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坂道シリーズの歌詞考察

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乃木坂46、欅坂46、けやき坂46、日向坂46、櫻坂46の歌詞考察です。
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#櫻坂46

【超個人的解釈】乃木坂46、欅坂46、日向坂46のコンセプトの違いについての考察【坂道シリーズ】

【超個人的解釈】乃木坂46、欅坂46、日向坂46のコンセプトの違いについての考察【坂道シリーズ】

①基本情報まず、本文を始める前に基本情報として、坂道シリーズとは、2011年結成の乃木坂46、2015年結成の欅坂46、2019年結成の日向坂46の3グループのことを指します。

元々、坂道シリーズとは、AKB48の公式ライバルとして乃木坂46が結成されたことから始まり、その乃木坂46の姉妹グループとして結成されたのが欅坂46、その欅坂46のアンダーグループだった、けやき坂46(ひらがなけやき)が

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10月のプールとは何なのか?【欅坂46 10月のプールに飛び込んだ 歌詞考察】

10月のプールとは何なのか?【欅坂46 10月のプールに飛び込んだ 歌詞考察】

10月のプールとは「青春」だ。

「青春」(主観と客観がごっちゃな二律背反な状態=不安定な状態)を「10月のプール」に「飛び込む」というイメージの相反する言葉の組み合わせで表現していると思う。

「10月のプールに飛び込んだ」、は言い換えると「青春に飛び込んだ」、だ。

菅井友香がブログでも書いていたように、「無敵だった青春を感じる」ようなキラキラしたイメージが湧いてくる。

歌詞もこれまでの反応

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欅坂46から櫻坂46への改名が成功したと思う理由

欅坂46から櫻坂46への改名が成功したと思う理由

「変化すること」による失敗とは何か。
それは、「帯に短し襷に長し」の状態になることだ。

つまり、誰にも刺さらないし誰にも届かない中途半端な状態になること。
そうならない為には変えてはならない核をしっかりと認識して、そこだけは変えずにその他を変えることだ重要だ。 

核を認識するとは、一貫性を確保すること。
変化とは全てを変えることではない。

全てを変えてしまうと前述の通り、今までのファンが離れ

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「独り占めしてたはずの不眠症が私だけのものじゃなくて落胆した」【欅坂46 角を曲がる 歌詞感想】

「独り占めしてたはずの不眠症が私だけのものじゃなくて落胆した」【欅坂46 角を曲がる 歌詞感想】

ただただ自分の好きな歌詞について書いていく。

映画の主題歌だったこの楽曲を、はじめて映画館で聴いたとき鳥肌が立った。

そして、全部聴き終わったあと、歌を聴いて初めて涙が出た。

映画の内容はもちろん、それまでの欅坂46の物語、平手友梨奈の物語も相まって感傷的になっていたのは間違いないが、何より、自分自身の葛藤に深く響いた。

こんなに、的確にストーレートに核心的になぜ、この青春時代特有のモヤモ

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秋元康の歌詞はニーチェ哲学

秋元康の歌詞はニーチェ哲学

秋元先生の歌詞は「前を向かせてくれる」。
何故なら、「主体的になれ」(=ニーチェ哲学)と言っているから。

主体的になれ、とは言い換えるなら「大人になれ」ということだ。
主体的の反対は「反応的」、つまり子供の状態であり、自分の不幸は「誰かのせい」と思っている状態である。

秋元先生の歌詞は主体的(大人)と反応的(子ども)の対比を使いながらストレートに核心をつく。
だから、今の若者に刺さっている。

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もう今さら違う自分になれるわけないじゃない?【櫻坂46 BAN 歌詞考察】

もう今さら違う自分になれるわけないじゃない?【櫻坂46 BAN 歌詞考察】

タイトルは櫻坂46の2ndシングル「BAN」の歌詞だが、この歌詞がこれからの櫻坂46を形成していく上で大事なキーワードを内包していると感じた。

そのキーワードとは「開き直り」だ。

欅坂46時代は中・高校生として社会への、大人への反抗心、青春時代特有の焦燥感、自己嫌悪について歌い、聴き手と同じように悩み寄り添う形で応援をする楽曲が多かった。そんな子ども的な反応的な「誰かのせいにしたい、でも...

