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【ヒーラー/スピリチュアル講師/物書き】スピリチュアリティー、意識、心、癒し、人生、自…

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【ヒーラー/スピリチュアル講師/物書き】スピリチュアリティー、意識、心、癒し、人生、自然、生物、ライフスタイルなどがテーマ。ウェブサイトhttps://s-masumi.com

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  • ふつうの地球人生はエゴの焼き直し【にせものの心】…
  • 目覚めの後の道・明晰性をキープする実践(2024…
  • 世界の二種類の解釈・使い方【エゴか本当の自己か】…
  • 学び直しと未知への拡大 (2024.02.29)…
  • 非物質次元の存在と地球より大きなゲームやルーツに…

最近の記事

光が強ければ影も濃い【幸せである責任】

私はあまりそう見られることはなくても、この人生においてわりと「地獄」を見てきた人間だという自覚がある。 地獄という言葉は人間の感じるつらさの一表現だが、もちろん何をつらさとするかは個人の認識にかかっており、他者から見ればとても大変そうでも本人はそうは感じてないということもあるだろう。 だからあくまで本人の感触としてのつらさ、地獄という表現ではあるのだが、誰の人生もまずは「本人の感じ方・認識」以外に判定するすべ、描写するすべがあるだろうか? 私がまだ精神世界やスピリチュアルと

    • 第二の自覚・オンにし続ける選択

      これまで自分が気づいていなかったところがはっきり見えると、しかも意識内の構造という規模でそれが起こると、肝が冷えるような体験になる。 「あ、これはまずいな」「私はこんなことをしていたのか」との自覚とともに、「これに気づいていなかったとは……」と、改めてじっとりと汗をかくような感覚が起こるのだ。 「今気づけて、本当によかった!」というよろこびがそうした感覚を上回るものの、「自分が何を作り上げていたか・何をしていたか」を自覚するのはなかなか、いざそこから目覚めてみると信じがたい

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      • どこに漏れがあったかを発見する【真の創造のスタートラインに立てた気持ち】

        実験室で、何度も何度も実験を繰り返す。公式通りにいけば得られるはずの結果が得られない。どこに見落としがあるのか。 材料を変えたり量を変えたり手順を変えたり……何をしても、実験結果には首をかしげるばかり。 ――そんなフィーリングを持ち続けていた私は、この「ちょっとおかしい」感じを、ただ単に人生の中で見逃してみることもあった。自分では首をかしげるけど、これでいいのかも。こんなものなのかもしれない。「信頼していれば」それが変化して、やがて私のはかりしれない結果に繋がるのかもしれな

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        • 恐れを、恐れの局面からは乗り越えられないという気づき

          私は自分の人生の中で、そうせざるをえなかった強い強い願いを持ち、一般に信じられている常識とは異なるものの「ごくたまにそういう体験をしてる人はいるね」と認識されているような現象を引き起こしたことがある。 それまでの過去の蓄積であるとか、特定の物事について信じられてること・自分が信じてきたことのすべてを帳消しにできる体験。 劇的な「治癒」はそれに該当する。 その経験をしてもなお、人生の全部の分野に今の私がそれを適用できているとは言い難く、そうした治癒または「奇跡」と呼ばれること

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        光が強ければ影も濃い【幸せである責任】

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          謎の抵抗ゼロ感

          先週からなんかヘンだ。私流に言うとそれはエネルギー変化の実感で、物理的にどうこうというわけではないのだが、あまりにも感覚が異なる。 進行中のそれに、自分なりにいくつかの仮説をたてて様子を見ていた。 1. 季節の変わり目のエネルギー変化を感じている 2. 自分の内部に消化・処理すべきものがある 3. それ以外のもっと別次元に属する何かの可能性 1と2の可能性は確認できた気がしていて、それだけだったらもっと進行の実感や変化の手ごたえがあってもいいので、今では、別の次元に属する要

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          並行現実移動しちゃったかと思った話と匿名Mの世界観に真理を見る

          高校時代以降、ずっと親友と思ってる友人が最近の夢に連日出てきて…。 彼女が夢に登場すること自体は珍しくないのだが、二人で話し込んでる状況の夢が連続したので、気になってこっちの現実(起きてからの現実)で連絡を取ってみた。 彼女との関係は、お互いに「存在してる」ことを当たり前に思ってるというか、何年会ってなくても「それでさぁ、」とまるで昨日までの続きから話せる間柄なのと、それぞれが表層的にはまったく異なる方向で人生経験を積んでいってるので、日常的に連絡をとるということがまるでな

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          強化合宿のような日々と音楽の天使

          言語化できない体験の日々を過ごし続けている。言語化できない理由は複数あるのだが、実際、これを「表現する」としたら私は何をするんだろう? ということも、自分でさっぱりわからない。 そもそも、私が生きてこれを体験すること自体がもう表現として十分完結してしまってるような状況なのかもしれない。 現実の密度が変わってしまったような、避けようがないものが一気に出てきてるような、といって、かつて味わったことのあるカオス的な、疲労を伴う無秩序な感覚ではなく、ただ目の前にやってくるものを思考

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          存在のミッシングリンク・探していた答え

