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10月のプールとは何なのか?【欅坂46 10月のプールに飛び込んだ 歌詞考察】

10月のプールとは「青春」だ。

「青春」(主観と客観がごっちゃな二律背反な状態=不安定な状態)を「10月のプール」に「飛び込む」というイメージの相反する言葉の組み合わせで表現していると思う。

「10月のプールに飛び込んだ」、は言い換えると「青春に飛び込んだ」、だ。

菅井友香がブログでも書いていたように、「無敵だった青春を感じる」ようなキラキラしたイメージが湧いてくる。

歌詞もこれまでの反応的というか、葛藤が軸だった「僕」の物語が、「行動」を伴い主体的になっていて、「僕」が一歩、成長した世界が描かれていると思った。

ここで、「僕」にとっての「10月のプールに飛び込む」ことの意味を探ってみると、2サビ前にある「僕なりの抵抗」に全てが帰結すると思う。

「僕」にとって「自由」とは何か、「平等」とは何かの答えが「10月のプールに飛び込む」という行動なのだ。
僕なりの答えなのだ。

正解か不正解かなんてどうでもいい、理解できないのなら笑えばいい、できるものならやってみろと大声で叫ぶ。
まさに青春、無敵すぎる。

「僕」を魅力的に感じるのは、「口先だけ」ではなく実際に「行動」をしているからだと思う。

個人的に尊敬する人は「何を言ってるのかでなく、何をやってきたか」つまり「行動」が重要だと思っているので、この「僕」が主体的になっている様とこれまでの楽曲を通しての成長も感じてとても感動した。

これが9thシングルになる予定だったのだから、ここで「僕」の物語を一区切りにしようと思っていたのではないかと勝手に推測している。

とはいえ、櫻坂46のデビューシングルであるNobody's faultも歌詞が「主体的」なので、欅坂46(反応的)から櫻坂46(主体的)に改名する意味が見い出せてて、「孤独」であるという核を受け継ぎ一貫性も確保していて新グループへの移行に成功していると思った。

話を戻して、特に好きな歌詞だと思ったのは

10月のプールを泳ぐのはそうさ愚かなことだ
教室の窓 みんながこっち見て騒いでる
そしてずぶ濡れで震えてる僕は中指を立て
大声で言ってやったんだ できるものならやってみろよ

の部分で、もう映画の1シーンじゃないかというぐらい映像的で、歌詞を読むだけで例えばプールの真ん中に立つ「僕」が中指を立てて教室の窓に向かって大声で叫んでいる様を、ぐるぐると回りながら撮影しているカメラワークが浮かんできて、ワクワクする。

「僕」の孤独ながらも主体的に行動をし、成長している様子がこの楽曲全体を通して読み取れる。
「孤独」という欅坂46の核を持ったまま前に進むという誰からも流されない、いわば最強の生き方を手にしている。



全然話が変わって...ただただ言いたいだけなんですけど、欅坂46の「10月のプールに飛び込んだ」という楽曲って映画「JOKER」と構造が一緒ですよね。
一線を超えるという意味で。

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