人も自分も傷つけ得るという観念(モンスター)が氷解するとき

近頃の自分を観察していて「なるほどなー!」とよくわかったことがある。
もちろん「なるほどなー」に至るまで、自分の「人生劇場の中の登場人物」になり切って、自分が一体何をしているのかわからなくなっていた。

いや……完全にわからなくなるというより、ときどき正気に返っては、「なぜ、私はこんなにも自分の学んだことを忘れてしまうのか? 度々、恐れに負けてしまうのか?」というようなことを思い、まるで自分自身の中にどうしても勝てないモンスターを飼っているような気分で途方に暮れていたのだ。モンスターのように思えたそれが何だったのかは後述する。

むしろ自分はモンスターに餌をやっているのではないかとすら、疑われた。滅多になかったことだが、私自身がこれまで内なる声とともに、魂の確信とともに行ってきたことのすべては無駄だったのか? 間違っていたのか? とすら、今回は思いそうになるほど追い詰められる瞬間があった。

というのも私は人生の表層的出来事はどうであれ、内ではその声の示すものを「自分自身学び、この世界を違う目で見る」ということを続けてきたからだ。それは意識的にそうし続けるというより、ある意味、私の人生の数奇な流れからいって「そうなってしまった」とも言える。
ともあれ、私はそうすることに光と、充実と、ワクワクを見出してもいたので、決して苦役ではなく、「どうしても惹かれる何か」「やりがい」として続いてきた。
だからこそ、その道を歩みつつも「強固な恐れ」がいまだ残っていたことを実感すればするほど、追い詰められていたとは言える。

一方で、「近いところに来ているのに」という思いもあった。
あとほんの少しのヴェールごしに、真理にふれている感じがあり、あと少しなのに「また、恐れの中に戻っているんだ」という実感。
「いつもそこにある光」をただ遠ざけている、ということにすぎないのに、それとの距離をはるかに遠くあけてしまっているように感じさせるのが、「恐れ」の生み出すイリュージョンなのだとも言える。

こんなコメントをできるのは、私は今は自分の行っていた茶番、からくりに気づいたからだ。
ああそうか、どうりで私は、恐れを何度といたと思っても「戻るわけだ」と、自分が何をしていたかを理解した。
そして私がなぜ、そんな風に絶望できていたのかも。

これを読むあなたには、安心してほしい。絶望する必要はどこにもなかったし、私がこれまで発信してきたり教えてきたりしたことは有益で、それ自体が無効だとか間違いだということはない。
そうではなく、私はあるポイントで引っかかっていたのだとわかった。この記事ではそのポイントをシェアする。

そして、そのポイントが私にとってなぜ、
「結局、自分の中にいるモンスターに餌を与えているようなものなのでは?」
と、感じられていたのか。これも説明しよう。
実際、そのままでは私が「モンスター」のように感じるものは生き永らえることになっていたのだが、それが何だったのかも理解でき、一緒に氷解したのだった。


さぁ、洗いざらい書いていこう。まず、私の「なるほどなー!」の内容は、


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