蜂が開いてくれた扉・夢は現実のラフスケッチ

この記事は、自然界とより一層心を合わせていく過程で、蜂をきっかけに私がどのように虫たちの存在を捉え直したかという話と、
もうひとつは、夢(眠っている間に見る夢)について、いかにそれが現実の「元」になっているかという2つのテーマに焦点をあてる。

先に少し、夢について基礎となる情報を述べる。

夢、明晰夢、体外離脱の違いと、夢の世界を書くこと

先月も私には様々な興味深い夢、それから明晰夢(夢の中で自覚を持ったまま活動する)、そして体外離脱の体験があった。

この3種の現象は繋がっており、別々のものなわけではない。体験の種類の違いは、あなたの意識の自覚度の違いによる。

自覚度とは、あなたが自己認識を持ったままで、日常の起きている間の自分とは異なる意識状態をどのくらい体験できるかというその度合いだ。一般に夢と呼ばれる体験では、あなたの自覚度は低くなり、曖昧に無意識的に夢を見ていたという記憶だけが残る。

明晰夢と体外離脱に関していえば、過去を振り返ると私が先に親しんだのは体外離脱だったが、いつからか明晰夢の方がレギュラー化し、入れ替わりに体外離脱の頻度は少なくなった。

体外離脱の体験にも種類があり、物質的現実にかなり近い形で活動する体外離脱もあれば、そうでないものもある。前者はこの(起きている間の日常の)現実との関連性が強いが、後者はそうではないので、科学的検証や軍事など実利目的で興味を持たれがちなのは、前者のタイプの体外離脱だ。

私はどちらも経験したことがあるものの、自分の体外離脱の割合で言えば、圧倒的に後者、つまり「この現実」からエネルギー的にだいぶ異なる舞台にいることが多い。
そして明晰夢は、そのタイプの体外離脱体験と極めて近いものである。

ただし明晰夢は、体験の仕方の「スタート」が異なる。
これは私の定義だが(前述の通り、明晰夢も体外離脱もひとつのものに名称をつけて分類しているだけなので)、体外離脱のときは、自分の肉体から「抜ける(=意識フォーカスが物質次元から移動する)」際の自覚があるが、明晰夢ではその移行を終え、すでに夢に入ってから意識の明晰さを回復する。

夢にまつわる基礎の説明はこのくらいで切り上げよう。
(夢におけるこうした様々な側面についてや、明晰夢を自分で体験する方法を学びたい方には、★オンライン講座「明晰夢基礎」★をご用意している。2020年5月5日現在は受付中。)

そのように、これまでと変わらず先月も私は夢関連の興味深い体験を色々としており、このnoteで記事に書こうと思うことが度々あった。

しかし結局、下書きに留めて公開しないまま5月になった。
それらを記事にしづらい理由がいくつかある。
ひとつは、夢の描写には人がストーリーに期待しがちな「起承転結」がないことが多いという点。

もうひとつは、夢の体験はひとりひとりにとって、個人の「暗号レター」のようなものであるという点だ。
自分の象徴体系(シンボルのシステム)を理解していれば、自分自身で夢を読み解くことができるが、そのままで他者が理解できるものではない。
夢は圧縮ファイルに似ている。本当にその厚みを解説するためには、本人の人生を丸ごと説明する必要があるくらいの膨大な作業になってしまう。

だから結局、夢関連の体験を記事にするなら細かな解説は省き、せめてエネルギーが読み手に伝わるように記す。シェアをしても意味が通る範囲のものしか扱わないようにしたいと思うので、検討を重ねてお蔵入りということもままある。

一方で今回の出来事は、夢と現実の繋がりをお話しすることができ、あなた自身の人生にもそのようなことは起こっているのだと認識してもらいやすい上に、私の人生の新たなフェーズに入った感覚のするワクワクする出来事でもあったので、こうして取り上げている。

