめしめウシシ!・・今日もオレのひとり勝ちだ』
オレは校庭の花壇にポツンと一本立つ水銀灯の、その周辺の木の根元を入念に探し回った。残念ながら本日はカブトムシはいなかったが、ノコギリクワガタのオスを発見!他にもコクワガタなども見つけたが・・、これはあまり有難みがないな。あとでクニオにやろう。
ここでは一度だけミヤマクワガタのオスを捕まえたことがあるが、やはり大多喜の町ナカでは、レアなミヤマクワガタは中々見つからないよなぁ、ミヤマを捕まえるには自転車で30分かかる西部田にしべた地区まで、また遠征に行くしかないのかもしれない。でも西部田にしべたには永遠のライバル『キタゴーリ』(※3)がいる。まるで火縄銃ひなわじゅうみたいな破壊力の改造銀玉鉄砲で、オレが来るのを今か今かと待ち構えていることだろう・・。西部田にしべたとは、オレにとってはこのようにリスキーな地なのだ。
そうそう、このような昆虫探索で気をつけねばならないのは、不気味な虫やヘビの存在だ。この日も役場ではヤマカカ(※4)を、この校庭では鮮やかなピンク色のデカいスズメガを見つけた。ヘビは咬まれると厄介だし、はその羽根の鱗粉りんぷんでカセる(※5)ものもいるという。でもそれ以上にこのスズメガはデカくて毒々しい色で、動きも早くトンでもなく気持ちが悪い。だからって追い払おうとすると大概こっちに物凄い速度でスッ飛んでくる。オレはそんなが大の苦手なのだ。

 『・・6時15分か』見上げた校舎の時計の針が、ラジオ体操の時間が迫りつつあることを教えてくれた。そうこうするうちに、近所の子供たちやPTAの父兄が校庭に集まってきた。そんな中に弟のクニオもいる『やぁアニキ、今日も大漁かい?』
ようやく来たか朝寝坊なクニオよ。そうだオマエにはコクワガタをあげよう!これは多分いいものだ。いやいや遠慮するな兄弟じゃないか。
やがてPTAのおじちゃんが校庭の朝礼台にラジカセを置き、おもむろにスイッチを入れた。それが号令になり朝礼台の前に人が集まりだす。そして6時30分ちょうどにNHKラジオ体操の音楽が校庭に流れ始めた。
オレは元来、この手の学校行事のようなものが全て大嫌いなので、監視者でもあるPTAの父兄に怒られない程度に毎回手を抜く。フリーダムなオレにとって、せめてもの反抗の意志をこめて今日も手を抜く。申し訳程度に軽く手を振り足を振り、そうして今日もこのラジオ体操をやり過ごした。せいぜい10分ほどのことなのだろうが、オレにとってこの10分は大変に苦痛で、毎度1時間ほどにも感じられる。

(私は大多喜小学校の傍に住んでいたため、ラジオ体操の会場は大嫌いな小学校の校庭でした)

体操が終わった瞬間、オレはいつものように朝礼台の前に駆け寄り、首から紐で垂らしたスタンプカードに出席確認のスタンプを押してもらった。
よし!これでようやくオレは正真正銘フリーダムだ!
捕まえたカブトムシやクワガタなどを、集まったみんなに軽く見せびらかしながら品評会をした後、やがて緩く解散。オレもクニオと一緒に家に帰った。今朝の収穫のカブトムシやクワガタは、クニオと一緒にあらためて品定めした後、ひとまずスイカの皮を入れてある飼育ケースに放り込んだ。
さぁ、まずは朝ごはんだ。

