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東京周辺にある茶室

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東京周辺に現存する茶室を集めました!横浜三渓園や東京国立博物館など。
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#ART

成趣庵(遠州流茶道宗家の茶室)



「成趣庵(じょうしゅあん)」

江戸前期の茶人・小堀遠州を流祖とする遠州流宗家の茶室。

「成趣庵の紅梅半ひらき申候」とある遠州の文によって成趣庵と命名。

遠州の伏見屋敷にも同名の茶室がありましたが、その形式を受け継いだものではないそうです。

内部は三畳台目下座床で、入口は貴人口と躙口をそなえています。

点前座を客座の中央寄りに配置し、床脇に給仕口をあける構成は遠州好みとしてよく見られる

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止観亭(旧一条恵観山荘)



※追記(7/7)
一条恵観山荘の事務局より「訂正願い」の連絡いただきましたので2点追記させていただきます。

①「止観亭」は正式名称ではないそうです。
(こちらの内容は書籍「茶室と露地」(家庭画報編)より引用しております)

②「山荘は昭和34年(1959年)に現在地である神奈川県鎌倉市の宗徧流家元宅へ移築されました」の記述を削除致しました。
(移築されたときから財団法人が所有管理しているそう

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蓮華庵(江戸千家の茶室)



「蓮華庵(れんげあん)」

宝暦5年(1755年)、江戸中期の茶匠・川上不白が鎌倉建長寺の山門の古材を床柱に用いて、江戸の神田明神の境内に建てたと伝わる茶室。

後に失われましたが、東京都文京区にある江戸千家蓮華庵の江戸千家会館(1975年建設)内に、起し絵図によってほぼ忠実に復元されています。

内部は三畳下座床の席に、茶道口正面に半畳踏込みの板を敷き、正面には利休堂を設け、床と前板も合わせ

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不白堂(江戸千家の茶室)



「不白堂(ふはくどう)」

江戸中期の茶匠・川上不白を流祖とする江戸千家(宗家蓮華庵)の敷地内にある茶室。

不白堂は当初、現在の東京都台東区谷中の安立寺に建てられていました。三畳敷の出炉(上げ台目(閑隠席のような形式))に中柱を立て、床脇には仏壇を設けて不白自身の木像などを納めていました。

明治維新までは建っていたそうですが、老朽化のため補修が困難となり取り壊されたそうです。

その後、安

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閑中庵(根津美術館庭園内)



「閑中庵(かんちゅうあん)」

東京都港区南青山の根津美術館庭園内に現存。

庭園内には点々といくつかの茶室があり、回遊を楽しむことができます。

閑中庵は元々、同じ庭園内の斑鳩庵(いかるがあん)に付属していたもので、平成3年に現在の場所へと移築されたそうです。

四畳半(囲炉裏付き)の牛部屋(うしべや)という茶室と水屋をはさんで連なっています(美術館ホームページでは「閑中庵・牛部屋」という表

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浅草寺の天祐庵(不審庵写し)



「天祐庵(てんゆうあん)」

浅草の浅草寺(せんそうじ)の庭内に現存。

表千家不審庵を写して建てた平三畳台目(平:点前座を基準にして横に長い)の茶室。床柱・中柱はどちらも赤松。

名古屋の茶人・牧野作兵衛が天明年間(1781〜1789年)に不審庵を模して作ったのが最初で、大正5年(1916年)に向島の徳川邸内に移され「嬉森庵」と名を変えた。

さらに関東大震災直前に渋谷へ移築されて、徳川邸は

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金毛窟(横浜三渓園の茶室)



「金毛窟(きんもくつ)」

極小茶室。

一畳台目の隅炉、風炉先には窓。
床柱には、京都大徳寺の有名な山門・金毛閣の高欄の架木を使用。

金毛閣は、利休切腹のきっかけ(諸説あり)にもなった木像をおいていた山門で、今も現存します。床柱にふさわしい気品と風格が見られます。

1918年(大正7年)に実業家で近代数寄者の原三渓の構想によって作られた茶室。
横浜三渓園に現存します。

(茶室の間取りや

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宗徧流不審庵(鎌倉)



「宗徧流不審庵(そうへんりゅうふしんあん)」

宗徧流は利休の孫の宗旦の門人で、「宗旦四天王」にも数えられる山田宗徧を祖とする茶道流派。

宗徧は宗旦より茶を皆伝し、利休以来使用してきた「不審庵」の名を使うことを許され、京都表千家の不審庵同様、その名が現在まで引き継がれ伝えられています。

この茶室は三畳台目中板、本勝手の台目切り下座床。

客座と点前座の間に中板を挟む台目構えで、中板には炉が

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