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ねこのジョン

写真のように、いつもプリンターの中や、箱の中、
はたまた玄関の塀の上など、色んな場所にいるので、
“そんなところにいたの??”と言いたくなり、とっても可愛いです。

私が、大学生になり福岡へ行った頃。
ジョンは、産まれました。
ジョンの母猫は、私が高校生の時に、
下松市の笠戸島のはなぐり湾で拾って帰ってきた子猫です。
拾って帰ってきた子猫は、“さけちゃん”という名前でした。
そのさけちゃんの子が、“ジョン”です。

私が大学生の時(18才)に産まれたジョンくん、
(※現在、私もうすぐ32才)
なので、今年で“14才!”

今年の夏頃に、ジョンくんは、風邪を引いたり体調を崩したりしながらも、私の母親は、毎日ジョンを連れて
動物病院に通い、そのおかげでジョンは、なんとか回復して、元気を取り戻していました。

ジョンくんは、自営業をしているうちの実家で、
うちの両親と共に暮らしていました。
一緒に働いているスタッフの方々からも、
とてもとても大事に可愛いがっていただいて…。

そんなジョンくん、
今月の2日(12月2日)時間は、15時過ぎに
亡くなりました。

実家の庭でお水を飲んで、
(その後5分も経たずに)
近所のお店の裏でバタッと倒れているのを、
お店の方が、見つけたそうです。
近所のお店の方が、すぐに、私の母親に伝えてくれて、
ジョンを家の中へ入れました。

私にも、母からすぐに電話があり、
急いで、周南市から防府市へ子供達と一緒に向かいました。

“ジョン”は、まだ温かく、まるで眠っている様でした。

小学2年生の息子は、ジョンに頭をくっつけて、いつもの様に、寝そべっていました。

母と私は、ジョンをなでながら、「ジョンくん、ジョンくん」と、ジョンへの言葉や想いを伝えました。

父も仕事の合間に抜けてきて、ジョンを見にきました。

母が、「さっき(お昼)まで、パパ(私の父)のひざに乗ってたのにね。」

と言うと、普段あまり泣かない父は、涙をこらえながら、泣いていました。

母は、「きっと、私とパパにお別れを言いに来てたんだね。」
と言いました。

私も、大学時代に “ジョン”と一緒に暮らしたことがあります。
私は、友達と毎日天神や大名に出かけては、ご飯を食べ、覚えたてのお酒に酔っぱらい、いつも酔っぱらいで帰宅していました。笑

ジョンは、いつもそんな私を、玄関で待っててくれました。

大学時代の友達みんなも、ジョンを可愛がってくれました。

そんな中、私は大学3年くらいで、オーストラリアのパースという場所へ5週間、留学へ行くことになりました。

母方の実家が“熊本の阿蘇の西原村”という場所にあり、
おばあちゃんの家へ、“ジョン”を預けることにしました。

おばあちゃんもおじいちゃんも、猫が大好きで、近所の野良猫にエサをあげたり、面倒もみていました。

“ジョン”は、元々野良猫だった、“メリ”(女の子)と、
阿蘇の西原村で、楽しくのびのびと暮らしました。

ジョンは、とても心優しい猫だったので、
近所の野良猫に、“こっちにエサがあるよ”と自宅に招き入れ、自分のエサをあげていたようです。
そして、ジョンは、小さい猫達からもどんどん慕われ、
たくさん仲間が出来ました。
この頃、キジトラの“チビ”という男の子の仲間が増えました。

私が5週間の留学を終えて帰国した時に、
“ジョン”を迎えに、熊本の西原村のおばあちゃん家に行きました。

すると、おばあちゃんは、「ジョンは、ここ(西原村)の暮らしに馴染んだから、そのままジョンを置いておいてもいいよ。」
と、言ってくれたので、そのままジョンは置いて、福岡へ帰ることにしました。

やっぱり、ワンルームの福岡のアパートよりも、
阿蘇の雄大な大自然が、ジョンには合ってる、と私も思いました。
その時私は、21才くらいだったと思います。

その後、私は、福岡の大学を卒業し、
福岡から山口県へ戻り、今の主人と出会い、子供が産まれました。その時私は、25才でした。
母方のおじいちゃん(母の父)は、その少し前に亡くなりました。
私の母は、山口県から熊本県まで、毎週の様に新幹線で通い、おじいちゃんの看病をしていました。
おじいちゃんを、心の底から愛していました。

そして、息子が誕生して1年過ぎた年
私が26才の時

2016年4月14日21時26分 熊本地震が起きました。

“2016年4月14日21時26分、熊本県熊本地方においてマグニチュード6.5の地震が発生し、熊本県益城町で震度7を観測しました。 また、16日1時25分にはマグニチュード7.3の地震が発生し、益城町及び西原村で震度7を、熊本県を中心にその他九州地方の各県でも強い揺れを観測しました。”
(内閣府防災ページの情報より引用しました。)

おじいちゃんが亡くなって、おばあちゃんは、
猫の“ジョン”と“メリ”達と暮らしていました。

1度目の揺れでは、揺れる食器棚を押さえてなんとか
おばあちゃんも大丈夫でしたが、

2日後の2度目の揺れでは、立派だった家にもヒビが入り、家中の物が倒れて、昭和3年生まれで、
88才だったおばあちゃんは、はうようにして、
家から脱出しました。

猫達も、地震の強い揺れに、とてもビックリしたと思います。
九州に住んでいる母の弟や姉が、猫達にエサをあげてくれました。

おばあちゃんは、私の母が迎えに行き、山口県へ避難しました。

猫達は、姿が見えない時もありなかなか連れて帰れませんでした。

母の姉弟がジョンを見かけた時、
“ジョン”は、大好きなおばあちゃんの帰ってくるのを、いつも玄関で待っていたそうです。

しばらく経ってから、私とおばあちゃんが西原村へ一緒に行き、“ジョン”と“メリ”を山口県へ連れて帰りました。

私の大好きだった、西原村のお家…。
物心ついた時から春休み、GW、お盆、お正月、いつも父と母と妹と車や新幹線で帰省していました。

おばあちゃんの作る料理は、とても美味しく、おじいちゃんは、スイカやトウモロコシ、トマト、キュウリ、イチゴ、たくさんの野菜を裏庭の畑で育てていました。
私は、3才くらいの時に(まだ熟していない野菜を)勝手に収穫をして、おじいちゃんに怒られたそうです。笑