クマバチへの愛に導かれて

さて、先月の記事◆「生物への愛とエネルギー、蜂さん、自然との調和」でクマバチを好きになった話をした。

あれからもしばらく、蜜を吸いに来るクマバチの姿を庭で見ることができて楽しく過ごしたのだが、今はクマバチが大好きな花が終わったので、次の「花待ち」である。

クマバチという存在が私にもたらしてくれた影響は、予想外に大きかった。

上記の記事で述べたように、近年私は一度苦手になった虫への愛を取り戻していた。
幼少時代に虫を飼ったり無邪気にさわったりしていた接し方とはまた違い、私の中で虫たちへの積極的な愛と興味が新しく育ちつつあったのである。

かつて大半の虫が苦手になってしまっていた時期にも、私は蜂には元々好感を持っていたのだが、蜂に対する知識は乏しかった。
漠然と、蜂は皆ミツバチのように女王蜂中心のコロニーを形成する昆虫だと思っていたのだ。

ところが、クマバチについて調べると、そうではないことがわかった。

クマバチはミツバチと同じ花蜂であるが、単独で行動し、交尾を終えたメスがひとりで巣作りをして子育てをする。
木の幹をかじって丸穴を開け、中に仕切りがある巣を作るので、英語ではCarpenter Bee(大工蜂)と呼ばれる。巣の入り口は、これまたかわいい、きれいに丸い穴だ。
ミツバチだと自分の巣を守る守衛の蜂がいて、同じミツバチ同士でも近くにいれば争いになるが、クマバチは他のクマバチが同じ木に巣を作っても戦うことがないそうだ。なので、ひとつの木に複数のクマバチが穴を開けてそれぞれ巣を作ることもある。

年に2回子育てをし、2回目に生まれた子たちは羽化した後も母蜂とともに巣の中で越冬する。羽化した子が入り口の穴付近に陣取っていることで、一応は巣守りの意味もあるとされているが、クマバチを撮った動画など見ていると、人間が巣を覗き込んでも特に何もせず、クマバチの方も穴から外を覗いてじっと見つめ返していたりする。

昆虫好きな方ならよく知っていることだが、蜂で針を持つのはメスだけ。針は、産卵管が変化したものだからだ。オスのクマバチは人間に危害を加ないことはもちろん、メスであっても、人間が攻撃に取れることをしない限り、刺さない。

——他にも色々と興味深いことがあったが、クマバチについて調べるうちに同じく身近なミツバチやスズメバチのことも知りたくなり、勉強してみた。
ネットの情報の他、専門の本や図鑑を読み、新たに得た知識もあった一方、本当に知りたいことは自分で体験しない限り「痒いところに手が届かない」ことも実感した。

そのため、養蜂にも少し心動いたのであるが(現代の日本で養蜂の主流になっているのは西洋ミツバチ。しかし西洋ミツバチは人間が連れてきた外来種であり、在来種である日本ミツバチの保護活動と養蜂を広めている人たちもいる。それぞれ生態が異なるので、私自身はどちらにも愛情を覚え、興味を持っている)、自分はハチミツをとりたいわけではないことに気づいた。

私はただ単に「蜂の生態を観察したい人」なのだった。
それを正しく把握すると、養蜂案からは遠ざかったが、養蜂が案外個人でも着手可能なものであると知ることができたのは収穫だった(場所など選ぶが、ご興味ある方は調べてみてはいかがだろうか?)。
★後日追記……ミツバチについてふれた記事はこちら★
「日本ミツバチが庭に来ていた【アニマルコミュニケーションと虫】」

こうも心の旅路が遠くへ発展したのも、ひとえに、クマバチへ持った愛情によるのだ。

クマバチを、私の現実の中でのシンボルと見ると

眠っている間に見る夢の世界が、自分の意識による「象徴」で語りかけるのと同じように、この現実も自己の意識の反映だ。

自分の心に強く訴えかけるものは必ず、自分にとって象徴的な意味を持つ。
私は、クマバチが「今」の私にとって何を教えてくれているのか考えた。

はじめはその姿が「かわいい」ということで多大に心動かされたのであるが、昔だって、クマバチを見たことはあったのだ。そのときにはこんなにも心動かされることがなかった。つまりクマバチは「今」の私の心にだから、このように響くのだろう。

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