音楽の花嫁_表紙

【長編小説】音楽の花嫁 12/19

初回はこちら 


こんな形でメイドの言っていた「寝室を一緒にする」機会が訪れたのは皮肉だった。私は死に絶えた城で唯一呼吸している生き物、傷ついたネムルの傍にいたかった。自分のベッドに引き入れて飽かず眺めていた。
 ネムルがケガしたのは左腕、指が六本ある方だった。革の手袋は血を吸って赤黒く染まっていた。ネムルは私の前で手袋をとったことが無い。食事もそのまま食べる。手袋をとって剥き出しの六本目の指を見てみたい気もしたけれど、手負いの人に勝手なことをしてはいけない気がして、眺めるだけにとどめた。
 夜になってもネムルは起きなかった。メイドがいないのでネムルがくれたキャンディを食べて空腹をしのぎ、眠くなったのでネムルの隣に潜り込んだ。すると交替するようにネムルが目を開けた。
「あ」
 こんな近い距離でネムルの顔を見たのは初めてで、どぎまぎした。
「お、起きたんだね。生きてて良かった」
「まあ、とりあえずー……」
 鼻歌のようにネムルはそう言い、そして傷が疼くのか顔をしかめ、怪我した腕を布団から引っ張り出して、他人のもののように眺めた。
「痛くない?」
「痛い、けど耳の方が痛い、死人の声をいっぱい吸った……」
 ネムルはプールで水が詰まった人のように耳をきゅぽきゅぽやって、そして城の検分をするように耳を澄ませた。
「全員死んだな」
「……うん、多分」
「いや間違い無い。音がしない」
 私は怖くて城の中を確かめに行くことはしていなかった。でもネムルが言うならそうなのだろう。
 ネムルは突然、がばっと身を起こした。まるで寝過した人のようだった。私が驚いていると
「なんでコピーロボットって言われてあんなにキレたのか不思議でしょー」
と言ってにかっと全部の歯を見せて笑った。確かにそうだった。それは私もさっきからずっと考えていたことだった。私が頷くとネムルは今度は勢い良く布団に潜り込み、おばけに怯える子供のように顔まで隠した。そして私に聞き取れる一番小さな音を調べるかのように
「……誰かに、操られてるんじゃないかと、いつも思ってるんだよねー」
 か細い声で言った。私の前でおちゃらけようか素直に弱気を見せようか迷っているようなネムルの素振りが痛ましかった。
「うん」
 私は抱きしめるようにそう言った。
「僕は、人間を操れる。音楽催眠も、戦場で男をいっぱい殺すことも簡単だ。そうやって他の奴らをいいように操りながら、自分はそんな奴らとは違う、安っぽい愛だの恋だの関係無い、って、思って、でも、そうやって他の人間のありあわせで作った音楽を、僕は紛れも無い僕自身だと思ってるんだよ、おかしいじゃんか。音を、要素要素に分解していっても、どこにも僕は見つからないんだよ。じゃあ、何? この身体も借り物? なのにそんなとこまで辿りついていない家来どもが能天気に僕のことコピーだのニセモノだのって。はあ」
 ネムルはバタフライの息継ぎのように布団の中から勢い良く顔を出して
「ねえ、君は、どう、考えてるの? そういうこと」
と言って私にすがりついてきた。池に投げた石が波紋を起こすのを観察するように、私はネムルの問いが私の心に浮かべた答えを静かに読み取った。
「私は……、私は、多分、自分の身体は自分のものじゃない、と、今は思ってる」
 答えはそういうものだった。それはこちらの世界に来てからずっとの感覚だった。
「棺もゴミ捨て場で拾ったしさ」
「あ、そうなの? 確かに生ゴミ臭いね」
「嘘?!」
 ネムルが棺に顔を押しつけてふがふが鼻を鳴らす。
「ハハハ、嘘だよ。でもずっと担いでるとそのうち腐るから気をつけてね」
「腐る?」
「うん。まあ、多分腐る前に売りに出すけどね普通ー」
「そういうものなんだ……」