 7時を過ぎた。待ちに待った朝ごはん!オレは誰より早起きしてるんで腹が減ってたまらないぞ。・・あぁ、でもその前に仏壇に線香をあげねばならない、これは我が家の掟なのだ。オレは線香立せんこうだてから1本だけ線香を取り、ロウソクで火をつけてから香炉こうろの灰に立てて、そしていつものようにリンを3回鳴らして手を合わす(ナムナムナムナム・・)。続いてクニオも同じように線香をあげて手を合わす。
仏壇を覗くと、この前死んだバァーチャンの小さな写真が、こっちを見て笑っているようだ。いやはやバァーチャンも今や遺影の中かぁー、まーでもバァーチャンはこれ以上死ぬこともないんで、例えこの先ソ連の原爆げんばくが落ちてこようともある意味無敵だよな、でも死ぬと旨い朝ごはんがもう食えないからちょっと残念じゃないかな。
そんな我が家の今日の朝ごはんは、アジの開きに、豆腐とワカメの味噌汁か、中々ナイスなセレクトだ。その中でもガスがま、ようはガス炊飯器で炊かれたホッカホカのご飯がやはり一番輝いてるぞ、まごうことなき銀シャリってやつで、本当に艶々ピカピカしてるんだ。大多喜町は天然ガスが出るので、ウチのガス器具は全てこの地面の下から湧いてくる天然ガスだ(※6)。母さんに聞いたところによると、ガス釜は電気釜より早く炊けて、そして火力もあるので旨いんだそうだ。
そしてメインディッシュのアジの開きの焼き魚の、その身がプリッとしてて何とも旨いことよ!ウンウンこれは隣町の勝浦産だな。アジは小骨は多いけど一番好きな魚で、その次はカツオかサバかな。キンメダイやマグロも旨いけど、オレは魚といったらやっぱりアジやサバ、カツオの方がいいな。
味噌汁は、御宿の生ワカメと近所の豆腐屋で作られた木綿豆腐だ。味噌は母さんの実家の自家製赤味噌じかせいあかみそ、これがまた旨じょっぱくて最高なんだ!テレビCMでやってるハナマルキの味噌より断然こっちがオレの好み!実は母さんの実家は、代々鴨川の大横渚おおよこすかの農家で、広い田畑があり牛も飼ってたりしている。それで自家製の味噌みそや野菜などを、ちょくちょくもらってくるんだ、ありがたいありがたい。
6チャンネルの『おはよう700(セブンオーオー)』(※7)を家族で眺めながら、オレはバリバリむしゃむしゃとアジの開きを食べつつ、その焼き魚の付け合わせに出された大根おろしを大量にご飯に載せ、醤油しょうゆをかけてグチャグチャかき混ぜて掻き込んだ。大根おろしが舌にビリビリ刺激的で最高に大好きな食べ方なんだ。そうやって一気に口に詰め込んだら、続けてご飯をおかわり、2杯目はマヨネーズをご飯にブリブリとかけて醤油を垂らして、やはりグッチャグチャにかき混ぜて掻き込んだ。マヨネーズのコクが醤油と相乗効果でウマーイ!あぁオレはなんて幸せなんだろう。でもそれを隣で見ていた弟のクニオがひとこと『アニキ、その食べ方なんだかバッチイよ』と。
・・フフフ我が弟クニオよ、この旨さがわからないとは、やはりまだまだ年少さんだな・・。いいかよく聞くんだ。見た目が悪かろうが何だろうが旨いものは旨いんだ。逆に美しいものが旨いとは限らない、弟よもっと視野を広くするんだ!年長さんのオレの背中を見てしっかり学ぶように。そして常に本物を見極める眼を養ってほしい、オレの弟だオマエならきっとできる!・・そこで再度提案だ、マヨネーズごはんは本当においしいぞ、どうだオマエも一度やってみないか?
おはよう700の名物コーナー『キャラバン2(※8)』が始まった瞬間だった。さっきから黙々とご飯を食べていた父さんが、ふと思い出したように話し出した『・・そうだ、オマエたち午後は暇か?取材で養老渓谷ようろうけいこく弘文洞こうぶんどう(※9)に行くが・・、来るか?』
父さんの仕事は地方紙の新聞記者だ。大多喜町を含む夷隅郡いすみぐんと勝浦市、もう少し細かくいうと大多喜町、夷隅町、岬町、御宿町、勝浦市が担当地域で、夏やすみシーズンになると観光客向けにこの地域の観光地の取材をよくするんだ。この前も勝浦市にある行川アイランド(※10)の仮面ライダーショーの取材に連れてってもらえた。1号からストロンガーまで、仮面ライダーが7人も集合していたのは圧巻だったなぁ・・。
行川アイランドはずいぶん昔から仮面ライダーの撮影によく使われていて、ついでに撮影スタッフ自らが度々仮面ライダーショーをやってくれたんだ。

行川アイランド仮面ライダーショー
(写真は番組撮影収録後の新1号による仮面ライダーショー 行川アイランドにて 1972年頃)
(小学校入学前の私とクニオ、そして新聞記者の父と母 行川アイランドにて 1972年頃)

