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【卒論】「芥川龍之介研究『桃太郎』を中心に」【序論】


人生は物語。
どうも横山黎です。

今回は「卒業論文『芥川龍之介研究 『桃太郎』を中心に』の序論を共有する」というテーマで話していこうと思います。



📚序論

 本論文は、芥川龍之介の短編小説『桃太郎』(以後、芥川『桃太郎』とする)を中心に、芥川の作品を研究していくものである。

 芥川『桃太郎』では、よく知られている物語とは違い、桃太郎は残虐非道な侵略者として、鬼は穏健な平和愛好者として描かれている。過去には、桃から生まれるのではなく、桃を食べて若返った老夫婦が子作りをすることで誕生する桃太郎を描く物語も少なくない。明治時代以前はむしろその誕生の仕方、いわゆる回春型の桃太郎が多いのだ。その物語の違いと時代の違いを照らし合わせてみると、時代ごとに物語の特性が違うことが分かる。つまり、物語の変容は時代の変容に大きく影響されているのだ。ここでは、桃太郎に関する文献をもとに物語の変容を追い、それぞれの物語が描かれるに至った時代の特性を整理していく。その桃太郎の変容の全体像を踏まえながら芥川『桃太郎』の位置を確認しつつ、教育的価値の検証と、本文最後に多く登場する「天才」という単語の考察をしていく。

 各章の内容と研究方法は次の通りである。

 第一章では芥川『桃太郎』からは離れ、今にも残る文献から「桃太郎」がどのように変遷していったのかを辿る。

 「桃太郎」の正確な発生は分かっていない。室町時代に確立したという見解もあるが、奈良時代には発生していたとする見解もある。実際に、桃で鬼を退治するという構図は古事記にも見られる。伊邪那美を求めて黄泉の国に向かった伊邪那岐が、その伊邪那美の使いから追いかけられたときに桃の実を投げつけて生還を果たした。さらには、古代中国から桃には魔除けの力があったとされているため、桃太郎の源流はかなり古くにあると考えられる。

 今回は、現存する書物の内容を比較していき、その時代にどのような「桃太郎」が語られたのかを見ていく。

 江戸時代には「桃太郎」のパロディやアフターストーリーが多く作られた。戦国の世から一変、平和が訪れ文化が隆興し、庶民も娯楽として興じることが増えたことに一因があるだろう。バラエティに富んだ物語が存在していた。

 しかし、明治時代に「桃太郎」の物語は全国で統一されることになる。政府による富国強兵の政策が講じられ、国民の統制下を図るために「桃太郎」が教科書に載ったからだった。勇敢な桃太郎が邪悪な鬼を倒す構図に、日本と列強国を当てはめて強い国づくりを目指す精神を養っていったのである。ここで桃太郎が桃から生まれる、いわゆる果生型が採用されたため、現代に至るまで「桃太郎」といえば「桃から生まれた男の子」という図式が定着したという推察は難くない。「桃太郎」の物語がプロパガンダとして利用される流れは明治時代以降も止まることはなかった。

 大正時代から昭和時代初期にかけての労働者運動が盛んだった頃には、桃太郎は労働者、鬼は地主という構図の物語が存在している。

 さらに、戦争の色が濃くなっていくと、桃太郎は戦争のプロパガンダの役を任されることになった。全国民が一丸となって戦争に立ち向き合うことを教化するために、桃太郎が利用されたのだ。街中に貼られた戦意を刺激するポスターには桃太郎の姿が描かれており、終戦間近の頃には桃太郎を主人公に据えた長編アニメーション映画が公開されている。また、桃太郎が戦争に出陣する様子を描いた詩も存在する。以上のように、当時の軍国主義の日本政府の意図が大いに反映された「桃太郎」が目立つようになった。

 しかし、空しくも敗戦という結果に終わり、GHQによる教育改革が行われ軍国主義を煽動すると判断された「桃太郎」は教科書からは消えた。しかし、依然として国民的童話としての側面はあり、日本人なら誰もが知っているという状況に変化はなかった。戦後間もない頃には、敗戦を意識した「桃太郎」や、平和や復興を強く主張する「桃太郎」が登場したが、その後はパロディのような物語はおおよそ淘汰され、現代でよく知られた果生型の物語が残っていくことになる。

 最後に、今日ではどのような「桃太郎」が描かれているのかを見ていく。前述の通り、日本人なら誰もが知っている「桃太郎」だが、絵本を中心に新たな視点で描かれる物語は少なくない。様々な物語が展開されているが、過去の「桃太郎」と違う共通点が今日の「桃太郎」にある。それは鬼の描かれ方、扱われ方である。これまでは悪者として描かれ、桃太郎と対峙する「敵」の役割があったが、今日の「桃太郎」では最初こそ敵であれど最後には桃太郎と仲良くなる「仲間」の役割を持っていることが多い。多様性が歌われる時代柄、外見や思想、価値観の違う相手を排除するのではなく、違いを認めて受け入れていく物語が増えているのだ。

