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感受性・好奇心がなぜ失われるのか?②

幼少の頃を思い出してください。自分のことでも、お子さん・お孫さんのことでも構いません。まだ喋れない頃は、見るものすべてが初体験です。歩き始めても、幼稚園へ通うようになっても、初めて見るものばかりに囲まれて生きています。「好奇心があることが当たり前」です。

小学生になると少し世界観が広がり、ヒーローに憧れ自分の夢を語るようになります。中学生で上下関係を学び、高校では将来を見据え、大学で現実を見始めることでしょう。だいたいの話ですけど。

その間、「挨拶をするように」「人に迷惑をかけないように」「真面目に、勤勉に」と教わりながら、しつけやマナーを身に付け、社会へ出る準備が進んで行きます。

第一の要因=社会人としての自覚


社会に出るとまず言われるのが「学生とは違う」ということです。さらに「社会人としての自覚」が問われます。学生言葉を封印し、周りの先輩を見習い、粗相のないよう気を付け、仕事を覚え、人に気に入られようとします。私はこれが第一の要因だと考えました。(あとで説明します)

第二の要因=親としての自覚


愛する人と出会い結婚します。子供が生まれると「親としての自覚」が問われます。ニュースでは親が子供を虐待したり、置き去りにする事件が起こる度に「親なのに・・・」という感情が溢れます。親になること、これが第二の要因です。(あとで説明します)

第三の要因=人間としての自覚


親になって子供が大きくなり始めると、仕事での地位も上がり、部下ができたり経験豊富なことから、「人間としての自覚」が問われるようになっていきます。これが第三の要因だと私は考えます。

整理しましょう。

①社会人としての自覚
②親としての自覚
③人間としての自覚


大人になるといろんなハードルがあり、この3ステップを乗り越えた人だけが、「人格者」として認められ、人間らしい存在に達すると思います。

人間として、社会人として生きていくためには、いつまでも幼少期の心を持っていては邪魔になります。いろんな「自覚」を求められるたびに、幼少期の心を少しずつ捨てていかなければ、到達できない域があると私は思います。

幼少期の心=好奇心、探求心、感受性


今でも幼児向け番組を見て楽しめますか?


私は現在61歳。今でもEテレの幼児向け番組を楽しく観ています。「おかあさんといっしょ」はもちろん、私の一番のお気に入りは「みいつけた!」です。スイちゃんとサボさんの掛け合いがとてもおもしろいです。今調べますと、4~6歳向け番組だそうです。

こんな話を同世代の人に話してもまったく興味を示してくれません。むしろ引かれます。でもこの違いが、感受性の差だと私は思います。

幼児向け番組を楽しめないということは、ある意味自然であり、当たり前です。むしろ私の方がおかしいのです。子供から大人になり、人間形成が出来上がっていくと、失っていく感情があります。

幼児と接する時が好奇心を取り戻せるチャンス!


高齢者に「もっと好奇心を持ちましょう」なんて言っても無理なことです。すでに感受性という瑞々しさは枯れて無くなってしまっているからです。
ではどんな段階で食い止めることができたのでしょう?

子どもができた時、孫ができた時、これらがチャンスだと私は考えます。幼児向けの番組を見たり、絵本を読んだり、たくさん接する機会があります。その時に、自分の「幼児心」を呼び起こしておかなければならなかったのです。その機会を逃すと、あとは枯れるだけです。その先で取り戻そうと考えると、かなり大変なことだと思われます。

すでに手遅れ? いや、そうでもないかもしれません。


つづく・・・次回へもう少し書き続けます。



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