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教科書から消えた桃太郎


人生は物語。
どうも横山黎です。

今回は「卒業論文『芥川龍之介研究 『桃太郎』を中心に』の第2章『教科書から消えた桃太郎』を共有する」というテーマで話していこうと思います。



📚教科書から消えた桃太郎

 第一節の冒頭で触れたように、以前、昔話「桃太郎」が小学校の教科書に掲載されていた。全国の小学生たちがこぞって「桃太郎」を学んでいたのだ。しかし、現代の日本の子どもたちは学校で「桃太郎」を学ばない。教科書に「桃太郎」が掲載されなくなったからだ。第二節では、昔話「桃太郎」が教科書から掲載されなくなった経緯を論じていく。

 最初に「桃太郎」が掲載されたのは、一八八七年(明治二十年)のことである。文部省が『尋常小学校読本』に「桃太郎」を教材として採用したのだ。それはつまり、江戸期までパロディや後日譚など、多種多様な物語が創作されていたが、明治期になり、形式上「桃太郎」の物語が統一されたことを意味する。そこには明治政府の政治的意図が隠されていたのだ。

 それは、教育による国民統制である。

 明治時代になり、外に意識を持たざるを得なくなった日本政府は、富国強兵と謳い、欧米列国に引け目を取らない強い国づくりを目指すことになった。近代国家建設の基礎として、国民に対する一般教育に重きが置かれたのだ。

 次に示すのは、巌谷小波の書いた『桃太郎』のなかの一節である。一八九四年(明治二十七年に出版されたものであり、独特な語り口と文体が特徴的であるが、伝承されてきた昔話「桃太郎」の物語とさして変わりはない。しかし、まさに当時の情勢からくる表現を見つけることができるため、看過はできない。

「仔細を申さねば御不審は御道理。元来此日本の東北の方、海原遙かに隔てた処に、鬼の住む島が御座ります。其鬼心邪にして、我皇神の皇化に従はず、却て、此芦原の国に寇を為し、蒼生を取り喰ひ、宝物を奪ひ取る、世にも憎くき奴に御座りますれば、私ただ今より出陣致し、彼奴を一挫に取て抑へ、貯へ置ける宝の数々、残らず奪取て立ち帰る所存。何卒此儀御座聞届けを偏へに御願ひ申します」

 傍線部(この記事では太字)に注目すると、桃太郎が鬼ヶ島を征伐する理由付けがはっきりとされていることが分かる。傍線部以降には昔話「桃太郎」でも取り上げられてきたような動機が並んでいるが、傍線部に書かれている動機の衝撃を払拭することは難しい。皇国日本に従わないこと、つまり、天皇の意向に背くことが鬼が退治される理由であり、「悪」とされる所以なのである。

 また、巌谷は一九一五年に刊行した『桃太郎主義の教育』で、桃太郎を利用した教育論を唱えている。その中に次のような文章があること、桃太郎が教科書に掲載されたことを踏まえると、文明開化によって強い国づくりを目指すことになった明治政府が、国民教化のために古くから親しまれてきた昔話「桃太郎」を利用した意図は明らかといっても過言ではない。

 我が日本の人の親たる者は、桃太郎の爺さん婆さんの如くなれ! 人の子たるものは、桃太郎その人の如くなれ! 而して人たるものは、正に犬、猿、雉子の如くあれ! もし、夫れこの説に反対する、頑固蒙昧の徒があるならば、僕は之を鬼が島の鬼共として、桃太郎と共に退治しなければならぬ。そしてその鬼共を退治した時、初めて宝物が手に入る。――理想の日本が興るのである。