 第一章の最後は、以上のような桃太郎の歴史的背景を踏まえつつ、「芥川桃太郎」の教育的価値や教育的効果について論じる。明治時代以降、巌谷小波の著した「桃太郎」が教科書に掲載されることになり「桃太郎」の標準化が講じられた。太平洋戦争で敗戦しGHQによる教育改革が行われるまで教科書に掲載されていたわけだが、それ以降、「桃太郎」が教科書に掲載されることはなかった。国民的童話としての側面は持ちながらも、教材としての「桃太郎」は消滅してしまったのである。

 ここでは、過去に教科書に掲載された「桃太郎」を見ていくと共に、現在文部科学省が提示している教育の指針をその教育価値や教育効果について言及していく。GHQの教育改革によって排除されてしまったが、「桃太郎」や「芥川桃太郎」の教育的価値や教育的効果を見つめ直し再考する。

 第二章では、芥川『桃太郎』の作品理解を深めていく。六つの節それぞれの本文の言葉や表現に注目し、芥川『桃太郎』の深い読みを試みる。

 従来の昔話「桃太郎」とは違い、侵略者としての桃太郎、平和愛好者としての鬼が登場し、その後に到来する戦争時代を風刺するように残虐非道な殺戮が描かれる。しかし、再話することで単純に戦争批判をしているわけではない。第六節で異様にも「天才」という表現が多用されており、まもなく到来する戦争時代よりも先の未来をも包含する空間的広がりのある結末に終わっている。

 芥川『桃太郎』の深い読みの実現をはかるために、まずは同じく昔話を再話した作品である『かちかち山(以降、芥川『かちかち山』よする)』、『教訓談』、『猿蟹合戦(以降、芥川『かちかち山』)』との比較を行う。

 芥川は芥川『桃太郎』の執筆以前に、昔話「かちかち山」を題材に芥川『かちかち山』、そして『教訓談』を書いている。

 前者は昔話「かちかち山」の再話であるが、おじいさんが妻を亡くした悲しみに暮れ、兎がそれを慰めるところから始まる。その後も、兎による狸への生々しい復讐劇が描かれることもない。全体的に悲壮感の漂う流麗な文章で書かれている。

 後者の『教訓談』も同じく昔話「かちかち山」を材料にした短い小説であるが、「人間が人間の肉を食つた話」として原話を引用しており、獣たちの争いの上に栄えた人間に着目し、最後には読者に対して「あなたの耳は狸の耳なのでせう」と人間の内にも獣のあるのを指摘している。

 芥川『猿蟹合戦』では、昔話「猿蟹合戦」の後日譚の形を取っている。復讐を果たした蟹が死刑になったところから始まり、社会から悪者、愚者として葬られる蟹の運命を描いていき、最後には『教訓談』同様、「君たちもたいてい蟹なんですよ」という読者への問いかけで結んでいる。天下のために殺される運命を背負わされた蟹であると、読者に投げかけているのだ。

 三つの昔話から再話された芥川作品を照らし合わせてみると、「善悪」というキーワードが浮かび上がってくる。従来は勧善懲悪の物語として成立していた昔話を、当時の世情や社会情勢を踏まえながら再話することで、芥川は「善悪」そのものに対する自身の思想を具現化していたのではないかという点について検討していく。そして、芥川『桃太郎』の第六節の「天才」について解釈する意義を確かめる。

 第三章では、芥川『桃太郎』と他作品との比較研究を行い、「天才」の解釈を試みる。

 桃太郎と鬼のエピソードは第五節までで語り終わっており、この第六節がなくとも「桃太郎」の再話は成功しているといえる。実際、単純に昔話の再話をしたいならば、あるいは戦争批判をしたいならば、第五節で完結していた方が自然なのだ。しかし、僅か五行ではあるが、第六節を用意し、「天才」という言葉を印象付けて物語を閉じたということは、ここにこそ芥川の大いなる意図があると考えられる。

 したがって、芥川の代表作であり現代の教科書に掲載されている『羅生門』、芥川が強く影響を受けたとされるドストエフスキーの『罪と罰』を取り上げ、芥川『桃太郎』にどのような影響が見られるのかを論じていく。以上のことを踏まえ、「天才」の解釈について再考していき、芥川文学における特徴や魅力を整理していく。


※執筆途中の卒業論文であるので、今後変更する可能性が十分にあります。また、記事として読みやすくするために、元の原稿よりも改行を多くしています。




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