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遠州の茶室

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織部の一番弟子・小堀遠州のつくった茶室を集めました!将軍家の茶道指南役も勤めた茶人随一の出世頭。
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#建築

八窓庵(札幌中島公園)



「八窓庵(はっそうあん)」

連子窓が三つ、下地窓が四つ、突上窓(天井)が一つの八つの窓を持つ二畳台目の茶室。

桃山時代から江戸前期の茶人、小堀遠州の晩年の作。

各地に移築された後、札幌中島公園内の日本庭園に昭和46年に移築され、現在に至る。

遠州が発展させた書院の茶室・孤篷庵の忘筌(ぼうせん)などとは対極的な草庵風の小間席。こちらの茶室も別名は「忘筌」。

鉄粉を混ぜ込んだ鉄錆の外壁に

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遠州の茶室(忘筌)



「大徳寺孤篷庵 忘筌(ぼうせん)」

桃山時代から江戸前期の茶人・小堀遠州のつくった茶室。

戦国時代以降、ようやく安定してきた武家社会において作事奉行・茶匠として活躍し、利休の死後に武家の茶風を確立した古田織部(へうげもの)の一番弟子でもあります。

遠州は武家茶をさらに推し進め、書院に中柱と点前座を付ける手法で、書院の茶室を完成させました。この忘筅は晩年の作。

全体十二畳に一間床。点前座

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遠州の茶室(四畳台目)



「遠州の四畳台目」

遠州の十八番ともいうべき茶室です。

へうげものこと、織部の弟子でもあった遠州は、江戸前期の安定してきた封建社会にあって、武家茶の方向性をより進めます。

その特色は、客座から見やすい位置に点前座を舞台のように配置。

さらに織部の燕庵形式を進展させ、上座を一目でわかる位置に配し、相伴席の必要性を草庵形式の中に消化。

江戸幕府の作事奉行も勤めた遠州の優れた見識と閃きの光

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