悲愴の雫 : 中編


「望美さん、だったよね? 確か昨日の自己紹介で言ってた気がする」
「うん、そう。よく覚えてるね」
「記憶力はいい方なんだよ」
「君は、確か光輝くん」
「そう。神社の息子。光源氏の光輝くん」
「自分で光源氏とか言わない方がいいよ」
「無口だったくせに、そういうことは言えるんだ」
「ごめん」
「謝らなくていいよ。はいこれ、タオル」
「ありがとう」

 社務所の中には暖房がついていて、ストーブも焚いてくれた。四月なのに寒さがまだ厳しい日があって、今日は特に寒かった。

  普段はストーブは使わないみたいだけれど、彼が特別に持ってきてくれた。

「で、何で泣いてたの」
「うん、えっと」

 私は返す言葉がなかった。

  いきなり会ったばかりのクラスメイトに悩みを打ち明けるのが躊躇われた。

「こっから一年同じクラスにいるのに黙っておくの?」
「いや」
「これから毎日顔を合わせるのにどんな顔して会えばいいのさ」
「そうだよね。ちょっとくらい話すよ」

 彼は言葉遣いがちょっと荒いけれど、悪い人ではなさそうだ。

「私の家ね、母子家庭なの」
「うん」
「で、家計が苦しくて、弟もいるから来年から就職してほしいって親に言われてるの」

 彼は無言で黙って聞いている。

「でも、今どき大学へ行かないなんて選択、怖くてできなくて。それに、私東京に行って就職したいなって思ってて。でも、家の仕事も手伝わないといけないし、弟を見捨てられないし、勉強しなきゃいけないのに、別のことで時間取られてて、焦ってるの」

 彼は黙っている。

「それに、就職するならもう動き出さないといけないし、かといって勉強するならもう勉強しないといけないし、決められないでいて、悩んでるの」
「うん」
「それで、東京で就職したいなら、就活が激戦区だと思うから、少しでもいい大学に行かなくちゃいけないのに、成績ボロボロで。周りは勉強に専念してるのに、私何してるんだろうって苦しくなったの。受験の期日は少しずつ迫ってきてるのに」
「それは、辛いね」
「私、どうしたらいいんだろう」

 私は、また瞳に涙を浮かべていた。

「まあ、とりあえずはいつでも俺が相談に乗ってやるから泣くな」
「え」
「クラスに毎日泣きそうな奴がいたら、俺も集中できない」
「ごめん」
「謝らなくていいよ」
「ありがとう」
「うん」
「何でそんなに優しいの」
「え」
「あ、いや。どうして昨日クラス一緒になっただけの私にそんなに優しくしてくれるのかなって」
「人の心が少しでもあったら、雨の日にずぶ濡れになりながら泣いてる人見つけたら声掛けるでしょ」
「そういうものなのかな?」
「声かけない?普通」
「確かに」
「そういうこと。普通のことさ」

 彼の中では、当たり前の優しさ。でも、今の私にとってはとてつもなく有難いものだった。

「俺もさ、実は大学に行くかどうかで迷ってるんだ」
「え、そうなの?」
「そう。俺もこの神社継がなくちゃいけないから。大学行くんじゃなくて、すぐにでも宮司としての仕事を覚えて働けって親父に言われてる」
「そうなんだ。宮司さんって、どんな仕事するの?」
「神社の清掃もそうだし、祭りごとやお祓いもしなくちゃならないし、本当に色々ある」
「大変なんだね」
「そう。でもさ、今どき神社なんて一生できる仕事になるのか分からないし、一生できる気がしない」

 私は息を呑んで、黙って聞いていた。

「まぁ、だからなんて言うかその。わかるよ、お前の気持ち」
「ありがとう」
「何すりゃいいのかなんて、分かんないよな」
「光輝くんも悩んでるんだね」
「ひとなりにはね」
「私も、何かあったら相談に乗るからね」
「あぁ、ありがとう」

 彼は少しだけ表情が柔らかくなった。
 何だか心を開いてくれたような気がして、私は胸が熱くなった。

「家は? どこに住んでるの」
「この神社の裏っ側にある川沿いをまっすぐ進んで、突き当たりを右に曲がったところにある住宅街に住んでるよ」
「あぁ、あの辺か。すごく近いじゃん」
「光輝くんは、どこに住んでるの?」
「俺はここの社務所の奥にある部屋に住んでるよ」
「え、そうなんだ。神社に住むところあるんだ」
「うちは住み込み型だからね」
「神社に住んでるって、どういう感じなの?」

 私は気になって尋ねてみた。

「うーん、どうだろうな。あんまり普通の家と変わらないと思うけど」
「え、そうなんだ」
「うん。ただ、普段の生活はあんまり変わらないと思うけど、やっぱり勉強に関しては周りが凄く厳しいね」
「え、大学行くなって言ってるのに?」
「そう。幼いときは字の書き方とかから始まって、昔の教養系の書物はたんまり読まされたよ。いわゆる『意味のない』やつさ」
「なのに、大学にはいっちゃダメなの?」
「多分、大学まで行ったら流れで就活とかしてこの神社を継がなくなることを危惧してるんだと思う」
「そういうことか」
「部屋には本当に嫌になってくるような本ばっかり置いてあるよ。できることならもう読み返したくない」
「神社の息子も大変なんだね」

 私は壁いっぱいに置いてある難しい本を想像した。少し身震いする。

「見てみる? どんな本があるか」
「え」
「高校の教科書に載ってるようなものとは、全く違うよ。笑えてくる」
「そうなんだ。ちょっと、興味はあるけど」
「古代中国の将軍の軍記物とか、難しい数学の定理の証明の本とか、古典文学の詩歌とか、後は神社の歴史とか、そういうものばっかり」
「部屋、入ってもいいの?」
「あぁ、望美が嫌じゃなければ」
「うん、ちょっと見てみたいかも」
「おっけい、じゃあ着いてきて」

 私は、彼の部屋を見せて貰うことにした。

「でも、その前に、服着替えよう。濡れたまんまだったら風邪ひく。シャワーあるから、浴びてきて。社務所に女性用の服あるから、俺取ってくるよ」
「うん、ありがとう」
「風呂の入り口に置いておくから、終わったらここまで戻ってきて」
「分かった」




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