巌谷小波『桃太郎主義の教育』

 鳥越も「小波の桃太郎は、単なる智・勇・仁にすぐれた少年武士であるばかりか、天皇の治める神国日本の使者として鬼が島をめざし、天皇の名において鬼を征服する皇国の子として位置づけられている。このことは、ひとり作者小波の『桃太郎観』というにとどまらず、おそらく時代の要請の反映でもあったにちがいない」と指摘している。巌谷の『桃太郎』が世に出る少し前の一八九〇年(明治二三年)に教育勅語が公布された背景も合わせて考えると、巌谷自身の思想によるかどうかはさておき、国に従う「皇国の子」こそ桃太郎という「善」の存在であり、そうではない者を鬼という「悪」の存在とする風潮を広めようとする情勢は確かにあったのだ。

 明治政府の企みは奏功し、教化政策は成功したといえるのだろう。二十世紀初頭、「理想の日本が興る」ことになる。日露戦争で勝利を収めたのだ。大国ロシアを打倒したのである。その戦争下に出版されたのが、石原ばんがくと北沢楽天の『桃太郎のロスキー征伐』という作品だ。

 ロスキーとは、漢字をあてれば「露西鬼」であり、ロシア人に対する蔑称であることはいうまでもない。また、「鬼」=「悪」の図式に則れば、桃太郎を象徴する日本人を「善」、鬼であるロシア人を「悪」として、退治する対象であることをそれと言わずとも表現しているのだ。

 日露戦争の戦時下につくられた本作は、おおよそ昔話「桃太郎」の物語と差異はない。ただ、ロスキーを退治して宝物を手に入れた後、「眠堂」に閉じこめられている若い姫を助けるという展開が待っている。グリム童話の『眠り姫(茨姫)』をパロディにしているのだ。ロシアは退治するべく「悪」である意識を読者に広めるためならば、ロスキー退治後の姫の救出劇は蛇足のような気もするが、異文化を輸入し始め、帝国を目指して富国強兵を唱えた末、大国ロシアを倒してナショナリズムが高揚していた当時の日本の空気感を十分に反映させた作品といえるだろう。

 それは、今でも「桃太郎の歌」と聞いて頭に浮かぶ唱歌「桃太郎」の歌詞にも見られる。一九一一年(明治四十四年)の文部省唱歌「尋常小学唱歌」に所収されているものであり、当時全国の小学校で歌われた。ただ、その歌詞のなかには当時の世情を反映させた単語や表現が見られる。次に引用する歌詞の傍線部に注目するとその意味が分かるに違いない。

桃太郎さん桃太郎さん、
お腰に付けた黍団子、
一つわたしに下さいな。

やりませうやりませう、
これから鬼の征伐に、
ついていくならやりませう。

行きませう行きませう、
あなたについて何処までも、
家来になつて行きませう。

そりや進めそりや進め、
一度に攻めて攻めやぶり
つぶしてしまへ鬼が島。

おもしろいおもしろい、
のこらず鬼を攻め伏せて
分捕物をえんやらや。

万々歳万々歳、
お供犬や猿雉子は、
勇んで車をえんやらや。

 「征伐」「攻めやぶり」「つぶしてしまへ」「攻め伏せて」「分捕物」といった単語を聞いて戦争を想起する者は少なくないだろう。また、従来お供するだけであった犬猿雉の従者たちは「家来」とされ、主人に忠誠を誓って従う者という意味が濃くなった。

鬼が島を攻め、鬼たちを征伐しているさなか「おもしろいおもしろい」という胸中には少なからず戦慄が走る。戦争時代の軍人や要人たちにとっては当然の感覚なのかもしれないが、この歌を唱歌として小学生たちに歌わせていたというのだからさらに恐ろしい。実際、時代が大正に移り、大正デモクラシーの思潮が台頭するようになると、侵略主義の歌詞に懐疑的になる知識人が登場し、元東京市長であった後藤新平は「国民的英雄の人格を引き下げるものである」と警鐘を鳴らしている。