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【櫻坂46】Nobody's faultの歌詞がめちゃくちゃニーチェ哲学な件

【櫻坂46】Nobody's faultの歌詞がめちゃくちゃニーチェ哲学な件

櫻坂46の1stシングル表題曲である「Nobody's fault」の歌詞が言っているのは「強く生きる」にはどうすればいいのか、である。

そこで秋元康が用いているのが「ニーチェ哲学」だ。
ニーチェ哲学とは、ニーチェの有名な言葉で「神は死んだ」とあるように「宗教」というみんなで信じていた物語が世間から受け入れられなくなった時代に出てきて、価値観の飴を割り箸でグルグルと回されるように、飴が固まってい

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秋元康らしさを言語化したい

秋元康らしさを言語化したい

秋元康らしさを言語化したい。
なぜなら、自分自身が秋元先生の考え方、それに付随して歌詞がめちゃくちゃ好きだから。
何度も救われてきたから。

一言で、秋元康らしさを言語化すると「そのオールマイティさ」だと思う。
ヒロアカでいうところのオールマイトのように何でもできる、自分にとってはNo.1ヒーローだ。

そのオールマイティさを更に詳しく言語化してみると、まず「時代を読む力が凄い」点を挙げる。
この

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諦めているのに前を向いている歌詞が好き

諦めているのに前を向いている歌詞が好き

諦めているのにそこまで暗くないというか、前を向いているというか。
その独特な空気感が堪らなく好きです。

特に坂道曲でそれを感じるのは、「100年待てば」や「最終の地下鉄に乗って」です。

「100年待てば」の歌詞は、ざっくり言うと一人の少女の片想いを唄ったもので、彼には自分の気持ちが届かないというその諦めの気持ちというか、今のどうしようもないという気持ちをいわば肯定する為に、「100年待てばいい

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「五月雨よ」の歌詞にみる櫻坂46らしさ

「五月雨よ」の歌詞にみる櫻坂46らしさ

櫻坂46らしさは乃木坂46プラス欅坂46だ。
つまりは自己完結プラス葛藤が櫻坂46らしさだ。

そう定義してみるとこの「五月雨よ」の歌詞は櫻坂46らしさ全開だと思う。

この楽曲の象徴的な歌詞である「先のことは分からないまま 五月雨式に好きになってく」、この五月雨式とは、物事がだらだらと続くさま、という意味がある。

2月21日のレコメンで音源が宇宙初解禁となり、その歌詞を見ていくと、乃木坂46の

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「広げられない傘」とは何なのか【櫻坂46 五月雨よ 歌詞考察】

「広げられない傘」とは何なのか【櫻坂46 五月雨よ 歌詞考察】

広げられない傘とは何なのか。
それは、二律背反な気持ちだ。
どっちつかずの、自分からは行動ができない臆病な気持ち。
そんな等身大の気持ちを歌ってるのがこの歌だ。
五月雨式にだらだらと続く君への好意。
その「好き」という雨が降り続いている中、もう諦めてしまおうと、雨を避けようとして傘を持ってはいる、が広げられない。やっぱり君に会いたい。

自己完結であり、終始葛藤。
シーンの転換はあまりない。
ずっ

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秋元康の「青春」の描き方

秋元康の「青春」の描き方

青春とは二律背反(アンビバレント)な状態だ。
そう定義しているかのように秋元康は相反する言葉の組み合わせで青春を表現している事が多い。

「10月のプールに飛び込んだ」
「何度目の青空か」
「広げられない傘を持ってる」
「無理をして微笑む幸せなんていらない」
「迷うことなくどこを目指してるんだろう」
「このまま100年待てばいいことあるかもね」
「独り占めしてたはずの不眠症が私だけのものじゃなくて

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ニーチェと中原中也【櫻坂46 Nobody's fault 歌詞考察】

ニーチェと中原中也【櫻坂46 Nobody's fault 歌詞考察】

「Nobody's fault」の歌詞は哲学的だ。何故なら、ニーチェ哲学が土台になっているからだ。
ニーチェ哲学とは、ニーチェの有名な言葉で「神は死んだ」とあるように、これまで皆が信じていた宗教というものの絶対性が失われ、人々が路頭に迷った時代に生まれた思想だ。
人は、信じていた「絶対性」が揺らいでしまうと、生き方が分からなくなり、絶望感や無力感に支配された「ニヒリズム」に陥る。
そうならない為に

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「摩擦係数」の歌詞からみる櫻坂46らしさ

「摩擦係数」の歌詞からみる櫻坂46らしさ

櫻坂46のメッセージ性は「それでも生きる」櫻坂46は欅坂46から改名し「それでも進む」を選んだグループだ。
故に「それでも生きる」というメッセージ性はこのグループの物語からも伝わりやすい。
「摩擦係数」はこれまでの歌詞の集大成だ。
諦めて、開き直ってそれでもなお生きるというメッセージが櫻坂46の歌詞に一貫しているように思う。
「Nobody's fault」ではニーチェ哲学全開の歌詞を中原中也の詩

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