声なき声を聴く:ミランダ・フリッカー『認識的不正義』とその広がり
こんにちは!
「noteの本屋さん」を目指している、おすすめの本を紹介しまくる人です!
今日はずっと日本語訳が出てほしいという声が上がっていた本が、去年ついに日本語で出版されたので、そちらを紹介していきます。
ミランダ・フリッカーの『認識的不正義』は、2007年の出版以来、哲学のみならず、社会学、政治学、教育学など様々な分野に影響を与え続けている重要な著作です。
この本は、私たちが当然のように受け入れている知識や認識の枠組みが、いかに社会的な権力構造と結びつき、特定の人々を不当に抑圧しているかを鋭く指摘しています。
フリッカーが提唱する「認識的不正義」とは、ある人の知識や経験が、その人の社会的なアイデンティティ(人種、性別、階級、性的指向など)に基づく偏見や差別によって、正当に評価されない状況を指します。
彼女は、この認識的不正義を大きく二つに分類しています。
1. 証言的不正義
これは、ある人の証言が、その人の社会的な属性によって不当に軽視されたり、無視されたりする状況を指します。
例えば、性暴力被害者の証言が、性差別的な偏見によって信用されなかったり、あるいは、移民の証言が、人種差別的な理由で軽視されるケースが挙げられます。
証言的不正義は、個人の発言権を奪い、社会参加を阻害する深刻な問題です。
2. 解釈的不正義
これは、社会に共有されている概念や解釈の枠組みが、特定のグループの経験を適切に理解したり、表現したりすることを阻害する状況を指します。
例えば、セクシュアルハラスメントやDVなどの概念が確立される前は、被害者たちは自身の経験を適切な言葉で表現することができず、その苦しみが社会的に理解されないという状況に置かれていました。
解釈的不正義は、個人の経験を不可視化し、社会問題の解決を遅らせる要因となります。
フリッカーは、これらの認識的不正義が、個人の尊厳を傷つけるだけでなく、社会全体の公正さを損なうものであると主張します。
彼女は、真の社会正義を実現するためには、認識的不正義を認識し、克服するための努力が必要不可欠であると訴えます。
本書の魅力は、その学術的な厳密さと、読者を引き込む分かりやすさを両立させている点にあります。
フリッカーは、複雑な哲学的概念を平易な言葉で解説しながらも、具体的な事例や映画などを豊富に引用することで、読者が認識的不正義の問題を身近に感じ取れるように工夫しています。
『認識的不正義』は、社会における知識、権力、そして正義に関心のあるすべての人にとって、必読の書と言えるでしょう。
この本を読むことで、私たちは、自分自身の偏見や差別意識に気づき、より公正な社会を築くために何ができるのかを考えるきっかけを得ることができます。
さらに深く知りたい方へ
認識的不正義の応用
フリッカーの理論は、様々な社会問題を分析する上で有効なツールとなっています。
例えば、医療現場における患者の声の軽視、教育現場における生徒の多様性の無視、職場におけるハラスメント問題など、認識的不正義の視点は、様々な場面で問題解決の糸口を提供してくれます。
交差性との関連
認識的不正義は、人種、性別、階級などの複数の社会的な属性が交差する地点で、より深刻化することが指摘されています。
交差性(インターセクショナリティ)の視点を取り入れることで、より複雑で多層的な認識的不正義の実態を理解することができます。
社会運動との連携
認識的不正義の概念は、#MeToo運動やBlack Lives Matter運動など、様々な社会運動とも深く関わっています。
これらの運動は、これまで社会的に無視されてきた声に光を当て、認識的不正義を克服するための重要な役割を果たしています。
というわけで、SNSを多用する現代人にはまさに『必読書』かと思います。
まだ、読んでいない人は是非。
【編集後記】
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