 「桃太郎」の物語に自らの主義思想を反映させる動きは止まることを知らず、日本政府という大きな組織に限らず、作家や庶民個人の思いを反映させる文化をも生み出した。大正末期から昭和前期にかけて、プロレタリア文学が登場した。社会主義思想や社会・労働運動の立場に立つ無産者文学のことを指し、労働者たちの厳しい現実を描いたものである。小林多喜二の『蟹工船』や徳川直の『太陽のない街』などが有名であるが、労働者たちの現実を題材にするという風潮は児童文学にも流れ、プロレタリア児童文学運動が生まれることになったのだが、そこでまたしても「桃太郎」に白羽の矢が立ったのである。一九二九年(昭和四年)の「解放」に掲載された入交総一郎の『新桃太郎の話』は、かなり短い話であり鬼退治が果たされることはなく、そもそも桃太郎が話に登場することもない。もうひとりの桃太郎の登場を夢見るおじいさんに、おばあさんは「今の世の中に、鬼なんて言うものはゐませんよ」と言う。しかし、おじいさんは次のように返答するのだ。

今の世の中には、鬼がうようよしてゐるんだぞ。正直に働いてゐる人間に、さも深切さうに言ひよつて来て、逃げられないやうに縛つてから、生血を吸つているのだ。

 鳥越が「資本家や地主こそ現代の鬼である、という認識がこめられている」と指摘しているように、この話における鬼は人間であり、労働者や農民を搾取する存在と限定している。

 おじいさんは、昔話の鬼を退治する桃太郎ではなく、現実に蔓延る資本家や地主といった鬼を退治するもうひとりの桃太郎の到来を渇望しているのだ。最後に、目頭に涙をためるおじいさんの姿は、資本家や地主たちに搾取される労働者のそれであり、『新桃太郎の話』をプロレタリア児童文学としてみることができるのだ。

 他にも、桃太郎が仲間と手を組んで、「鬼が島」と呼ばれる巨大な屋敷を襲撃し、「鬼」のような地主を成敗しにいくという本庄陸男の『鬼退治の桃太郎』といった作品もある。作中では、「ロシアでは地主も金持ちも居ないで、みんな安心して働いるちうぢやなか」というロシア革命によって社会主義国となったロシアを引き合いに出したセリフも登場する。それに対して桃太郎が「百姓と労働者とで、地主と金持ちを残らず退治したからだ」と答えている。プロレタリア児童文学の波に襲われた桃太郎は、その作品の是非や良し悪しはさておき、労働者たちの現実を訴える役を担わされてしまったのである。

 しかし、労働者たちの運動も、政府によって弾圧や解体を余儀なくされ、まもなくしてプロレタリア文学も、プロレタリア児童文学も退廃の路を辿っていった。満州事変や上海事変によって中国への侵略が開始されるようになり、ますます軍国主義の色に染まっていったのである。そして、今まで以上に「桃太郎」が政治利用されていったのである。

 一九三三年から翌年まで「少女倶楽部」に連載された佐藤紅緑の『桃太郎遠征記』という作品がある。この話では、桃太郎が、もともとは心優しい村人たちが外国に行ったがために親不孝者になったり争いごとばかりをする暴力者になったりしたことを憂えて、おじいさんとおばあさんに鬼が島征伐の意志を打ち明けるのだ。まだ子どもであるため、初めこそ桃太郎の言い分に反対していたふたりだったが、後日、考えを改め直し、桃太郎の鬼ヶ島征伐を勧めることになる、そのときのおじいさんの言葉を次に示す。

「考へてみると、お前は神様の授かりものだ。日本の国威を輝かし、世界の悪魔を払ふために神様が授けて下すつたのだ。お前に別れるのは辛いが、自分の辛い事などは考へてゐられない。お国のためあだ、さうだ、お国のためならどんな事でも忍ばなきやならん。私はかう覚悟した。どうか海山千里、御苦労だが行つて思ふ孫文に悪魔を退治し、世界中に日本の国のありがたさを知らしてやつてくれ」

