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長編小説、超短編小説、実験小説、詩、、朗読ライヴの元ネタ、文体の研究などなど。多すぎてどれ読んでいいかわからない時は「【おすすめ】創作編」というマガジンをどうぞ。
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#文学賞

【長編小説】音楽の花嫁 19/19

【長編小説】音楽の花嫁 19/19

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通夜と葬式はつつがなく行われた。最後、煙となったおじいさんを火葬場の外から眺めると、やっと肩の荷が降りたように思って安心してしまった。葬式は疲れる。兄も同じように感じていたようで、慣れないスーツのネクタイを緩めてシャツを腕まくりして、「あちー」と言って手であおいだ。母はそんな私達を見ながらくすりと笑って、
「ねえ綾乃ちゃん、あのフルートどうしたの?」
と聞いてきた。
「うん?」

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【長編小説】音楽の花嫁 18/19

【長編小説】音楽の花嫁 18/19

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「おじいちゃんは……お父さんは、フルートの名手だったらしいのよ。その道で食べていこうと考えていたくらい、でもその前に戦争にとられちゃったらしいんだけど。でも私は一度もフルートを吹いているところを見たことが無かった。それどころかお父さんは、ラジオでクラシックがかかると顔をしかめて消すくらいだったの。一度私が友達にクラシックのレコードを借りてきたら、『そんなちゃらちゃらしたもんにかま

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【長編小説】音楽の花嫁 17/19

【長編小説】音楽の花嫁 17/19

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その時の彼の表情の変化――一瞬の出来事だったそれを私は一生忘れないだろう。まるで卵を奪われた雌鶏のように怒りで顔が膨らみ、私に掴みかかるほどの血の気で沸き立ったと思ったら直後、悲しみと安堵と諦めとがいっしょくたになって一気に顔の上を通り過ぎるように青ざめ、しぼんでいった。そして彼の顔はまるで支柱を失ったテントのように皮膚がずるずると垂れ落ち、皺が刻まれ、あっという間に私の知ってい

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【長編小説】音楽の花嫁 15/19

【長編小説】音楽の花嫁 15/19

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遠くからいろんな声が混じり合った、声ともつかない何かが聞こえて来た。それは技師のいた部屋で聞いたマルタの声にも似ていたが、声と言うより悲しみや絶望そのものに近い、素手で心臓に触れてくるような何かだった。バイタの棺の中身よりもっとひどいものを見るだろうという予感が走ったが、足を止めることは出来なかった。
 遠目に見るとボウリングのピンのように、頭部と下部の間にくびれがある肌色の物体

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【長編小説】音楽の花嫁 14/19

【長編小説】音楽の花嫁 14/19

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「一番好きなものを思い出す」、そして「棺を上手く使う」。ネムルはそう言っていた。それと、「僕の棺によろしく」とも。でも男の人は棺を持っていないんじゃないだろうか。
 エレベーターで考え事をしているとあっという間に降りる階についてふためくように、気付いたら私は細い食道を落ち続けて少し広くなった場所に着地した。下は胃液でびちゃびちゃ、そしてあたりは真っ暗で何も見えない。まるで地下を走

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【長編小説】音楽の花嫁 13/19

【長編小説】音楽の花嫁 13/19

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突然空が暗くなったので見上げると、黒いじゅうたんが落ちて来た。粉塵と風が顔を襲うのでとっさに腕でかばう。腕をほどくと、じゅうたんだと思ったのは巨大な鳥だった。夜を背負ったようにまっ黒で、私達二人を食べてもおやつにしかならないだろうというほど大きな、鳥というより恐竜に近かった。頭だけが黒を纏い忘れたようにピンク色の肌がむき出しだった。
「驚いた、人形使いか」
 鳥が喋った、と

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【長編小説】音楽の花嫁 12/19

【長編小説】音楽の花嫁 12/19

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こんな形でメイドの言っていた「寝室を一緒にする」機会が訪れたのは皮肉だった。私は死に絶えた城で唯一呼吸している生き物、傷ついたネムルの傍にいたかった。自分のベッドに引き入れて飽かず眺めていた。
 ネムルがケガしたのは左腕、指が六本ある方だった。革の手袋は血を吸って赤黒く染まっていた。ネムルは私の前で手袋をとったことが無い。食事もそのまま食べる。手袋をとって剥き出しの六本目の指を見