 いつまでも分身と一緒にいられるわけでもないのか。そう言えば昔分身が『そのうち捨てることも出来なくなるよ』と言っていた。捨てられないのに売りに出せるのだろうか。そして売るとしたら一体どんな人が買ってくれるのだろうか。
「まー僕が身請けしてあげてもいいんだけどさ、悪いけどヒツジは木製だから興味無いやごめん」
「うん、私もネムルが私に興味無いこと分かってるから大丈夫だよ」
 私は気付いていた。私の背中に向けて、オケの男達が露骨に、そして家来の男達の一部がそれとなく浴びせる視線に。でもネムルはそうしたことが一回も無かった。
「わあ、バレてるー」
 ネムルが私の頭をぽんぽんと叩く。
 「幸せな結婚」なんて気持ち悪い比喩を使ったメイドのおばさんに一矢報いた気分だった。私はこれで幸せじゃないか。
「ねえ、ところで、君の目的って何なの? 何しにこっち来たの?」
「えーと、それはえーと、多分、スパイ的なものなんだけど……」
「ううん、そうじゃなくて、君、お客さんなんでしょ? 何かしにこの世界に来たんでしょ?」
「ああ、そういうこと」
 川に潜って底に溜まった砂利を掬うような作業だった。もうここに来てから随分時間が経ってしまったように思った。
「おじいさんに会って、話がしたいんだよね」
 おじいさん。発した途端その言葉はほろほろと糸のようにほどけてしまう気がした。おじいさん、おじいさんと言ってるけれど、結局私が救われたいのだ。
「そのおじいさんとやらはこの世界にいるの?」
「多分、いると思う」
「さっきから多分が多いよ!」
 ネムルが私の棺をぺしぺし叩いた。直接自分に触れられたわけではないのに、背中が辛い物を食べた時の舌のようにびりびりした。
「うん、でも、ね。多分、ていうか、もしかしたら、もうおじいさんも死んじゃってるかもしれないし、というか、私もいないかもしれないんだよね」
 もう元の世界から籍を抜かれてしまったかもしれない、だいぶこっちに居過ぎてしまったから、と、考えてみたけれど、たんぽぽの綿毛を抜いてみるようなあやふやな手ごたえしか得られなかった。
 ネムルは出し抜けに私の胸に耳を押しあてた。しばらくじっとした後、
「大丈夫、今は生きてる。BPM85で安定しているよ」
と言った。
「僕の目的は、さあ。何だと思う?」
 ネムルは私の心臓に話しかけるように言った。
「うーん。戦争の平定? 世界征服?」
「あっはっはっは。世界とか要る? 欲しけりゃあげるけどさ」
 ネムルはそこで私の心臓から耳を離し、私の顔にきっと向き合った。
「あのね、僕の目的は、オケを倒すことじゃない。僕達に戦争をさせている女王を倒すこと。そして、音楽が禁じられているこの世界を終わらせることなんだ」
「え? この世界を終わらせる?」
「女王が音楽を禁止したというのは聞いたことがあるでしょ。でもそれより昔、もう、言い伝えになってしまうくらい遠い過去の話だけど、巷に音楽が溢れていたと言われているんだ。まるで話すように曲を作り、歌い、祝いの席には必ず音楽を贈っていたらしい。今は違う。戦場だけに閉じ込められた音楽は逆に人々を魅了して、戦場で音楽を浴びて快楽のうちに死ぬことが何よりの憧れになっている。日常が灰色で、戦場だけが輝いている。みんな、死にたがってる。だから僕は殺している。僕は殺す音楽しか知らない。でも、本当の音楽が人を生かすものなら、僕はそれを作ってみたい。世の中に音楽を溢れさせてみたい。色を取り戻したい。本当は……、死なない聴き手が欲しい」
「そうだよね」
 今度は私がネムルの胸に耳を押しつけてみた。確かに、聞こえる、ネムルの生きる音が。
「私も、ネムルの音楽を世界中の人に聴かせたいよ」
 互いの心臓の音を聴き合っていると安心して、溶けるように眠気が訪れた。私達は双子の胎児のように抱き合って眠った。