佐藤紅緑『桃太郎遠征記』

 日本対世界の図式があからさまに見られる。「日本の国のありがたさ」「世界の悪魔」という表現には、日本を善、世界を悪として無根拠に捉える当時の日本の軍国主義が滲んでいる。物終盤には「勝てると思つて進んで行けば、どんな困難でも打勝つ事が出来る。それを忘れるなよ。」という桃太郎の言葉もみられる。

 さらに戦色の濃くなればなるほどに桃太郎は侵略の子として政治利用されていく。

 昭和十七年一月三日に刊行された子ども向けの「小國民新聞」の大見出しには「桃太郎と日本精神」とあり、紙面には「鬼畜米英」の言葉溢れていた。

 街中のポスターには「征け桃太郎・米英を撃て」と記されていた。そこには「大東亜共栄丸」という旗を掲げた船が描かれており、日本国民を模したと思われる従者たちが乗船している。帆には、宝島と称するフィリピンやボルネオといった南の島の地図が書かれていた。「大東亜戦争第二周年」と表記されていることから、一九四三年のものであることが分かる。

 時を同じくして、桃太郎は映像デビューを果たすことになる。空襲部隊の戦闘機に乗った桃太郎が鬼が島の軍港を奇襲する長編アニメーション映画『桃太郎の海鷲』が公開されたのだ。真珠湾攻撃を題材に制作されたものであり、言うまでもなく、鬼がアメリカ兵、鬼が島がハワイ島の軍港を擬している。

日本初の長編アニメーション映画が「桃太郎」であるのは日本らしくはあるが、戦争のプロパガンダとして制作され、子どもたちをはじめ国民の戦意を煽り、いくつもの命を犠牲にすることを助長していたと考えると、現代日本人として複雑な思いを抱えざるを得ない。

 国民的昔話の主人公が戦争のプロパガンダとして利用されることが当然のように横行されていたわけであるが、それに抗えぬほど当時の日本列島に横たわる空気は狂気的なものであったのだ。

 これに関して鳥越は「かつては民衆詩人とも呼ばれた百田宗治の退廃を指弾することはやさしい。だが私たちは、むしろここまで百田宗治を追いやった、狂気の時代にこそ冷静な目を向けなければならない」と指摘している。

 百田宗治は文学投稿少年時代を経て、白鳥省吾・福田正夫らと並んで民衆詩派に属した詩人であった。戦時は「小国民詩」の書き手として影響力を持っていた。

 次に示すのは一九四四年の「小国民文化」誌に掲載された「桃太郎の出陣」という百田の書いた詩の一部である。日本の子どもはすべて「桃太郎」であり、すべての子どもが戦場に向かって出陣する様子を淡々と描かれている。

日本ぢゆうの子供が桃太郎になる。
日本ぢゆうの子供が
一人残らず桃太郎になる。
つよい やさしい桃太郎になる。
日本ぢゆうの桃太郎が
くらい夜明けに出陣する。
左様ならと言つて出陣する。
おぢいさん おばあさん 左様なら、
日本ぢゆうの桃太郎が出陣する。

百田宗治「桃太郎の出陣」

 勇ましく戦争に赴く子どもたちが想起させられるが、執拗に繰り返される「桃太郎」という言葉に、淡々と語られていく戦争の実態に、ヒステリックなものを感ぜずにはいられない。国民的昔話の英雄は戦色に染まり、血の匂いを漂わせる存在となってしまったのだ。

 まさに「日本ぢゆう」の子どもが桃太郎になり鬼退治をするかのごとく戦争に立ち向かったわけだが、健闘空しく、日本は敗戦に終わった。鬼退治に行き、逆に鬼に退治される結末を迎えたのである。

 終戦後、アメリカから連合国軍最高司令官総司令部が日本を統制する役を任され、教育統制も行われた。わりをくったのは、日本政府にさんざん政治利用された「桃太郎」である。軍国主義やナショナリズムを執拗に煽り立てる存在として危険視され、教科書から消えたのだ。


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