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【長編小説】音楽の花嫁 11/19

【長編小説】音楽の花嫁 11/19

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たったひとりで音楽を作り、聴いた者は全員死ぬ。そんなネムルの今までの孤独とはどんなものだったろう。美しいとは言えないけれど、私はネムルの音楽を心から好きだと思う。もともとオーケストラから派兵されたのだからこれは裏切り行為になるけれど、私はネムルと一緒に戦うこと以外考えていなかった。ネムルの音楽の一部になれることがこの上なく嬉しかった。
 でも、ネムルの音楽にどうやって私が入るのだ

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【長編小説】音楽の花嫁 10/19

【長編小説】音楽の花嫁 10/19

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馬車から下されると、私は要塞のようなすさんだものをイメージしていたのだが、賑わう城下町に囲まれた中世風の美しい城がそびえていた。鎧を着た衛兵がつかつかと馬車に歩み寄る。私だけが連れて行かれる。技師と女性にはもう会わないかもしれない。
 城の中には一体こんなに必要なのかというほど家来が溢れていた。どこもかしこも掃除中で、すでに透き通るほどに磨かれた大理石の床に何十人もの家来がへばりつ

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【長編小説】音楽の花嫁 8/19

【長編小説】音楽の花嫁 8/19

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・・・・・・・・・

召集令状の楽譜を読むとこれは『牧神の午後への前奏曲』、つまり午後の方角、南と西の間だろうと見当をつけて歩き始めた。
 棺はもう十分身体に馴染んでいた。というよりもう背中の一部となっていた。自分の背中を外して見られないように、棺の中の自分は見られないということが、背中に染む棺の感触で分かった。
 しばらく歩くと、椅子が沢山並ぶ広場に辿りついた。人が一人立てる程

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【長編小説】音楽の花嫁 6/19

【長編小説】音楽の花嫁 6/19

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飲み物を受け取ったところで背後から
「アヤメちゃん!」
と男の人の声がした。こそ泥のように心臓が飛び跳ねて、ジンジャーエールをこぼさぬようそろそろと振り返ると野良犬のようにばさばさの茶髪にTシャツ、インドのお坊さんのように複雑な布の巻き付け方で作られたすれたカラシ色の半端丈のズボンにビーチサンダルという、謎な格好をした男の人が立っていた。すきっ歯が煙草のヤニで茶色くなっている。

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【長編小説】音楽の花嫁 4/19

【長編小説】音楽の花嫁 4/19

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ライヴハウスは家から近いので、一度家に帰って着替えてから行くことにした。玄関を開けた途端に蒸れた空気が顔に飛び込んで来て、ああ、この家にはいつもより多く人間がいるな、と分かった。母と、多分兄だ。
「おかえりー、ご飯出来てるよー、お兄ちゃんもいるよー」
 合唱でも始めるのかと言うくらい朗らかな母の声と、炊き立てのごはんの匂いが玄関まで届いた。けれど困った。
「え、今日遅くなるって言っ

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【長編小説】音楽の花嫁 3/19

【長編小説】音楽の花嫁 3/19

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おじいさんの告白を聞いた初めての夜は案の定眠れなかった。ちぎれた戦友の腕や、破片が刺さったおじいさんの腹やら、私の頭が作り出した生々しい画は、私の怯えを餌にして瞼の裏でどんどん誇大化し、頭の中を埋め尽くした。しかし何晩も何晩も再生するごとに恐ろしさは段々薄れていき、そのかわりに成長した私の心の真ん中を占めるようになったのは、「自分ならどうする」という問いだった。私には、親友もろと

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【長編小説】音楽の花嫁 2/19

【長編小説】音楽の花嫁 2/19

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小学四年生の時、夏休みの宿題で「おじいさん、おばあさんに戦争についての話を聞きましょう」というものが出た。私はその年の夏、なぜかずっとタブーになっていた、「おじいさんに戦争体験を聞く」ということをした。つまり、おじいさんは戦争が好きだと思っていたから、おじいさんが悪い人だと知ってしまうのが怖かったんだと思う。けれど、宿題という大義名分があれば、意外とすんなりと話に入れた。
 宿題

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