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ヨハン・シュトラウスのパパはヨハン・シュトラウス 日本人妻の驚き10選
はじめに国際結婚といえばたいそうな感じに聞こえるのだけれど、20年以上も一緒にいれば「ああ、そう言えば、うちのダンナは外人だったわね。」と思うことの方が多くなります。
それでもやはり、日本人男性と結婚するのとは違う点、ヨーロピアンなダンナならではのことが色々あります。
私のダンナは西ヨーロッパの小国「オーストリア」の首都ウィーン生まれ、緑の目をしたオーストリア人。
オーストリア人と言っても、
ナイトクラブとゲイ友と幽霊👻80'sマンハッタン生活 #マンハッタンのクラブライフ
私は還暦を過ぎた今でも現役のクラバーである。
純粋に音楽を楽しんで踊るクラバーである。
好きな海外DJが来ると、次の日朝から仕事でも必ず踊りに行く。
昔から友人知人はクラブDJが多い。
ニューヨークに住みたかった最大要因は、マンハッタンのナイトクラブで踊りたかったからだ。
私はもともと洋楽が好きだったが、15歳の時にディスコデビューしてから踊ることが大好きになった。と言っても、バブル時代のジュ
ナイトクラブとゲイ友と幽霊👻80'sマンハッタン生活 #グリニッチ・ビレッジとゲイパレード
私が住んでいたのは、マンハッタンのダウンタウンにあるウエストサイド地区のグリニッチ・ビレッジ。
7番街(7th Avenue)のモートン・ストリートのアパートメントに一人暮らし。家賃は700ドル。広めのリビングとベッドルームにキッチン。バスルームも割と広くてお気に入りの部屋だ。当時は1ドルおよそ100円だった。
リスがたくさんいるワシントン・スクエア・ガーデンやブルーノートにも近く、「セックス
ナイトクラブとゲイ友と幽霊👻80'sマンハッタン生活 #世界貿易センタービル
友人が地下鉄内で発砲事件に遭遇して命からがら走って逃げたとか、強盗がダイヤの指輪を取るのに女性の指まで切って持っていったとか、そんな物騒な事件が当たり前だった頃のニューヨークのマンハッタン島に住んでいた。
仕事は、今はなきツインタワー(世界貿易センタービル WTC)の日本企業の支社で残業している社員に、夜食用のおにぎりを売って歩いていた。銀行、証券会社など、WTCには日本の企業が多数あった。