次なる幕開け、ダイレクトコミュニケーション

約1週間ぶりの投稿になる。ちょうど幕間(まくあい)にいるような日々を過ごしていたよ。
明らかに、これまでの幕は終わってしまった……満ちた感覚とともに感じる「まっさら」さだけがあり、次に何が見えてくるのかを待っていた。
その心境は前々回と前回の記事、
「全方向的に、未知に開く」
「直接知と、魔法に満ちた人生」
で描写していた通りだ。

執筆も、普段と違って書きたいことが何も出てこず、心地よくもある静寂の中、果たしてこれから私は何を書いていくのか? と見守っていた。
結局、自分の書いた上記記事の中に答えが含まれていたことを発見したが、幕間にいる私はまだそれに気がつくことはなかった。

これから……といえば、きたる日曜には今年唯一の講座がある(お申込みの受付は終了)。
今後も、自分がぜひやりたいと感じるときに不定期で講座を開催する気持ちがある。ただし、自分の立っている「地面」とも呼べる基盤、たとえるなら「ある段階という位置から眺める景色」が変わったために、今回を最後に、講座で扱う内容も過去のシリーズと異なるものになるだろうと考えている。

大局的には同じ延長上にあっても、「表現される部分」を見れば私の関心を注ぐ先が移行していて、これまでは控えめに、大切な芽のように育ててきたものが今度は主役の座を占めるだろう。

それが何なのかは、この記事の後半で語るね。
幕間の状態をしばらく過ごして明白に見えたもの、浮かび上がってきた次の幕の内容に気づいたとき、「そこか」と驚くと同時に、あまりに当然すぎてちっとも驚かないというパラドキシカルな反応が心に生じたのだった。

ある幕が閉じたら、次の幕が開く【教えることと学ぶこと】

講座であれ、こうした文章を通してであれ、何かを教えるということは自分の学びを補強する手段でもあり、その学びが完了したときには教える内容が変わる。
たとえばある一定の状態にまで到達するための概念と、その概念を実施する際に起こり得ることやコツなどを教えてきたとすると、どんなに自分がその過程を知るエキスパートのようにあれこれ詳しくなっていたとしても、自分自身もまだ同じ範疇に発見があるなど、新鮮な気持ちでエネルギーを注げる余地が残っていなければ教える情熱を保持できない。
少なくとも、私はそうだ。

では、ある範疇で学ぶことが完全に、終わってしまったら?
――次の幕が開くのだ。

★私個人だけでなく万人に共通の「次の段階」である「創造のマスター」について書いた記事はこちら★
「マスターの道」

内なる導きを妨げなければ(関連記事◆「ここからは、二人で【夢の外からの導き手】」)、「知っている自己」が牽引し、この人生を「体験している自分」にとっては未知の領域へと連れて行く。

内からあなたを導く力に任せると、変化した位置からこれまでのすべてが役立つことを知る

端的に言えばあなたの内にある愛があなたを導き、あなたがどこへ向かえばいいのかを教えてくれる。

表層に見える活動や関心は変化していくようでも、人生が素晴らしいのは、あなたのそれまでの経験のすべてが見事に何らかのエッセンスとして役立つことだ。
全方向的に繋がることのできるパズルのように、こんなことまで……と思うほどあらゆることがぴったりとおさまる。

これは、過去の焼き直しを体験するという意味ではない。過去の観念を再現することとはまったく違う。そうではなく、あなたが人生を通して経験してきたことが思いがけない「材料」として、ひとつになり完璧にフィットするのだ。

だから、もし今、あなたがしていることや経験している状況について「これは私の叶えたい夢には関係がない」「無駄なんだ」とジャッジしていたら、そうとは言えないことを思い出そう。
全体像を知らない限り、あなたはあるものがどう役立つかを知らない。
全体を切り離した部分だけを見て、それを正しく評価することはできない。

「すべて」の目から眺めて初めて、それが何であるかを評価できるのだ。
そして「すべて」の目から眺めると、無価値なものなど何もない。

これを覚えておけば、あなたはあなた自身の人生を「想像もしていなかった素敵な繋がり」の体験、驚異の発見に満ちたものにすることができる。

次の幕と、ダイレクトコミュニケーションのありか

私の人生の次の幕は、冒頭でふれたように、自分自身ですぐそばにヒントを置いておきながら気づいていなかったものだった。
いや、気づいていなかったというよりは、当たり前に心の中にありすぎて、「どう」取り上げてよいかわからなかったのだ。

過去記事で度々語ってきたように、私の個人的な関心の焦点は「自然界」に大幅に移っていっていた。ブログ上ではもちろん、noteでも2020年3月◆「動物と仲良くするためには【アニマル・コミュニケーションの基盤】」の出だしでこう説明している。

『最近まで私はスピリチュアル・カウンセラーを仕事にしていて、元は人間の心の悩みを解決したいという熱意と目的があったのだが、近年になってそれがかなり変化したのを実感していた。
同じ熱意があるように見えていても目的の「中身」が変わった。
私の目的のより多くが「地球の他の生物たちのために、自然界の調和を人間の怖れによって阻害しないこと」に向けられていて、直接人間に向かう関心以上に、自然界の調和を乱さないために人間の意識に取り組みたい、という思いが勝るようになったのだ。』

つまり、「人間以外の生き物たちや自然環境のために」、人間の意識を癒したい、変化を起こしたいというステップを経て、近年ではダイレクトに自然界とコミュニケートすることに心が向いていた。
関連する記事がこのnoteには多くあるが、ところどころ振り返ってみよう。

この思いの深さを自覚させてくれたのは今春のクマバチとの出会いで……、
「生物への愛とエネルギー、蜂さん、自然との調和」
「蜂が開いてくれた扉・夢は現実のラフスケッチ」

野鳥たちも助けてくれ、
「大自然が先生」

自分の恐れを見つめて、ブレイクスルーしたりもしながら(なぜか短期集中合宿のような熱心さで)、
「虫って私の何なのか【夢の中での訓練と恐れの根源】」
「生物を精霊と見る・アニマルコミュニケーションの新段階」

9月の記事、
「新地球の産み出しと、エゴのキャンプファイヤー終了、地球に生きる目的」内、「新しい地球と、私は何への道をつけているか(シャーマン的観点への思い、自然を勉強する自己を観察して理解したこと)」のセクションで綴った認識へと辿り着いた。

ここでピックアップした記事以外にも、各トピックごとに意義深かった発見を共有しているので、関連する話題に興味のある方は「日常生活」マガジンに収録した記事をチェックしてほしい。

そして、今。
揺るぎない実感を経て「ひとつの自己」を生きるとき、コミュニケーションとは何なのかという理解が大きく変わった。

これが、私の実現したい自然界との関わりに不可欠な鍵だった。

対象が人であれ、他の生き物であれ、関係なく必要な認識だった。
すなわち、

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