第二の自覚・オンにし続ける選択
これまで自分が気づいていなかったところがはっきり見えると、しかも意識内の構造という規模でそれが起こると、肝が冷えるような体験になる。
「あ、これはまずいな」「私はこんなことをしていたのか」との自覚とともに、「これに気づいていなかったとは……」と、改めてじっとりと汗をかくような感覚が起こるのだ。
「今気づけて、本当によかった!」というよろこびがそうした感覚を上回るものの、「自分が何を作り上げていたか・何をしていたか」を自覚するのはなかなか、いざそこから目覚めてみると信じがたいという体験になるものだ。
前回記事◆「どこに漏れがあったかを発見する【真の創造のスタートラインに立てた気持ち】」(2024年2月25日)でふれた通り、スピリチュアリティーに基づく自己認識や意識の使い方の「学び直し」にいそしんでいた私は、自分が散々理解して、認識できていると思っていたあるポイントを、実際には自分の土台にできていなかったと悟った。
それはとても大切なポイントで、もちろん概念上は私も「とっくにわかってる」と思ってたことは間違いない。
でも、わかっていなかった。それを利用できていなかった。忘れちゃってた。実際には。
これを自覚して、忘却のカーテンをサッと剥いでからは、
「これは第二の自覚だなぁ」
という新しい感覚とともに生きている。
スピリチュアリティーにおける真のアイデンティティーを取り戻す「第一の自覚」は、私の場合はずいぶん昔に目覚めとして体験しており、すでに定着している実感があった。
でも、その先にあるもう一層、今になってみれば私がずっと完全に得ることを待っていたのであろう実感があって、それが今回「第二の自覚」と描写しているものである。
現時点でもその自覚がまだらになる隙はあり、日常生活の中でうっかりすると薄れかけることはある。
でも、もう完全には忘れられない。気づきの地面というか、「底」にザラリとふれてその実感に抵触してしまったから、それを「ない」ことには以後はできないことがわかるのだ。
だからこれからの私が意識を向けたいことは、その自覚を「オンにし続ける選択」で、選択というのは自分のあり方の選択を指す。
自覚の度合がまだらになってしまう、濃くなったり薄くなったりすることはある程度受け入れても、常時オンにするために、目覚めている状態の意識性を保てるように、度々「自分を思い出させる」。
なぜならこれは、人生を魂の望みに統一させて創造していくのにどうしても必要なことで、私にとってはずっと手にしたかった必須アイテムやスキルのようなものなのだ。
実際にはそれは道具ではなく、技能とは呼べるが、自分の意識内の気づき・自覚であることはすでに述べた。
さて、その「第二の自覚」を、言葉ではっきり説明すれば以下の通りだ。
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