全方向的に、未知に開く

ふわぁ、どうするよ? ここ数日の私は整理作業に入っていた。
心の中はClean Slate状態。いわば白紙の状態、まっさらということだ。

過去を参照して未来を作ることをやめたら、あなたの周囲はぐるり未知。
全方向的に、未知に開くことになるのだ。

こうした体感を得てしまったのは、度々近頃の記事に書いている通り、この数ヶ月間の内的進行の結果である。
「分離と神の愛について、シンプルで実用的な説明!【恐れと制限を無効にする】」で説明したように、神(万物の源、ひとつの私)の愛を実感すると、どうしても生き方が変わってしまう。

制限のない愛が実在していることがわかると、自分という存在もまたその愛を通して生きたい、その愛の透過率を百パーセントに近づけたいと思うようになる。
与えられているものの大きさに、自分も同じように与えたいと思う。

森羅万象の源が、私たちに注いでいる愛は本当に無限だ。
こういうことばかり言っていると「クレイジー」な感じがするかもしれないけれど、もはやこの実感によって「ある一線を越えてしまった」と表現してもよくて、私は以前のものの見方には戻れない。

これがどう今後の自分の活動、特に創造的活動に生きていくのかは未知だ。
まるで自分が一視聴者として、楽しみにしながら人生の場面場面を見ていく感じ。

それで、冒頭に書いた「整理作業」とは、このnoteに関して行っていたことだった。

表現・創作活動にも表れる変化(と、読んでくださる方への感謝)

あまりに「今」私が見ている世界が変化してしまい、それは通常の意味での「時とともに変化する感じ方や考え」の範疇ではなくて、まったく違う舞台にいるようなものだったので、昨年(2019年)8月から始めたこのnoteの中でも、今の感覚で役目を終えた感じがする一部の記事を販売終了することにした。

基本的には、自分にとって賞味期限が切れたように感じる記事でもそのほとんどを残している。新たに読む誰かにとっては意味がある可能性があるし、そのように自分の変化に伴って過去の作品を消していたら、きりがないからだ。しかもたいてい、私は書き終わった記事の内容は忘れる。

ではどんな記事を販売終了したかというと、たとえば恋愛などをテーマに、わりと具体的トピックを入れて書いたものを対象に選んだ。
具体的トピックを用いることで、読むための入口を通り抜けやすくすることを意識しながらも、「形」そのものには意味がないということを伝え、自己の内を見つめることができるような内容に仕上げていたのだが……こうして今、
「神の愛クラッシュ」
を起こしてみると、具体的トピックを用いて何かを語ろうとすればするほどその本質を制限してしまう感じは否めない。

それに、私自身が今、「愛」をどう捉えているかも、実感を伴って変化していると思う。

有料記事を販売停止するにはnoteのシステム的に「削除」という形になるので、私の記事一覧には出なくなるけれど、ご購入済みの方はマイページからそのまま読むことができます。もしくはご購入時送られてきたメールから。

思えば、noteを始めたときにはまだ、どんな内容を自分が書きたくなるのか想像がつかず、もしかすると日常的なエッセイなど、とっつきやすい内容も書いていくのかなと思っていた。というか、積極的にそういうものも書こうと思っていた。

ところが私がnoteで書く内容はやがて自然と、今のようにやっぱり意識とか神とか夢とか、ごりごりにスピリチュアルな内容に集中してしまった。
自分でも、ここまで自分が意識研究に熱心な人間だとは知らなかった。

まるで記憶喪失になることを完全に防ごうとしている人間のように(なんとなく、昔見た映画「メメント」に近い雰囲気がある)、この人生を「自覚を持ったまま生きる明晰夢」にすべく、ある種鬼気迫る熱心さで追究し続けてきたのだが、私が驚いているのは、そんな私の記事を読み続け、購入してくださる方々がいることだ。
おそらくそれは私の深度に共鳴してくださっている方々なわけで、意識研究への傾倒の度合いにおいて自分自身を「マニアック」と自負している私からすれば、
「読んでくださっている、あなたもですか!」
と、私の記事に興味を持てること、キャッチアップしてくださることを尊敬してしまう。

だってこの世界、色んなエンタメとか、いくらでもあなたの心を向けることができる趣味や「Killing Time」の役割を果たすあれこれもあるじゃない?
そちらに行く選択もあるのに、ここに来てくれるとは、ねぇ……(あなたも同志ですね?)ありがとう!

あとは、今年に入ってから(月別アーカイブはこちら)の私はこれまで以上に、自然界にまつわる話題にもけっこうな熱を入れていたよね。
これに関しても、実は以前よりずっと統合された視点から見ることができるようになっていて、今後どう書いていくのかなと自分で興味がある。

そしてこのこと、私自身の自然界への新しい関わり方と、今から語ることは密接に関係してきそうなのだ。

調べるよりも、答えを Let In

私は最近「調べる」ということをほとんどしなくなった。
これだけ便利な時代だもの、調べればたくさんの情報を参照することができるのだけど、あえて「自分間で投げてみる」ということをやっている。

これがなかなか楽しい、規模のでかい遊びなんですね。

答えがほしい何かがあったら、「知っている自己」に意識内で投げてみる。
そして、何を見せてくれるか待つのだ。
このことに「やり方」というほどのものは何もないのだが、それがどう返ってくるかを説明しよう。

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