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【書評】しんめいP『自分とか、ないから。』を読む。東洋哲学は使い方に注意。

ロッシーです。

しんめいPさんの『自分とか、ないから。』を読みました。

いや~面白かったです!

東洋哲学といえば、飲茶氏の『史上最強の哲学入門 東洋の哲人たち』も面白かったですが、本書も面白い!


著者自身の人生が面白い

両者に共通しているのは、

「哲学という堅苦しく難しいものを、柔らかく、分かりやすく、そして面白く語る著者の力量の高さ」

だと思います。

それに加え、著者のしんめいPさん自身の人生が本書をいっそう面白くしていると思います。

東大法学部を卒業したけれど、入った会社で仕事ができずひっそりと退職し、その後島に移住したけれども、そこでも仕事ができないことがバレてなめらかに退職(「なめらかに」というのがいいですね(笑))。

その後一発逆転を狙って芸人を目指すも、大会1回戦で敗退してしまい速攻で引退し、無職になってしまいます。

しかし、その後引きこもっていたときに東洋哲学と出会い、それをnoteに書いていたら話題になり本書の出版にいたったというわけです。

もう人生そのものが面白過ぎですよね(面白いとかいったら失礼なのかもしれませんけど)。

そういう生き様から語られるせいか、哲学史とかにむっちゃ詳しい学者先生のそれとは違い、言葉が生きているんですよね。

ニーチェはこう言いました。

いっさいの書かれたもののうち、わたしはただ、 血をもって書かれたもののみを愛する。

ニーチェ『ツァラトゥストラ』

まさに本書は著者の血をもって書かれたものだと思います。

本書を読めば、東洋哲学のエッセンスを楽しみながら理解できることうけあいです。タイトルの「自分とかないから」もいいですよね。

自分とか、ないんだとしたら、君はどうするの?

本書のタイトルどおり、自分なんてないのかもしれません。ただ、個人的にさらに付け加えたいのは、

「自分とか、ないんだとしたら、君はどうするの?」

ということです。

確かに、「自分なんてない」といってもそれだけで人生は済まないのも事実です。

乞食のような生活をしてもOKです!という人は別にして、普通は皆社会で生きていく必要があるわけです。

そして、わたしたちには身体というものがあり、どうしても「自分」という概念から離れることはできません。悟りを開けば無我になれるのかもしれませんが、そんなことは一般人には無理ゲーでしょう。

つまり、生きる以上は、なんだかんだいっても「自分」というものが起点になりますし、様々な「あんなことやこんなことして~よ~」という欲望から離れることはできないわけです。

ではどうするのか?

自分を無くす方向で生きる?

まず考えられるのは、なるべく自分というものを無くそうという方向で生きることでしょう。それはつまり、「より少なくしていく」ということです。より少なく食べ、より少なく動き、より少なくお金を使い・・・そういう欲望を少なくする隠遁的な生き方です。

私も老荘思想が好きですから、そういう生き方は嫌いではありません。しかし、一方でそれだけではなにか物足りないものを感じるのも事実です。

やっぱり生まれてきたからには、全力でやれるのにやらないで、自分を無くす方向で頑張るだけというのもちょっと不自然な気がするわけです。

小さい子供はそんなことしませんよね。子供というのは、「なんでこんな無駄な動きをしまくるんだ!」というくらいエネルギーを無駄遣いして動きまくり、疲れたら電池が切れたように眠る。それが自然です。

そしてだんだんと年齢を重ねてくると、そういう元気も自然となくなってくるから、自然と自分を無くすことができるわけです。

頭でっかちになることの危険性

だから、気を付けないといけないのは、「自分なんてない」と頭でっかちに考えてしまうことです。

東洋哲学というのは、基本的には実践、体験が一番大事であり、知識として分かっているだけではダメです。

例えば本書を読んで、「そうか、自分なんてないんだよな、うんうん。」となり、まだ若いのに老人みたいな生き方を目指す、みたいなのは、頭だけで理解をしてしまう典型的パターンだといえるでしょう。

枯れてしまうことの害

中国古典の『菜根譚』にこのような言葉があります。

「憂勤は是れ美徳なり。はなはだ苦しめば則ち以って適ひ情をよろこばしむことなし。淡白は是れ高風なり。はなはだ枯るれば則ち以って人を救い物を利することなし。
(工夫や努力をしながら働くことは素晴らしいことだが、工夫も努力も度を越せば、心に余裕をなくし、働く楽しみが奪われてしまうだろう。 また、拘らず、囚われず暮らすことは無欲に通じて素晴らしいことだが、無欲が度を越せば、無欲の本質すら忘れて社会貢献の意思も失ってしまうだろう。

『菜根譚』

つまり、頑張りすぎることの害もありますが、「枯れてしまう」ことの害というものもあるんだよということです。

東洋哲学に傾倒する人あるある

東洋哲学に傾倒する人あるあるなのかもしれませんが、無我や無為自然といった概念を強く志向しすぎることにより、抑圧された欲望が別のところに噴出したり、かえって不自然な結果を生み出すことがあります。

例えば、「出世なんてしなくてもいいんだよ。そういう欲望は少ないほうが苦しみが少ないんだよ。」と考えているサラリーマンがいたとしましょう。

そのサラリーマンにとっては、東洋哲学は背中を押してくれるはずです。でも、本当は「出世したい!」と思っているのであれば、一生懸命仕事を頑張ることが自然ですよね。

本当に心の底からの実感として「出世など不要である」と思うのであれば全然OKなのですが、頭だけで「欲望を減らすことはいいことだ」と思っていると、抑圧した欲望はどこかで表面に出てきてしまうものです(やけに出世した人をディスったりとか)。

そういう風に、東洋哲学は使い方次第では変にこじらせる可能性が高いです。

これは東洋哲学だけではなく、哲学や思想一般に共通する副作用かもしれませんが、そこは要注意だと思います。ぜひ本書を読むときにもご注意を(笑)。

最後に

結局凡庸な結論になってしまうのですが、「何事もバランスが大事」だということです。

頑張りすぎも良くないし、頑張らなさすぎも良くない。

東洋哲学が絶対的に良いわけでもありませんし、悟ることが絶対的に良いことでもない。

「自分なんてない」と考えることも大事だし、「自分が一番大事」と考えることも大事。

まあ、要するに囚われてはいけないし、囚われてはいけないという考えに囚われてもいけないわけです。そして、「囚われてはいけないという考えに囚われてはいけない」という考えに囚われてはいけないわけであり、さらに「囚われてはいけないという考えに囚われてはいけないという考えに囚われてはいけない」という考えに囚われてはいけない・・・(~以下略)。


とにかく、本書は東洋哲学に触れたい人におすすめの一冊です。

ぜひ読んでみてください!


最後までお読みいただきありがとうございます。

Thank you for reading!

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