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痛ましい事件の話です。老々介護に疲れ、妻を殺害したという事件の裁判。81歳の夫は、何も隠すことなくすべて正直に法定で喋っていることでしょう。

この事件に関して、政治家はどんな思いで見ているのでしょう?

「命はひとつ、誰にも平等にね」

ドラマDr.チョコレートの名セリフです。失うともう二度と戻ってきません。

 日本国憲法第二十五条は、(1)「すべて国民は健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。」 (2)「国は、すべて の生活部面について社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。」 と、規定している。 これは国民には生存権があり、国家には生活保障の義務があるという意である。

これは日本国憲法で国民に認められた「生存権」です。憲法で定められていますので、国は遂行しなければなりません。国に言わせれば「制度はたくさん用意している」と言うでしょう。国民からすると「そんな制度知らなかった」ということもあります。あるいは、申請しても受理されないこともあります。生きていこうとする国民側に寄り添った制度になっているかどうかも疑問です。


市民だよりを見ていない、あなたの責任です


阪神淡路大震災で私の家は全壊して被災しました。住居を失った人には「義援金」が支給されたのですが、一回ではなく、数回その機会がありました。しかしそのことを私は知らずに、申請しなかったため、もらい損ねたことがあります。

市役所で「そんなこと知らなかった」と言ったら「市民だよりに書いてある。見ていないあなたの責任だ」という言い方をされました。役所というのはそういう所です。紙に書いて出したら、全市民が知っているという解釈です。


自宅で自分が面倒を見るという「愛」


今回の被疑者は、制度の利用をどの程度理解されていたのか、あるいはどのように利用しようとしていたのか、詳しくはわかりません。施設に入ることを拒んでいたという記事がありますので、制度を素直に受け入れる気持ちがなかったのかもしれません。そうではなく、ただ奥様の幸せを考えて、自宅で自分が面倒見るという「愛」を選ばれたということかもしれません。

理由はどうであれ、奥様を海に突き落として殺したわけですから殺人罪が適用されます。ただ、前例を見れば、被告の年齢から考えて執行猶予がつくことが予想されます。

裏を返せば、老老介護による殺人事件は実刑を受けないとなれば、今後それを逆手に取った確信犯が出てこないとは限りません。

人はだれもが幸せを望み、幸せのまま終わりたいはずです。病気になりたい人もいません。憲法で「生きる権利」は定められていますが、幸せを定めたものではありません。寝たきりであっても、生きる権利は守られているわけですから、それが幸せかどうか、国家にとっては関係ない話だということです。

私たちはいろんな制度をよく知り、国の都合の良いところに振り回されないよう、しっかり読んで選択したいと考えます。


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