 そういえば思い出した。あれはいつのショーだったかな、オレは撮影とショーの合間に偶然遭遇した死神博士しにがみはかせ(※11)の、その毒々しいメークと衣装からは全く想像できないとっても優しげな目と、二言三言ふたことみことお話した際の、その穏やかな語り方がずっと忘れられず、あれ以来ショッカーが大好きになったんだった。他の子供たちが彼から泣いて逃げる中、考えてみればオレはよく怖がらず死神博士と喋れたもんだったが、、でもその出会いの結果オレはショッカーびいきに、平たくいうとどうやらショッカーに洗脳されてしまったようで、一時は仮面ライダーを完全敵視、テレビを見るたび主人公の仮面ライダーに向い『ショッカーの裏切り者め、恥を知れ!』と叫ぶほどに、本気で心の底から憎んだほどだった。

(行川アイランドで本物の死神博士と遭遇した園児の私 会話内容はこんな感じ 1972年頃)

そうそう、仮面ライダーは正義の味方というのが通説だが、このように一般的によく語られる正義とは一体なんだろう?思えばこの頃からオレは正義について疑問を強く抱くようになった。正義の反対は悪ではない、実はもう一つの正義なのだ。その知恵を与えてくれた人物が、保育園児の頃に行川アイランドで出会った素顔の死神博士だったのではないかと思っている。

 ・・まぁそんな感じで(どんな感じだ?)オレたちは、父さんの取材記事の写真モデルも時には兼ねて、このように方々によく連れて行ってもらえるんだ。そして行った先々で何か旨いものもご馳走になるという寸法だ。新聞にモデルとして載るという責任重大な任務を背負うこともあるんだ、当然の報酬である!
まぁー食べ物は別にしても、オレたち兄弟は、こんな父さんの取材の付き添いが楽しくて好きなんだ。もちろんオレたちは二つ返事で行くと答えた。
『そうか、なら宿題やっとけよ』
父さんは無情にもそういうと、目をうっすら細めてニヤリと笑った。
オレとクニオは、途端に飯がまずく感じた。

 8時を越えたぐらいだろうか、朝ごはんを終えたオレたちは宿題を嫌々ながらも始めることにした。午後は父さんの取材に連れて行ってもらえるんだ仕方がない。しかし暑いせいか勉強をすると頭が火照ってあまり進まない。そんな中でどうにか漢字ドリルは今日のノルマを果たしたが、算数ドリルに至っては全く進まない。ページを開いただけで脳みそから湯気が出そうだ。扇風機せんぷうきをガンガン浴びても数字を見るだけで頭が回らなくなってくる。そのうちクニオと昨夜のテレビ番組の話が始まり徐々に脱線、そして午後に養老渓谷に行くまでのあいだ、何をして遊ぼうかの話になり・・。まぁ幸いまだ8月もお盆前だ、夏やすみはまだまだ長い。残りの日々で幾らでも巻き返しが出来る筈なのだ。そんなわけでオレたち兄弟は『ひとまず今日はおしまいにしよう』と、お互いを納得させあったのであった。
なぁーに長い人生だ、人間、ときには諦めも肝心なのだ。
気を取り直して、これから大多喜無敵探検隊の駐屯地ちゅうとんち『青龍神社』せいりゅうじんじゃに2人で向うことにした。

 午前9時、青龍神社には既にヒロツンとユーイチが来ていた、相変わらずの暇人たちだなビックリだ。オレがいうのもナンだが、オマエたちは夏やすみの宿題ちゃんとやってるのか?そしてしばらくしてヤッチャンも登場。影のメンバーお面のケンちゃん、またの名『ウェーズミ(上泉かみいずみ)』は今日も欠席のようだ。まぁヤツはいいんだ、ヤツは家に引きこもって何かやってるのが好きなんだ、今までも暑かったり寒かったりすると全く出てこなかった。それにオレは誰も束縛はしたくはない。本人の自由意思をこれからも尊重したいと考えている。
そんなわけでいつものメンバーが揃ったところで、自然とみんなでメンコ大会が始まった。

(メンコの一例 私の時代は昔ながらの丸形は廃れ、代りにミニカードがよく使われました)