          どうして自分がここにいるのかわからない――ある時期までの私の、心の中心から湧いてくる最も強い問いかけは「どうして?」だった。 様々な方法で、様々な側面から、自分のアイデンティティーを探してゆく。その道の中ではたくさんの「啓示」体験があり、ああ、これがゴールだろうかと思ったことは何度もあったのだ。 でも、やはりまだ先がある。 啓示体験を通して強固にしていった、自分の内との関係。源のエネルギーを教えてくれる内なる部分と連携してものごとを見ていき、再解釈することで実際に体験する世

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          創造主との関係を見る【残酷で気まぐれな神はいない】

          2024年が明けた。昨年の終わり頃集中して見つめていたテーマで、「ここをきれいにalign(整列・提携)していかないと、どんな志を持っていても本人の人生には破壊的」と思った内容がある。 2022年12月中のライブ配信でも何度か取り上げたが、各々の人生に「その人自身の、創造主との関係・創造主への思い」が表現されるという点だ。 私自身も例外でなく、常にそこ(創造主との関係)を見つめることで発見がある。人生を「生きること」「経験すること」を通して、ああ、私はこんな思いをまだ持って

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          【地球人の擬態をといた者の独白】中間領域および人間部分の、自分にとっての探求

          多くの人がこのタイミングで2023年の振り返りを行っていそうだが(笑)、2023年の年末ということを抜きにしても前回の記事(◇「ぬぐえない違和感と自発性【私の立場・対等な人であること】」)しかり、今自分の中で進行していること、今年の途中から顕著になってきた気づき……が一体何なのかということを私は精査していた。 もちろんわからないところもいっぱいあるのだが、自分の感じていること、思いなどを手がかりに「見る」ということを続ける習慣があるのだ。 真理を会得した後の無方向性に、解決

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          ぬぐえない違和感と自発性【私の立場・対等な人であること】

          これは来年、2024年に実践を持ち越す課題になったのかな……と思っていることがある。全体的にそのテーマは年末に向かって私に開示されていた気がするが、今までテーマの内容を見誤っていた。 私の仕事や活動上しょうがないのかな、そういう側面が生まれてしまうことは防げないのかなと心の中でプロセスの進行を見守っていたそのこと。長年ずっと同じ種類の仕事を続けていて、立場上、他者にいわゆるアドバイスのようなことをしていてもこのように「モヤる」ことは通常、ない。 このモヤる感じを、いわば「

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          光をすみずみにあてて、見えない自分を見る人間関係

          自発的に「物書き」であるということは、言葉にできない余剰分の思いが内にものっすごく有る人間、ということなのかもしれない。その意味では私は物書きにぴったりだ。言葉を紡ぐけど、言葉にならないものがあるから言葉を紡いでいる。この動機は逆説的なような、まるで自己完結していく曼荼羅のような……。 コミュニケーションのための言葉と、ぴったり形にできないことを少しでも形にしてみたくて創造する言葉と。 同じ言葉なのに両者の働きは違っていて、私には後者も必要になりがちなので「書いている」気が

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          フィクションの効能、アレしかないけどできてないこと

          まったくそんな作品を書き出しそうもないのに、最近フィクションのことばかり考えている。 これまでのような比較的実用的なnoteをアウトプットする気になれない時期なのも関係しているかもしれないし(関連記事◇「結局最後はひとりの人として」)、実はフィクション作品の中での方が、自由な表現ができる場合もある……とか原点に戻って色々考えている。 「原点」というのは私が元々、小説や漫画をはじめとする作品の創作をするつもりの人間だったからで、今のような専門分野で文章を書き続けることは思いも

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          結局最後はひとりの人として

          2023年12月のnoteの記事はなんと、これが初投稿。もう月の中旬を過ぎていて、今年自体がそろそろ終わりに向かおうとしている。 即興的にしゃべって表現するライブ配信は今月も定期的に行ってきたが、「書く」という作業はまた私にとって別なもので、こちらの方がどうしてもひとり内に向き合う感覚になりやすい。 内側に向き合うこと自体は「形」にせずとも日々行っているが、その収穫を作品としてアウトプットするということがなぜか私には必要なようで、それができていない間は少し、つらい。心情的に、

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          自分の手を離れていく人生

          いつからか、自分の人生への所有感がなくなってきた。「自分の人生は自分が創造している」――以前から記事等で伝えているこの点は認識した上で、だ。 この感覚は年々大きくなっており、否定することができない。まるで人生がとっくに自分の手を離れて、私はその独自の展開を見守っているだけのようなのだ。 では、いつ頃までは自分の人生への所有感があったのか? 言い換えれば「これは私自身の人生である」という納得、ポジティブ・ネガティブなフィーリング双方を含むある種の親しみを、いつ頃まで持っていた

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          半端な創造は無い・内と外という幻想

          かなり不思議だなと思うのは、原因と結果という「ひとつのもの」の側面のどちらか一方が「切り離されてしまうこと」が可能だと私たちが信じていることだ。 たとえば、原因がどこにあるかを忘れてしまうと、結果を変えることで原因を修正できると考える。 また、原因と結果が同じひとつのものだと思えないと、原因を認めても結果を伴わないことが「ありえる」と信じてしまう。 こうした信念のもとでは、この世界はまるで無秩序のようだったり、不条理のようだったり、自分にはどうにもできない「無力感」を覚えざる

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