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#温泉
シンボルって必要だなと思った9月8日
秋の気配が漂ってきました。
写真は大村屋の近くにある公衆浴場シーボルトの湯。
以前は「古湯」と呼ばれていた嬉野温泉の始まりの場所です。
1996年に老朽化などのために閉鎖され、バブル崩壊後の不毛な時代を象徴するかのように廃墟と化してました。廃墟となったシンボルを横目に見ながら私は思春期を過ごします。当然、嬉野から出たいと思っていました。
市民の署名活動などや行政の動きのおかげで2010年の春
【後編】バブル崩壊からパンデミック時代を生きる老舗旅館の15代目のこれまでとこれから
こんにちは。おかげさまでこのマガジンも後編へ。
理由なき封建主義が地域を停滞させる様々なイベントを立て続けに開催して温泉街や行政との関わりが増えてきました。それに伴い気になり始めたのが「年功序列」「先輩後輩関係」。小学校、中学校や部活の先輩後輩の関係性がそのまま大人になり"おじいちゃん"になっても続いている地域は絶望しか感じません。年上なだけで偉くはないしマウンティングされる理由はない。
もち
【中編】バブル崩壊からパンデミック時代を生きる老舗旅館の15代目のこれまでとこれから
前編ではバブル崩壊と共に思春期を迎え、故郷に希望も持てずに東京へ。リーマンショックが起きた2008年に実家の事業再生のため事業継承をし様々なプランや企画を立ち上げ経営者として何とか歩き始めたまでを書きました。中編では旅館だけでなく温泉街を舞台に様々な企画をし続けた時期のことを書きたいと思います。
前編は以下のリンクよりご覧ください。
チームUreshinoというゆるい集まり24歳で旅館大村屋の
【前編】バブル崩壊からパンデミック時代を生きる老舗旅館の15代目のこれまでとこれから
初めまして!私は北川健太と言います。佐賀県は嬉野温泉にある旅館大村屋の15代目として旅館のこと地域のことを考え活動しています。1984年生まれ現在は36歳。24歳で旅館の事業を継承して12年が経ちました。倒れそうだった宿の再建のために突然呼び戻され、経営知識もほとんどなかった私がどんなことをしてきて、なんとか2足歩行で歩ける宿にしてきたかをここの綴りたいと思います。いわゆる地方で働くこと生きること
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