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作品を愛する

小学生のころ、『世紀末リーダー伝たけし!』という漫画が大好きだった。おそらく、人生で一番最初に読んだ漫画であり、あまり漫画を読まない私が一番ハマった漫画だと思う。ご存知ない方もいるだろうけれど、なんというか、良い意味で解説するのがくだらないと思ってしまうほどの、ギャグ漫画。本当にくだらない。最高にくだらなくて、下品でポップなことしか書かれてなくて、でもたまーーーーーに泣けて、小学生の私には大ヒットだった。今でもあの面白さは忘れられない。あれを超えるギャグ漫画ってあるのかなって思うくらい。興味がある人には是非読んで欲しい、と思う。

その漫画を描いた島袋光年さんは「しまぶー」という愛称で読者から慕われていた。少年ジャンプで『世紀末リーダー伝たけし!』を連載していた2002年、しまぶーは突然、逮捕された。児童買春だった。起訴され、有罪判決となった。連載は打ち切られ、単行本は絶版になった。それでも、私は『世紀末リーダー伝たけし!』が大好きだった。家に置いてあるその単行本は、逮捕された前の日も、当日も、次の日も、内容が変わることはない。ずっと変わらず、面白いままだった。絶版になって、次の単行本が出なくても、家にある既刊を繰り返し読み、毎日ゲラゲラ笑った。何度同じものを読んでも、何度でも笑えた。

私が大好きな映画のひとつに、金城一紀さん原作の『GO』という映画がある。窪塚洋介さんと柴咲コウさん主演で、在日韓国人の男子高校生と日本人の女子高生の恋愛を描いたものだった。もう何回観たかわからないくらい観た。1シーン1シーン、頭の中で思い描いてしまうくらい、愛してやまない映画。在日韓国人の杉原(窪塚洋介)と桜井(柴咲コウ)がクラブで出会うシーン。悪友と悪さをするシーン。朝鮮学校の親友と本を貸し借りするシーン。国会議事堂の前で待ち合わせをするシーン。初めて桜井の家でデートをするシーン。杉原が校庭で、自分のアイデンティティに悩み苦しみ叫ぶシーン。親友の死に涙し、零れ落ちたしずくが本に落ちてシミになるシーン。観直さなくたって、セリフのひとつひとつ、照明の感じ、声のトーン、、、色んなものが蘇ってくる。(もう既に今、もう一度観たくなっているけれど)

その『GO』の主人公・杉原の朝鮮学校での悪友を演じていたのが、新井浩文さんだった。乱暴すぎる日常の中で、生命の強さのようなものをみなぎらせていた。朝鮮学校の中で禁止されている日本語を使ってしまい、怒り狂う教師に盾突く姿をあんなにも清々しく演じられる人は、新井さんしかいないと思った。新井さんが逮捕されても、私が愛してやまない映画『GO』は何も変わらなかった。ずっと、愛する映画のまま。

上手く言葉に出来ないけれど、作品を愛するって、たぶんそういうことなんだと思う。演者がどうとか、監督がどうとかじゃなくて。最近そういう、表に立つ人が逮捕されて、出演映画を上映すべきかどうかとか配信を止める止めないとかそういう話が多くて、私もずっと考えていたんだけれど。被害者がいる場合といない場合は対処が違うとか、お金を払って観に行くような種類のものとテレビは違うとか、色んな意見があって、どれもわかるところもあって。いろいろ考えた結果行き着いた思いは、「作品を愛すればいい」ってことだった。何も答えになってないね。でも、愛する作品は、何があっても変わらない。何があっても、大切なまま。その作品が存在する、ということが、愛おしくて尊い。その視点だけは、外して考えることができない。

『GO』の中に、シェイクスピアの『ロミオとジュリエット』のある一節が出てくるんです。

名前って何?
バラと呼んでいる花を
別の名前にしても美しい香りはそのまま

この言葉を読んだとき(映画内でも、杉原は親友から『ロミオをジュリエット』を借りて読むのです)、涙が出てきたのを覚えてる。私は在日韓国人ではないけれど、アイデンティティの在処とか、いわゆるマイノリティが感じる孤独感とか違和感に、なぜかこの頃から深く共感する部分があって。この映画に出会ってもう18年が経つけれど、今一番私が深く興味を持っている「マイノリティ」という概念と、既にこのとき出会っていたのか、と書きながら気が付いた。そのときは言葉に出来なかった共感の想いを、今やっと、言葉にしている。人生って面白い。そして、私の人生に入り込んで、こんなところまで伏線回収してくる『GO』との出会いは凄いものだったんだと改めて感じる。やっぱり、この作品を愛している。

Sae

「誰しもが生きやすい社会」をテーマに、論文を書きたいと思っています。いただいたサポートは、論文を書くための書籍購入費及び学費に使います:)必ず社会に還元します。