私は、西原村の山の少しひんやりしてるけれど気持ちの良い空気、土の匂い、様々な種類の昆虫、植物、野菜、夏の蝉の声、日射し、五感で感じた全てを、
今でも覚えています。

“だから私は自然が好き”なんだろうと思います。

今は、あの頃の西原村の家はありませんが、私の頭の中に生きています。すみずみまで、鮮明に思い出せます。
だから、周南市の八代に行って土の匂いをふわっとかいだりすると、思い出します。阿蘇の西原村のことを。

周南市の八代の“天然記念物のナベヅル”が、毎年冬に帰ってきたくなる気持ち、分かります。

いや、“ジョン”くんの話しだった。“ナベヅル”の話しは、また今度に。

ジョンくん、メリちゃんは、私の徳山の自宅で、
おばあちゃんと一緒に暮らしました。

息子は、ジョンにまたがって遊んだり、ジョンは、徳山の近所の方々にも、とても可愛いがってもらいました。

2018年、私の娘が産まれました。

おばあちゃんは、その当時、まだ赤ちゃんだった娘を見て、とっても嬉しそうな顔をして喜んでいました。
その頃、おばあちゃんは、大腸癌を煩い、施設に入院していました。

そして、2019年おばあちゃんは、亡くなりました。

ジョンは、徳山の家でしばらく暮らしていましたが、
ジョンもだいぶ年をとってきたので、
私の母が面倒をみることになりました。
(その当時、主人の仕事の関係で、私達家族は、新南陽市に住んでいました。)
息子が産まれてすぐから、年中(5才くらい)まで
約5年、下上にいました。けっこう長い。

今は、主人が思いきって、新しい道へとスタートをしたので、徳山の実家に戻ってきて、私と主人、息子、娘と暮らしています。

ジョンは、“福岡や、“熊本”、“山口県の周南市”、“防府市”と、色々な場所を転々としてきた人生でしたが、
どこへ行っても、猫達には優しく、人にはとても愛されて、ほんっっとうに、素敵な猫だったなぁと思います。


“ジョン”くん、最後の体重測定


お昼休みに、“ジョン”が、自分から体重計に乗っていたのを、スタッフの方が見てて、(自動で出てくる)紙を大事にもってていらっしゃったようです。

最後までおちゃめで可愛い。
ちゃんと、「足跡🐾」を残したんだね!

ジョンが亡くなったことに、スタッフの方々や近所の方は、みんな“青天の霹靂”の様に驚き、涙をし、花束💐や、“チュール”や、“おやつ”を持ってきてくださいました。

“自分のペットのように可愛がっていた、しばらく悲しい…。”と、皆さん悲しんで下さり、
ジョンくんは、“こんなに愛されていたんだね。”と、
私は、悲しいながらも、どこか嬉しい気持ちになりました。

居なくなっても、“ジョン”は、みんなの心の中に存在する。

“ジョン”との想い出は、たくさんある。

ここ数日前、“ジョン”は、私の顔を見て、必死に鳴いていました。真剣でした。
声もしゃがれ、歯は抜歯していて犬歯など数本でしたが、「にゃーぁ!」と私の目を見て鳴いていました。

私は、母に、「ジョンが、また、エサくれー!チュールくれー!」って、私に言ってるよ。(食いしん坊の猫だったので)
と言ってましたが。

今思うと、“頑張って生きろよ!”と、エールを送ってくれていたのかな、と思いました。

ジョンとの最後は、防府の天神祭が終わり、私の父と私と主人と子供達と、晩ごはんに出かけていた時、
後ろをタタターっと、軽やかに着いてきていました。


こんな感じで。

私は、何度も振り返り、「ついてきてるよ。」と言いました。父は、「ずっとはついてこないよ。しばらくしたら、(ジョンは)家に帰るよ。」といいました。

私が見たジョンくんは、それが最後でした。
11月26日(土)でした。

昨日、母と一緒にジョンくんとの最後のお別れをしに行きました。


素敵な花束です


“ジョン”この世に産まれてきて、私達に幸せや愛や面白さ、癒しをありがとう。

みんなの心の中に、ずっと存在しているよ。

素敵な、賢い、心優しき、勇敢な猫。

本当にありがとう。


ジョンが亡くなってから、色々と感じる事があります。

“ジョン”を通して、改めて、“人の温かみ”や、“家族それぞれの愛”に、とても深く気づかされました。

いまこうやって、元気に生きている、私、ペット達。
“生きている”ということへのありがたみ。

“生きている”って、何でも出来る。一瞬で。

“笑いかける”ことだって出来る、“ペットの頭をなでて、その(ペット)の喜びを感じることもできる”

目の前に当たり前の様にいた、“ジョン”がいないから
なんだか不思議な感じだけれど、
“生きる”って、誰かと幸せを分かち合うことなんだね、
って、改めて思ったよ。

この気持ちが時と共に薄れてしまわないように、
今の気持ちを表現してみました。

読んで下さり、ありがとうございました。


またにゃ🎵














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