女王を倒すためには、まずオケを倒すしかない、とネムルは言った。この世のどこかで戦争を仕組み男達を殺し合わせている女王はどちらの軍の者にも姿を見せたことは無いらしく、勝ち越した側に使いの者が褒美の品を与えに来るだけなのだと言う(ネムルの機材はそうやって増えていったらしい)。だから今回も勝って、使いの者を手掛かりに、女王の居場所を突き止めるという。
「女王は音楽を憎んでいる。そしてこの世界自体を憎んでいる。音楽によって男達を殺し合わせて、女達をマルタに貶めて、そうやってこの世界に誰一人いなくなっちゃえばいいと思ってるんじゃないか? 機材をもらって、もっと殺して、僕は、女王に操られている気がするんだ」
「操られてるんじゃないことを証明するためにも、ネムルは女王を倒さないといけないね」
「そういうことー」
 私達は戦場へ向かっていた。色が見えても見えなくても同じにしか見えない、乾ききった荒野を歩いていた。ネムルのギターにこびりついている血の色だけが、まともな色として目に主張してきた。ネムルは弾帯のようにエフェクターをつなげて肩に下げ、それから充電装置を棺のように背負い、さらにスピーカーを二台ソリで引きずっていた。マイクやアンプは私が運んでいた。はたから見たら機械の要塞の中に人間二人が埋もれているように見えただろう。家来が皆死んだのでそうするしかなかったのだ。
 オケはまるで百年前からそこにいたように既に配置について、私達を待ちくたびれていた。しかし一人が「あれ」と叫んで私を指すと、どよめきが広がった。
「お嬢ちゃん! ネムル君にほだされちまったのか?」
「でも、棺がまだあるぜ」
「ネムル君、せっかくの寵姫なんだからちゃんと“使って”くれないと」
「あっちの方も“ネムル”君?」
 下卑た笑いでオケがどっと沸いた。
 ネムルは
「いや、ちゃんと“使わせて”もらうよ」
と言った。
 私達のセッティングが終わると、オーボエがAの音が、対峙する私達の間を埋めるかのように伸びやかに鳴り響いた。両者揃ってのチューニングだ。さまざまな種類のAが空中に放り出され、だんだんとオーボエのピッチに収斂されていく。ネムルのギターも、そして私の声も。
「あれ、歌うの、お嬢ちゃん?!」
「冗談だろ」
 怒りだす者、そして何かの策略があるのだろうと言ってそれをなだめる者とで首がくるくると動いた。指揮者がそれをたしなめるように指揮台をタクトでぴしゃぴしゃ叩いた。
「ネムル君、このくらいでどうだね」
 まるで卵をかきまぜる泡立て器がボウルを叩くような軽快なリズムで指揮台が叩かれる。
「いいですよ。っていうか、どうせ僕は相変わらず無拍子のものをやるので、関係無いけど」
「あら、そう」
 指揮者は口髭をつまんだ。
 オケはチューニング後もがやがやしていたが、指揮者がタクトをきっと振りかざすと、敵艦を見つけた艦隊のような緊張が走り、一斉に楽器が構えられた。ネムルと私もそれを共有する。
 威圧するような静寂の中、戦闘機が飛ぶようなキーンという音が私の両耳を貫通した。間にある視神経まで焼き切られたように、目が痛い。これから見えるようになる沢山の色に目玉が怖気づいている。オケの男達の百個の目は指揮者を貫いて私に向けられていた。どれもが、滴り落ちそうなほどの水分をたたえてつやつやと膜を張り、荒野の強い太陽を浴びながら照り映えている。こんなに多くの目に晒されるということが、今まであったろうか。欲望にたぎる目に。全部の目が虫めがねのように日光を集めて私の身体に穴を開けようとする。生きたままばらばらに分解されたようだ。そう、ネムルの言う通り、どこまで分解しても私なんていうものは無い。視線の熱にほだされ、骨まで溶けるような無力感に襲われる。なんでこんなところまで来てしまったのだろう?
 その時胃にねじが差し込まれたようなガチリという嫌な音がして急に背中が軽くなった。分身が、ひとりでに出て来たのだ。もう一人の、綺麗なドレスを着た私。
 あっけにとられていると、分身は私の前にあったマイクを奪い取った。そして
『あなたのことなんか誰も見ていないのよ』
 私を振り落とすかのようにそう言った。
 誰も私のことを見ていない! 戦闘機がどてっぱらを貫通したような爽快な絶望が胸を突き抜けた。吉報を得た血液が喜びながら心臓から押し出されて全細胞に触れ回る。誰も私のことを見ていない。
『見ていなさい』
 指揮者のタクトはまさに今振り落とされた。私と分身が入れ替わったことに今しがた気付いて驚く百個の目を、分身の背中越しに見て、魚類の卵のようだと思った。
 例えば私が生まれてから今まで発した全ての声を一度に集めたらこんな音がするだろうという音がした。声というには感情が無過ぎた。それは喜びも悲しみも、ありとあらゆる感情の振れ幅を足し合わせて平均したような、音叉のように純粋な音だった。
 世界中で一番短い曲だったろう。オケの男達は全員が椅子ごと仰向けに倒れ、服従する犬のように腹を見せていた。まるで誕生日ケーキの蝋燭を吹き消すような、一息の中でのあっけない出来事だった。
「はあー。僕まで死ぬところだったよー。何、何ー? 練習と違うじゃーん。先に言っておいてよー」
 ネムルの声は私の耳の傍で空転するばかりで頭に届いていなかった。まるで一瞬で倍年をとったように、肩も頭も重くなって動けなかった。全てを分身が吸い取って、疲れだけを押しつけていったようだ。
「全員死んでるー」
 ネムルはオケの死体の群を飛び跳ね、閉じた瞼をこじ開けて検分している。
 それなりに何らかの凹凸があったはずの私の十七年間は、それでも、他人から見たら何でも無かったと、言い当てられたようだった。
『あなた、私が出なかったら、何を歌う気だったの?』
 そう言い捨てる分身の目はダイヤモンドのように輝き、ぞっとするほど美しかった。オーロラ色のドレスに包まれた全身は仄白く発光し、神々しいほどだった。分身がどんどん美しくなっていく。私からどんどん離れていく。私は、ただの、分身の、運び屋だ。
 分身はつかつかと歩き、棺の中に収まった。再び、胃にネジが差し込まれるような嫌な感じがして、もう分身とは没交渉におちいってしまったことを知った。



スキを押すと、短歌を1首詠みます。 サポートされると4首詠みます。