1977年(昭和52年)の小学5年生の夏やすみ、
ここまでよくある朝の想い出だ。
さぁーて、お楽しみはこれからだ!
オレの華麗な夏やすみは、ゆる~く続く。

次回、物語は act:14【定例パトロール編】へ  ↓

【注意】登場人物名及び組織・団体名称などは全てフィクションであり画像は全てイメージです…というご理解でお願いします。

【解説】
(※1)私は当時、クラスの番長ナガサ(長狭)といつも気が合わず、何かにつけてよく喧嘩をした。そして喧嘩になると大概ナガサの取り巻きのトキやヤリタもすぐ加勢に入り、大体1対3の喧嘩になる。ときにはクラスの男子全員が敵になった。詳しくは『act:12-木原線のガーダー鉄橋を越えろ』をご参照されたし。
(※2)NHKラジオ体操は、国民の体力向上と健康の保持や増進を目的とした一般向けの体操、または、その体操用音楽をピアノ伴奏にのせて指導を行うNHKの朝のラジオ番組だ。昭和の頃の夏休み中の小学生たちは、この番組の6:30のオンエアーにあわせ早起きし、地区ごとに校庭や広場に集まってみんなでこれを『やらされた』記憶がある。大人からすれば、夏の長期休暇中とはいえ、子供たちに規則正しい生活習慣をつけたいという親心があったものと思われる。
(※3)キタゴーリ(北郡)少年、サナダ隊長と同様に火薬類や飛び武器に必要以上の執着を持つ好敵手である。彼のTVアンテナの金属パイプを再利用した火薬式の手作り銀玉鉄砲は、現在では問題になるレベルの破壊力を有する(ほぼ火縄銃)、隣村の西部田地区に住み、休日は武器弾薬類調達のため、その補給所である駄菓子屋(バクダン屋や加賀屋)でよく鉢合わせし、お互いに緊張・牽制しあう仲、サナダ隊長より1歳年下 いずれ登場予定。
(※4)ヤマカカは、毒蛇のヤマカガシの房州弁での意。その当時はこのヘビの毒性は知られておらず、私たちは普通に捕まえては弄り倒していた。
(※5)『カセる』とは、房州弁で『かぶれる』などの意
(※6)大多喜町の地下には豊富な天然ガス資源がある。詳しくは房総レジェンド『太田卯八郎と千葉県初の天然ガス』をご参照されたし。
(※7)おはよう700(セブンオーオー)は、1976年9月27日から1980年9月26日までTBS系列局ほかで放送された朝の情報番組で、毎朝全国からの様々な話題を生中継で放送していた。
(※8)おはよう700の名物コーナー『キャラバン2』は、アラスカからフェゴまで、またはリスボンやアフリカなどから東京までを日本車で横断するといったアドベンチャー的なコーナーで、常に冒険を渇望していた当時の私は、いつも夢中になって見ていた。
(※9)弘文洞(こうぶんどう)は、大多喜町と市原市の境にある養老渓谷の大多喜側にある景勝地。今からおよそ140~150年前、耕地を開拓するために養老川の支流、蕪来川かぶらいがわ(夕木川)を川まわし(大掛かりな川の流れを変える工事)をして造られた隧道。現在は天井部が落ちて切り立った崖になっているだけだが、昭和のこのお話の時代、ここは縦に長い巨大なトンネル状になっていた。頭頂部の崩壊は昭和54年(1979)5月24日未明。
弘文帝と十市姫にゆかりの深い高塚や筒森神社の傍を流れ、本流にそそぐ合流点にあることから「弘文洞」と命名され、昭和の頃は景勝地、釣り場の代表として世に広く知られていた。
(※10)行川アイランド(なめがわアイランド)は、かつて千葉県勝浦市浜行川にあった動・植物園を中心としたレジャー施設である。なかでもフラミンゴショーが有名だった。当時は仮面ライダーなどの子供向け特撮の撮影地にもよく使われ、そのせいか仮面ライダーショーが頻繁に開催されていた。余談であるが、昨今房総半島で増えるキョンは、実はこの行川アイランドから逃げ出したものが房総の山中で繁殖したものだ。行川アイランド閉園の際、飼育スタッフが意図的に放したという噂もある。
(※11)死神博士(しにがみはかせ)は、特撮テレビドラマシリーズ「仮面ライダーシリーズ」の作品に登場する架空のキャラクター。ゾル大佐に続く、第2のショッカー大幹部である。俳優は天本英世氏。死神博士の挿絵の会話内容は当時の私の記憶に基づいたもの。大人になった今、あらためてあの時のことを振り返ると、俳優の天本氏とは相当に茶目っ気あふれる人だったんだなぁとつくづく感心してしまう。
そして、この時の死神博士との出会いを、【雑記】として新たに書きおこした。冒頭はレインボーマンの敵『死ね死ね団』を熱く語っているが、本題は幼少の私が本物の死神博士との遭遇した際の、その会話内容のリアルな記録なのだ。 ↓
【雑記】『正義の反対はもうひとつの正義だ。』幼い私は死神博士に教えてもらったのかもしれない

大多喜町MAP 昭和50年代(1970年代)

【大多喜無敵探検隊-since197X オレの夏やすみ 夏の一日編 Link 】
今回ダラダラと話が長くなり、年を越して結局3部作になってしまいました。大変見づらくて申し訳ありません ↓

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